『勇者、王宮に招かれる。』
<1.異世界マナー講師>
じゃれるようにサッカーを楽しむクラスメイトの声を聞きながら、俺はグラウンド脇のベンチに腰を下ろしてうとうと船を漕いでいた。
季節は秋口に差しかかり、熱くも寒くもない、ほどよい陽気がつづいている。降りそそぐやわらかな陽射しが眠気を誘い、何度も意識が途切れそうになって、そのたびに倒れ込む寸前に目を覚ます――その繰り返しだ。
俺は大口を開けてあくびをこぼし、視界のぼけた目をこする。
体育の授業は退屈だ。事故で右足を負傷した俺は、おそらく卒業まで同じ気持ちを抱きつづけることだろう。別段得意でも好きでもなかった運動だが、もう以前のようには戻れないことを思うと、無性に恋しくなってくる。
ため息と混じり合ったあくびをつき、体を反らして背筋を伸ばす。背骨からポキポキと音が鳴るのと同時に、ふいにポケットの奥で振動を感じた。
「マジかよ」
取り出したスマホの画面を見て、今度は純然たるため息がもれる。
そこには、文字化けした記号が並んでいた。退屈からは解放されるかもしれないが、同時に面倒を押しつけられることも確定だ。
俺はちらりとグラウンドに目をやる。体育教師は審判として、生徒以上に駆け回っていた。
見学の生徒が消えても、気づかれることはなさそうだ。俺はグラウンドを離れて、隣接した体育館の裏手に身を隠した。
「こっちやこっち、あかん、はよパスちょうだい!」
体育館から聞きおぼえのある、威勢のいい声が聞こえた。
どうやら女子の体育は、バスケらしい。ボールの弾む音と、楽しげな歓声が壁越しに伝わってくる。
これだけ騒がしいなら、話し声が届く心配はないだろう。俺はスマホの通話ボタンをタッチした。
『兄貴、困ったことが起きた!』
開口一番、陽介は切羽詰まった声で言った。予想どおりすぎて、驚きはない。
「……だろうな」
『王宮で開かれるパーティーにお呼ばれしたんだ。どうしたらいい?』
何を言っているのか、よくわからなかった。「どうしたらいい?」という部分が特に。
「毎度のことだが、お前は言葉が足りなすぎる。もうちょっとわかりやすく説明してくれ」
『説明も何も、そのままだ。これまでの勇者活動が認められて、王宮に招かれることになった。なんか社交界のすごい人が集まるところに、特別ゲストって形で呼ばれたんだ。どうしよう』
「何を困ることがあるんだ、行ってくりゃいいだろ。勇者活動を認められたのなら、喜ばしいことなんじゃないのか」
『これでも“運命の子”ってことで売り出してるから、それなりに認められつつあるとは思うけど、今回のお呼ばれはオレをハメようとしているワルモノの罠なんだ』
陽介の不穏な発言には、妙な真実味があった。その声色に確信めいた響きがこもっている。
「勇者をハメるって……心当たりでもあるのか?」
『兄貴、おぼえているか。だいぶ前に奴隷を買おうって、いろいろやったことを』
忘れるはずがない。金策の工面方法を巡って、ずいぶんと悩まされたものだ。女子高生投資家である同級生の須間千里の協力もあって、あの一件は解決したと陽介本人から聞いている。
それにしても、俺からすると一カ月もたっていない出来事だというのに、陽介はだいぶ前と表現していた。時間のズレは理解しているつもりであったが、異世界ではどれくらい時間がたっているのだろうか。なんだか怖くて、その点に踏み込むことはできなかった。
「ああ、おぼえてるぞ。キンの相場をコントロールして金儲けしたときの話だろ」
『それそれ。あのとき兄貴が教えてくれた方法でうまくいったんだけど、結構無茶したもんだから、あの町の経済状況しばらくゴタゴタしてたんだって。それで今回オレをパーティーに呼ぼうと言い出したのが、町の管轄をしてた領主の貴族ってんだから裏がありそうだと思わないか』
「それは、確かにちょっと気になるな……」
因縁のある相手が主導だとしたら、勘繰るのも不思議ではない。ノーテンキな陽介でも、さすがに疑念を抱いたのだろう。
その貴族が、もし本当に陽介をハメようと画策しているとして、問題は方法だ。王宮のパーティーで、直接危害をくわえるようなマネは考えにくい。
「そいつは、何をする気なんだ?」
『確かなスジから聞いた話では、パーティーの席で俺に恥をかかせようとしているらしい』
「恥って、はずかしめようってことか?」
『田舎育ちで、ああいう場所での立ち振る舞いがわからないオレを、笑い者にするのが目的なんだってさ。俺の評判を落としたいのかもしれない。百歩譲って笑い者にされるのはまだガマンできるけど、世間の評価が下がったら勇者活動に支障がある。だから、どうしたらいいと思う?』
勇者の陽介としては、評判が下がると問題があるらしい。勇者というものをいまいち理解していない俺には、しっくりこない話だ。
ただ、マイナスになるとわかっている状況なら、悩む余地はないように思う。
「そんなもん、嫌なら行かなかったらいいじゃないか」
『えー』と、陽介は不満げな声をもらす。『王宮に行けるチャンス、これを逃したらもうないかもしれないんだよなぁ』
不安がっていたくせに、一転して渋り出した弟にイラッときた。
「行きたいのか、行きたくないのか、どっちなんだよ!」
『行きたいは行きたい。王様とかお姫様を見てみたい。でも、嫌がらせされるんだったら行かないほうがいいのかなぁ。でもでも、ここで行かないのは逃げたみたいで悔しいよなぁ』
「ちゃんと決まってから連絡してくれ。じゃあな――」
俺は嘆息して、電話を切ろうとした。そろそろ授業も終わる頃合いだ。
しかし、こちらのうんざりした空気を察した陽介が、慌てて止めに入る。
『待ってくれよ、兄貴。頼みたいことがある!』
「この状況で何を頼むってんだ」
『オレ、社交界のマナーとか全然わからないんだ。王宮に行く場合のことを考えて、パーティーの作法なんかを教えてほしい』
予想だにしなかった頼みごとに、呆気に取られて絶句する。俺は頭のなかで事態を整理して、すぐさま一つの結論を導き出した。
おそらく誰でも同じことを言うに違いない。
「バカか、お前は!」考えるまでもなく、陽介はバカだった。「異世界のマナーを、俺が知るわけねえだろ!!」
文化が違えば、常識も違ってくる。当然マナーも千差万別だ。
同じ世界でもあっても、地域によって礼節の振る舞いは差異がある。それが異世界となれば想像もできないし、知るすべもなかった。
考えてみるまでもなくわかる、それは不可能だ。
『そこをなんとか、どうにかしてくれよ。これまでも兄貴はやってくれたじゃないか』
「無茶言うな。いままでで一番の無茶ぶりだぞ。どうにかできるわけがない!」
『そうは言っても、なんだかんだ、やってくれるってオレは信じてるぞ。じゃあ、そういうことで――』
プツンと音を立て、電話が切れた。陽介も無理があるとわかっていて心苦しい思いがあったのか、一方的に会話を打ち切って逃げたのだ。
「くそっ!」と、濃縮した腹立ちを吐き出し、俺は足下にあった小石を蹴る。反射的に右足を使ったので、小石はろくに飛ばずストレス解消にもならない。それどころかピリッとした痛みが走り、踏んだり蹴ったりだ。
俺はおさまりきらない怒りを抱えたまま、ひとまずグラウンドに戻ろうと歩き出した。
体育館の外周を回り、舗装された通路に出たところで――ばったり須間と出くわす。
「あんた、こんなとこで何しとんのや?」
須間だけではない、体育館からぞろぞろと学校指定ジャージ姿の女子生徒が出てきている。
まだ授業終了のチャイムは鳴っていないはずだ。着替えの時間を考慮して、体育教師が早めに切り上げたのだろうか。
「ひょっとして、女子の体育のぞいとったんか」
「違う、そんなわけないだろ――」
突然あられた男子に、女生徒達はいぶかしげな視線を投げてくる。とても気まずい状況だ。
どうにかごまかそうと言い訳を模索していたとき、ふと女生徒のなかに見知った顔を見つけた。血の気が引いて、全身が強張る。
俺は即座に、きびすを返して逃げだしだ。その場にとどまる根性はなかった。
彼女の名前は、
※※※
「それは、さすがに無理なのではないでしょうか」
放課後となり図書室で早坂に相談したところ、やんわりとたしなめられた。あまりにも無茶な要望に、メガネの奥で目が笑っている。
今日は当番日ではない早坂は、受け持ちの図書委員を気にしながら声をひそめて理由を告げる。
「わたし達がいる世界と、倉本くんがいる異世界では文化が違います。ヘタにこちらのルールを教えては、よけいこじれるかもしれませんよ」
「それはそうだとは思うけど、ちょっとでいいんだ、何かヒントになるような本はないかな?」
「ありません」早坂はきっぱりと言いきった。「マナーに関する書籍はありますが、いま言ったとおり異世界で通用するとは思えない」
言いたいことはよくわかる。ごもっともだと思う。
そこに反論の余地はないのだが……一応は頼まれた手前、もう少し突っ込んでみる。
「マナー講師の本とかに、未知の文化とふれあうときの対処方法が書いてあったりしないかな」
「あんなもの、なんの役にも立ちませんよ」
珍しく早坂の物言いが刺々しい。やけに辛辣だ。
「そ、そうなのか?」
「マナー講師の扱うマナーは、実在しない独自の解釈の場合があるんです。ルールのないものに勝手にルールを作って、それを押しつけてくる。そういう商売なんだと思います。もちろんちゃんしたマナー講師もいるとは思いますけど、ほとんど信じる価値はありません。インチキですよ」
早坂はメガネを支えながら、敵意が含まれた熱弁を振るう。ショートボブのサラサラ髪が、頬に沿って激しく揺れていた。
圧倒されて俺は言葉もない。マナー講師に不快な思いをさせられた経験でもあるのだろうか。事情を知りたかったが、聞ける雰囲気ではなかった。
「とにかくマナーに関しては一旦忘れて、別の方法を考えてみませんか」
「別って……どういうこと?」
「倉本くんは、王宮のパーティーで失敗したくないんですよね。評判を落としたくないから。でも、それって現実的に不可能だと思うんですよ。失敗するのはもうしかたがないとして、どう挽回するかに切り替えるべきではないでしょうか」
納得のできる方向転換ではあるが、そこもまた行き止まりに思えてならなかった。挽回の方法も、異世界の文化事情がわからなければ手がかりがないのと同じだ。
「挽回と言われても、どうすりゃいいんだか。貴族や王族みたいな偉いさんが、許してやってもいいと思える挽回方法なんて見当がつかない」
「自分に置き換えてみましょうよ。もしセンパイがもてなす側だったとして、どんな謝罪なら失態を許せますか?」
思いがけない質問に、俺は瞑目して頭をひねる。
俺個人としては熟考するほどの問題ではないのだが、為政者という立場を考慮するとなかなか答えが出てこない。
「うーん、俺の場合は普通に謝ってくれりゃ大抵のことは許すけど、相手が相手だからなぁ。ああいう身分が高い人らって、ちょっと感性がズレてるところがあると思うんだ。俺の意見が参考になるとは思えない。よくわからないルールを押しつけるような状況も、経験したことないし」
「あっ、そうだ――」
早坂は瞬間的に目を見開き、俺の顔をまじまじと見つめたあと、つと視線を床に落とした。俺の言葉をどう受け取ったのか――良いとも悪いとも、どちらにも取れる微妙な表情にやきもきする。
やがて思案の底から顔を上げた早坂は、わずかに迷いのにじんだ笑みを浮かべた。
「少し話が違ってくるかもしれませんが、わたしも前によくわからないルールを体験したことがあるんです」
唐突な話題の切り替わりに少し戸惑うが、早坂のことだからきっと意味があるのだろう。彼女を信頼して、俺は合いの手を入れる。
「へえ、どこで?」
「入学してすぐに行われた新入生クラブ勧誘会で、茶道部の先輩にお茶をいただいたんです。茶道の作法を知らなかったので、見よう見まねでどうにか乗り切りましたが、たぶん作法的には間違いだらけだったと思うんです。あれも、よくわからないルールを体験したことになるのではないでしょうか」
各クラブの代表が、新入生を対象に勧誘を行う学校行事だ。俺も一年の頃に、参加したのをおぼえている。
「茶道は、まあ、漠然としたイメージはあるけど、正確な作法はよくわからないよな」
「そこで、ふと思ったんですけど、茶道部はおもてなしの機会が多い分さまざまな不作法を経験していると考えられませんか。茶道部の人に話を聞けば、不作法の対処法や許容できる範囲のヒントをえることができるんじゃないかと思いました」
その着想は、理屈としてはうなずけるものがあった。
「なるほど、茶道部か――」一瞬納得しかけたが、すぐに不穏な気配が脳裏をよぎる。「ちょっと待て、茶道部?!」そこは、俺が絶対に踏み入れたくない場所だった。「ダ、ダメだ。茶道部だけは関わっちゃいけない!」
早坂の視点では、さぞかし突拍子もない言動に感じたことだろう。レンズ越しでも、いぶかしんでいる様子が伝わってくる。
「どうしてですか?」
当然返される疑問に、俺は答えられず口ごもる。頭がうまく働かず、言い訳さえも出てこない。
「ダメなものは……ダメなんだ。とにかく茶道部はなしだ、他の方法を考えよう」
どうにかこうにか吐き出した理由になっていない拒絶を、早坂は不審そうな顔で受け止めた。
しばらく逡巡したあと、彼女は首をひねると同時にうなずいてみせる。納得はしていないが、了解したといったところか。
「わかりました。茶道部にはわたしが行ってきます」
「うん、うん?」
思わぬ展開に、混乱して理解に時間がかかった。
「センパイが行けないなら、わたしが話を聞いてきますよ。大丈夫、うまくやってみせます」
「いや、そういうことじゃなてだな。茶道部を頼るのはやめとこうってことで……」
「やるだけやってみましょうよ。収穫がなかったときは、そのときまた考えればいいじゃないですか」
強い口調で、早坂は頑としてゆずらない。この案に自信があるというよりは、俺の曖昧な態度に反発しているように感じる。
唇をちょこんと突き出した、普段見せないすねたような表情が印象的だ。
「ダメな理由、教えてくれないですよね?」
またも口ごもった俺の姿にため息をもらして、早坂はプイッと顔をそらすと図書室を出ていく。
かなり迷ったが、どうなることか気がかりで後を追った。茶道部部室内まで付き添うつもりは毛頭ないが、状況だけは確認しておきたい。
職員室や生徒会室が並ぶ三年棟の一階に、茶道部の部室はあった。なんでも茶道に傾倒していた前校長が、学校内に茶室を作ったことが茶道部のはじまりらしい――という話を、以前聞いたことがある。
「なあ、早坂、本当に行くのか?」
茶道部部室前で、未練たらしい最後の確認をする。
「はい、行きます。どうして茶道部がダメなのか、理由を教えてくれるなら考える余地はありますけど」
メガネの奥から、じとっと湿っぽい視線が向けられる。俺は顔をひきつらせて、思わず目をそらしてしまった。
逃げ道はないものかと頭をしぼっていたとき――ふいに背後から「あっ」と驚きの声が聞こえた。おずおずと振り返った先には、よく知る女生徒が立っていた。
最悪の展開だ。彼女と出くわすのを恐れて茶道部をさけようとしたのに、言い訳探しに必死になって気配をまったく察せなかった。
「どうしたの、ケイちゃん」
なつかしい愛称で呼ばれて、顔が強張る。彼女の名前は、
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