<5.キミの作ったみそ汁が飲みたい>

 平沢先輩に呼び出されたのは、二日後のことだった。放課後になると、俺と早坂は揃って調理室に足を運ぶ。

 調理室前の廊下に差しかかったときから、少し様子が違っていた。いつもは静まり返っている調理室に、にぎやかな気配が漂っていたのだ。


 俺と早坂は顔を見合わせて、ためらいがちに扉を開く。

 調理室にいた十人ほどの生徒が、いっせいに俺達を見た。そこにいたのは全員が女生徒、その目には好奇の光が灯っている。


「こんにちは」と、誰とはなしに挨拶の声が響く。

 ひるみながらも、かろうじて会釈を返した。俺の背中に隠れながら、早坂が小声で「こんにちは」と言っていた。


「おっ、来た来た」


 女生徒達の奥から、平沢先輩が手にしたグラスを軽く振りながらあらわれた。グラスのなかで、無色の液体が揺れている。その中身については――あえて聞かなかった。


「今日は部活の日なんですね」


 調理台の上には、いくつも食材が並んでいた。普段は収納されている調理器具も、仕事を待ちわびるように揃っている。

 料理部の部員に、俺達をいぶかしむ様子はない。おそらく事前に話を通してくれたのだろう。


「いつもは部外者は呼ばないんだけど、今回は特別にご馳走しようと思ってね」

「はあ、そうなんですか……」


 学校で一番人気の女子に手料理を振る舞ってもらえるのは、男子として光栄なことなのだが、何か裏がありそうで勘繰ってしまう。

 そして、その邪推があながち間違っていなかったことは、すぐに判明する。


「その代わり、キミ達もわたしにご馳走してよ」

「俺達がですか?」


 奇妙な交換条件に困惑して、俺はわずかに身構えた。


「キミの海外にいる友達が、あの納豆で作った豚汁をおいしかったと言ってたって知らせてくれたでしょ。あれから考えたんだけど、ちょっと信じられないんだよねぇ。わたしが提案したレシピではあるんだけど」


 平沢先輩も俺と同じ疑問を抱いていたようだ。しかし、それがとどうつながるのか、よくわからない。

 ますます困惑して顔をしかめた俺を見て、平沢先輩はふうわりとした笑顔を浮かべる。


「だからね、実際作ってみようよ。材料は用意したから、納豆の豚汁を作って味を確かめてみない」

「えっ、俺がやるんですか?!」

「うん、そう」のんびりした口調だが、まったくためらうことなく平沢先輩は言った。「キミ達が作って」


 いきなり作れと言われても困ってしまう。料理なんて、ほとんどやったことがない。


「だったら、平沢先輩が作ってくださいよ。そっちのほうが絶対おいしくなる」

「それじゃあ意味がないでしょ。その友達が料理の腕におぼえがあるっていうのなら、わたしが作ってもいいけど、そうでないならキミ達が作ったほうがいい。できるだけ条件を近づけて作らないと、味の確認にならない。彼は料理が得意だったの?」

「いえ、包丁持ってるとこ見たことないです……」


 知るかぎり陽介が作っていた料理は、せいぜいインスタントラーメンくらいだ。

 もしかすると異世界で料理に目覚めている可能性もなくはないが、それを勘定に入れるのは不当だろう。


「どうする、早坂」

「わ、わたしは……無理です」


 どんな無茶ぶりにも付き合ってくれた早坂が、青い顔で激しく首を左右に振った。サラサラの髪がメガネにかぶるほど乱れている。

 呆気に取られた俺に代わり、「どうして?」と、平沢先輩がやさしく問いかけた。


「わたし、不器用で料理苦手なんです。で、できません」

「今回の豚汁作りには、ちょうどいいじゃない。やってみなよ」


 よほど自信がないのか悲壮感まで漂わせる早坂に、平沢先輩は笑顔のままこともなげに言ってのける。

 俺としては、そんなに嫌ならやらなくてもいい――と思うのだが、先輩はふうわりした態度で、どんどんと追い詰めていく。


「そうやって、ずうっと逃げるの。いつか好きな人ができて、手料理を作らなきゃいけないときがくるかもしれないよ。そのときも、不器用だから料理は作りませんって断るつもり?」


 いまにも泣き出しそうな顔で、早坂が助けを求めてくる。メガネの奥で潤んだ瞳を、見て見ぬふりとはいかなかった。


「俺も手伝うから、やってみようか」

「ダメダメ、そういうときは、こう言うんだよ。キミの作ったみそ汁が飲みたい――はい、復唱!」


 微妙にズレた、とんちんかんな発言だ。しかし、ここは調理室で周りにいるのは料理部の部員達である。部長が正しいと言わんばかりに、部員の期待に満ちた視線が集まっていた。

 俺はしかたなく、言われたとおり復唱する。緊張で、ひどくかすれた声だった。


「キミの作ったみそ汁が飲みたい……」

「まあ、豚汁なんだけどね」


 まるで公開プロポーズだ。部員から歓声が上がる。

 羞恥で肩を震わせた俺を不憫に思ったのか、耳まで真っ赤に染まった早坂が小さくうなずいてくれた。彼女にしても、とんだ辱めだったことだろう。


「それじゃあ、がんばって作ってね」


 食材の用意された調理台に押し込められる。もう、やるしかない。

 俺は納豆をペースト状になるまで包丁で叩くことになった。フードプロセッサーを使えば楽に潰せるが、それでは条件が変わってくると却下された。延々と納豆を叩きつづける――腕の疲労感がどんどん溜まっていく。


 その間に早坂は、大根、人参、里芋と野菜を切り分ける。包丁を持つ早坂の手つきは危なっかしかったが、そばについた平沢先輩が注意して見てくれていた。手出しはしないが、アドバイスはくれる。早坂が自分の不器用さを理解していることもあって、慎重に調理するのでケガの心配はなさそうだった。


 料理が苦手というのは本当だろうが、経験がないだけで悲観するほどのものではないと思う。早坂は自己評価が少し低すぎるんじゃないだろうか。


「こんなもんでいいかな……」


 まだ多少粒は残っていたが、どうにかこうにか納豆の叩き作業を終わらせる。お次は鍋に油を引いて、豚バラ肉を炒める作業だ。

 そこに早坂が切り分けた野菜を投入、頃合いを見て水を注いでわかす。

 煮立つのを待つ間――これだけは時間がかかると前もって準備してくれていた干しシイタケの戻し汁で、納豆ペーストを伸ばしていく。


「そろそろ、いいんじゃないかな」


 平沢先輩のゴーサインに従い、戻し汁を入れて納豆ペーストを味噌の要領で溶いていった。

 湯に色がつき、見た目だけは豚汁のようだ。ただ当然ながら味噌のにおいはしない。うすまってはいるが、納豆臭が漂っている。


「こんなもんですかね」

「そうだね、うん、もういいと思うよ」


 こうして納豆の豚汁が完成した。平沢先輩はお椀に注ぎ、スマホで撮影をする。

 料理部では作った料理を、すべてデータベース化しているという話だ。部長判断に口出しするつもりはないが、こんなキワモノ豚汁をデータに加えていいのだろうか。


「さっそく試食しましょうか。どんな味かたのしみだなぁ」


 俺達はそれぞれお椀を手にして、目配せをしたあと、同時に口をつけた。ズズっと音を立て、粘りのある汁を胃袋に流し込む。

 かすかに舌が味噌の味をとらえた。本当にかすかな味わい――すぐに納豆とシイタケの出汁に覆い隠される程度の、ささやかな風味だ。


「うん、まずくはないね。ちゃんとしたお汁になってる。ただ味噌ではないかな」

「味噌のテイストもかすかにあるような気はしますけど、納豆感がちょっと強いですね」


 それが、平沢先輩と早坂の感想だった。俺も同意見だ。

 汁物としては次第点だが、これを豚汁と呼ぶのは無理がある。


「あいつ、この豚汁もどきで、なんで満足したんだろ。俺らに気をつかってくれたのか?」

「もしかしたら、記憶のなかのお味噌の味が曖昧になってるんじゃないでしょうか。ちょっとでも風味を感じることができたら、それが本物だと錯覚してしまうくらいに」


 陽介からすると転生して十数年たっており、その間に一度も味噌を味わっていなかったわけだ。実際に味を知っている肉体でもないときている。記憶違いしても不思議ではなかった。

 これなら和テイストでさえあれば、いくらでもごまかせたのではないかという疑惑が立つ。


「もうちょっとうまくいくと思ってた。なんか悔しいなぁ」珍しく平沢先輩の顔に真剣味が宿る。「本気で味噌の味の再現、研究してみようかな」


 いろいろと問題のあるぐうたらな先輩だが、料理に対しては本気だ。本人は料理人は無理だと言っていたが、この気概があるなら充分やっていけるのではないかと思った。

 俺と早坂は顔を見合わせると、同じ気持ちを共有して苦笑を交わす。


「いつかリベンジしたい!」


 実を言うと、その機会がないわけではなかった。

 陽介は結果報告の際に、また無茶ぶりの種を蒔いていたのだ。


『いやぁ、本当にうまかった。でも、なぜか仲間の評判は悪かったんだよな』

「いきなり知らない味を食わせたら、そりゃあ拒絶するだろう。味噌をまったく知らない異世界の人間なら、なおさらだ」


 味噌どころか実質納豆だったことを思うと、評判が悪い程度ですんでよかった。知らないで食うには、納豆はあまりにハードルが高すぎる。


『あいつらに、うまい飯を作ってギャフンと言わせたいな。何かいい料理ないかな――というか、昨日何を食った?』


 嫌な予感しかしないが、しかたなく答える。


「コロッケとイカフライとナスの煮びたし、それとかす汁――」

『かす汁!』案の定、陽介の声が跳ね上がった。『うわぁ、いいなぁ、かす汁。オレ、豚汁の次に好きな汁物がかす汁なんだよ。すげぇ食いたくなってきた』


 まったく同じパターンの繰り返しだ。

 俺はため息をつき、前もって言っておく。「嫌だ」


『兄貴、かす汁の作り方を考えてくれよ!』

「だから、嫌だって言ってるだろ!!」


 料理に悩まされる日々は、もう腹いっぱいだ。当分の間はゆっくりしていたい。

 俺は改めて豚汁もどきをすすって、しっかりと味わい言った。


「リベンジはやめときましょうよ、やっぱり味噌は買うものだ」

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