<2.料理部の秘密>

 平沢羽織を一言であらわすなら、だろうか。

 顔立ちの系統も、身にまとった雰囲気も、優しいふうわりとした印象でくるむことができる。


「そんなとこにいないで、こっちにおいでよ」


 口調はふうわりと言うよりは、おっとりのんびりといった感じ。彼女を構成する何もかもが、やわらかい素材で作られているような感覚を味わう。制服では押さえきれない胸の膨らみも、とてもやわらかそうだった。


「一年の早坂満です。今日は時間をとってもらって、ありがとうございます」

「いいよいいよ、どうせヒマだし。ミチルちゃんは、ポン子の妹の友達なんだって?」

「あっ、はい、そうです。ポン子先輩にはかわいがってもらってます」


 ポン子というのは――平沢羽織と親しいという、早坂の友人「本庄市子ほんじょう いちこ」の姉「本庄貴子(ほんじょう たかこ)」のあだ名と聞いている。

 ちなみに、姉のあだ名の影響で本庄市子はポン子2という不名誉な呼び名があるそうだが、けっしてポンコツではないとのこと。


「そっちの男の子は?」

「二年の倉本です」何を付け足すべきだと思いながらも、それ以上言葉がつづかなかった。気の利かない男だと、我ながら情けなくなる。


 あっさりしすぎた挨拶に、ほんの少し拍子抜けした様子だったが、平沢先輩は笑顔を絶やさず俺達にイスを薦めてくれた。

 俺と早坂が並んで座り、間に小さな机をはさんで、向かい合う位置に平沢先輩が座った。


 平沢先輩は机によりかかり、頬杖をつく。その姿勢が楽なんだと思う。たっぷりとしたボリュームのある胸が、机の天板に乗っかっている。

 ちらりと隣に目を向けて、声を出さず笑う。早坂はマネできそうにない。


「それで、わたしに聞きたいことって何かな?」

「平沢さんは料理部の部長さんで、料理にくわしいって聞きました」

「えー、ただ食べるのが好きなだけだよぉ。くわしいってほどじゃない」


 平沢先輩はほがらかに笑う。謙遜なのか照れなのか、その顔からは判断できない。


「その平沢先輩に聞きたいのは――」

「あっ、ちょっと待って」


 わずかに首をかしげた平沢先輩が、のんびりした口調で制止した。ポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを起動する。どうやら通知があったようだ。

 画面に表示されたメッセージを、ぱっちりとした大きな目が追っていく。最後まで読み終えたときには、そのふうわりとした顔を若干曇らせていた。


「しまった。今日だったかぁ、すっかり忘れてた」平沢先輩が申し訳なさそうに俺達を見る。「ごめんね、今日やらなきゃいけないことあったんだ。ちょっと隠れててくれないかな」


 先約があったならしかたがない。だが、隠れる?――俺達は困惑して顔を見合わせる。


「先輩、隠れるってどういうことですか?」

「いいから、どこでもいいから早く早く!」


 俺の疑問を押しのけて、平沢先輩は急かしてくる。しかし、調理室に隠れられそうな場所は見当たらない。

 目についたのは、大きな冷蔵庫。でも、ここに隠れるのはさすがに無茶だ。


「センパイ、ここならいけます」


 そう言って早坂が指した場所は教卓だった。通常の机よりも大きい作りとはいえ、二人で隠れるスペースとしては少々せますぎる。


「早坂はそこに隠れてろ。俺は他を探す――」

「そんな時間はないよ!」


 平沢先輩に問答無用で、二人まとめて無理やり押し込められた。密着して抱き合うような形となり、教卓のなかにぴったりとおさまる。

 俺の胸に顔を埋めた早坂が、恥ずかしそうにもじもじと動く。細っこい体だというのに、思いのほかやわらかくて温かい。よこしまな思いがムクムクとわき起こりそうになったが――早坂が俺の右足に体重をかけて、そんな気持ちは痛みで上塗りされた。


「そこで、おとなしくしててね」


 平沢先輩が小声で命じた直後、調理室の扉が開いた。コツコツと床を蹴る足音が近づいてくる。


「今年の分、できあがったの、平沢さん」

「はい、先生。今年もできちゃいました」


 教卓のなかから外の様子を確認することはできないが、その声でやってきた人物を特定するのは簡単だった。竹田真優先生だ。

 竹田先生はバレー部の顧問で、料理部とは無関係であったと記憶している。平沢先輩と竹田先生――どのような間柄なのか知らないが、二人の間に微妙な緊張感が漂っている気がした。


 キキッと金属がこすれる音がして、間を置かずごそごそと物を動かす気配がする。おそらくはスチール棚を開けて、何かを取り出そうとしているのではないだろうか。

 かなり重いものらしく、「よいしょ」と平沢先輩がかけ声を口にする。


「持ってきた紙袋に入るかしら」

「うーん、どうかなぁ。空のダンボールがあるんで、そっちに詰めていきます?」

「そうね、そうしようか。生徒に見つかったら大変だもんね」


 二人して取り出したモノを箱詰めしているようだ。なんだか、いけない取引現場にまぎれ込んだ気分になる。

 早坂も似たような思いを抱いているのか、俺の胸に頬をつけたまま不安げな視線を向けていた。


「よし、これでいいかな」作業が終わったようで、平沢先輩の声から緊張が解ける。「では、をお願いします、竹田先生」

「わかりました。責任を持って処分します」


 扉が開き、しばらくして閉まる。妙なタイムラグは、竹田先生が離れれるのを確認していたからだろう。


「もう出てきていいよ」と、平沢先輩のお許しがでた。俺と早坂はもつれながら教卓を抜け出す。

 じっと息を詰めて固まっていたこともあり、緊張感で体が熱を帯びていた。特に早坂と重なっていた部分は、吹き出した汗でじっとりと湿っている。


 深呼吸で体内の換気をして、ようやく人心地がつく。俺はいやに疲労した体を起こし、教卓を支えにして立ち上がった。ちょうど視界の奥に、半端に戸が開いたままのスチール棚が見えた。


「さっきのなんだったんですか?」

「いまさら隠してもしょうがないか。他の子にはないしょにしてね」


 平沢先輩はやわらかな笑顔を浮かべて、スチール棚の戸を全開にした。なかには大きな瓶が二つ置かれている。

 瓶には琥珀色に染まった液体が入っており、底に無数の粒が沈んでいた。


「料理部には代々伝わる秘密のレシピがあるんだ。そのなかでも部長にだけ伝授される、特別な梅ジュースの作り方がある」

「う、梅ジュース?!」

「これが作るの難しくて、毎年一瓶は発酵してジュースじゃなくなっちゃうんだ。それを先生に処分してもらってるの、処分代として部費をちょっとばかし増やしてもらってね」


 とんでもないことを、やさしい笑顔で言ってのける。


「あの、それ、梅し――」


 俺は慌てて早坂の口を塞ぐ。深入りしてはいけない案件だ。


「そうだ、梅ジュースご馳走するね。今年はいいできなんだ、おいしいよ」


 平沢先輩は瓶を取り出すと、調理室を回ってジュースに必要なモノを集めてくる。三人分のグラスに、冷蔵庫から炭酸水、冷凍庫からは氷を、さらになぜかタッパーに入ったチャーシューを持ってきた。

 このチャーシューは料理部で作ったものらしい。お茶請けならぬジュース請けという話だが、どちらかと言えばおつまみ――いや、やめておこう。


「はい、どうぞ」


 炭酸水で割った梅ジュースを、押しつけられるように手渡された。グラスのなかの氷が、カラリと音を立てる。

 平沢先輩からの口止め料、もしくは共犯者への手引きに思えて、なかなか口をつけることができない。


「あっ、おいしい。さわやかな味ですね!」


 俺のように深読みすることのなかった早坂は、ためらいなく梅ジュースを飲み、感嘆の声をもらした。お世辞ではなく本心からの感想であることは、レンズ越しの輝いた目を見ればわかる。

 興味を引かれて、おそるおそるグラスに口をつけた。プチプチと弾ける炭酸に混じり、ほどよい甘みと酸味の波が喉の奥に流れ込んでいった。

 どちらかと言えば酸っぱいものは苦手なのだが、角が取れたまろやかな酸味でとても飲みやすい。早坂がさわやかと称した理由がよくわかる。


「こっちもどうぞ」と、平沢先輩はタッパーのチャーシューを薦めてくる。

 爪楊枝で刺して、一切れ口にする。ジュワッと甘ダレのきいたやわらかない豚肉が、ほろほろと口のなかで解けていった。


「うわ、うめぇ……」


 これがおかずなら、何杯でも飯が食えそうだ。料理部あなどりがたし。


「気に入ってもらえてよかった。好きなだけ食べてね」


 机によりかかりながら、平沢先輩がうれしそうに言った。彼女が手にしているグラスの中身も、俺達と同じ梅ジュースのはずなのだが、ちびりちびりと舐めるように飲む姿から、まるで別物のように感じる。

 心なしか平沢先輩の頬が赤らんで見えるのは……気のせいだと思いたい。


「そうだ、何か聞きたいことがあったんだよね」


 俺はグラスを一旦置いて、居住まいを正した。ようやく本題だ。


「平沢先輩は、味噌の作り方を知ってますか?」

「味噌? うん、知ってる。料理部で醸造所に見学に行ったこともあるよ。生味噌を食べさせてもらったけど、あれはおいしかったなぁ」

「簡単に作れる味噌ってないですかね」


 平沢先輩はしばらく俺の顔をじっと見つめたあと、こてんと首をかしげた。グラスの氷がカラリと鳴った。


「あのね、味噌は作るものじゃないよ。買うものだよ」

「買うもの……」

「個人で作るには面倒が多すぎるんだよ。作れたとしても、味は期待できないだろうし。味噌はプロの職人さんが作ったものを、ありがたくいただくのがいいよ」


 言いたいはことは、よくわかる。もっともだと思う。でも、それで終わらせられない事情があった。


「そこをなんとかなりませんか。味は落ちてもいいんで、それっぽいものができさえすればいい」

「そんなこと言われてもなぁ。どうして作るの、買っちゃあダメなの?」


 言葉に詰まった俺に代わり、早坂がありあわせの理由をでっちあげてくれた。


「海外にいる友達が、味噌を作りたいって言ってきたんです……」

「送ってもらうんじゃ満足しないんだ、変わった子だねぇ」


 無理のある設定かと思いきや、平沢先輩はまったく意に介さなかった。器の大きい、おおらかな先輩だ。大雑把とも言うのかもしれない。

 平沢先輩はグラスを揺らして氷を回しながら、しばし思案にふける。遠心力で縁に上がってきた梅ジュースは、こぼれそうでこぼれない、ギリギリのところでせめぎ合っていた。

 フッと手を止めて、平沢先輩はグラスに口をつける。梅ジュースは一滴もこぼれることなく、唇を濡らして喉の奥に消えていった。


「味噌作りに必要な材料を送るのもなし?」

「なしで、お願いします」

「無茶な条件だなぁ。そうなると、キン探しからやる必要があるのか――」


 俺は意味がわからず、視線を泳がせて戸惑った。


「あのって、どういうことですか?」

「そりゃあキンはキンだよ。味噌作りに必要不可欠な麹菌こうじかびを見つけないことには、はじまらない」

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