『勇者、故郷の味を想う。』
<1.豚汁食べたい>
「センパイ、今度は何を頼まれたんですか?」
図書室の本棚を見て回っていると、図書委員の早坂に声をかけられた。
俺は肩をすくめて、手にした書籍を彼女に渡す。早坂は不思議そうに、俺と本の表紙を交互に見た。
「料理のレシピ集……ですか?」重なっていた二冊目以降も、似たようなものばかり。「簡単時短料理、料理の基礎、ジビエ料理を作ってみた――」
方向性の違いはあれど、どれもこれも料理の本だ。学校の図書室だというのに意外と種類が豊富で、条件に応じた各分野の料理本が揃っている。ただ俺が求めていたモノとは、根本的に違っていた。
どうしようかと頭を悩ませているときに、タイミングよく早坂が来てくれたわけだ。
「昨日の夜、陽介から連絡がきて、ちょっとめんどうなことを頼まれた」
早坂がパクパクと口を動かす。声にはならなかったが、何を言おうとしたのかは唇の動きでわかる。「またですか」だ。
俺は苦笑しながら、ことのあらましを説明した。
『兄貴、元気にしてっか』
上機嫌の陽介から連絡がきたのは、そろそろ寝ようとベッドに潜り込んだ直後のことだった。睡魔に意識を絡み取られながら、ぼんやりとスマホに耳をかたむける。
気を抜くと眠りに落ちそうな朦朧とした状況で、けだるい声をやっとの思いで吐き出す。
「用件はなんだ?」
『そんなんじゃねえって――いや、そのつもりだったんだけど、そんなんじゃなくなった』
「もうちょっと、わかりやすく説明してくれ」
陽介が妙に明るい。感情を隠すことのないわかりやすいヤツなので、何かいいことがあったのだろう。
『今日さ、暴れペガサスを倒したんだ。空を飛ぶ厄介なモンスターだから、また兄貴に攻略法を頼もうと通話の用意をしてたんだけど、たまたまうまいこといって倒すことができた。だから、今回は別に頼み事はないんだ。通話用に溜めてた
暴れ馬は聞いたことがあるが、ファンタジーな異世界では、それがペガサスになるらしい。まったく暴れている姿は想像できないが、無茶ぶりを押しつけられないならどうでもよかった。
俺は適当に相槌を打って、適当に祝福する。そんなことより、早く寝たい。
『それでさぁ、倒したペガサスをさっき食ったんだけど――』
「えっ、食ったのか?!」
これには驚いて、眠気が少し吹き飛んだ。
『ペガサスって羽が生えてる馬だぞ。馬肉だよ、馬肉』
馬といえば馬だが、食肉にしようという発想に戸惑う。こっちと異世界では、やはり感覚がだいぶ違うようだ。
「ずいぶんとワイルドな食生活を送ってるんだなぁ。うまいのか、ペガサスって」
『うまいよ、食えるまでかなり時間がかかるけど。肉がとにかく固くて筋張ってるから、すげぇ長く煮込まなきゃいけないんだ。くさみも強いからスパイスやら香味野菜をたっぷりと鍋にぶち込んで、二十時間くらいひたすら煮込みまくる。できあがるまでに腹ペコで死にそうになるけど、完成したペガサスの煮込みは肉がトロトロに柔らかくなって、まるで溶けていくみたいになくなる。肉を食うというより、うまみをギュッと濃縮した肉スープを飲んでるみたいなもんだな』
思いのほかうまそうな描写で、寝入り前だというのに腹が減ってきた。
俺はペガサスの味を妄想しながら、よだれがこぼれそうな口元を何度も拭う。
「異世界の料理、あなどれないな……」
『まだ洗練されてない部分もあるけど、結構いけるの多いぞ。タントーロ――そっちで言うビーフシチューなんかも最高だ。こってりしてて、飯を何杯でも食える』
「へえ、主食は米なのか。ちょっと意外」
『米とパン、半々ってところかな。地域によってだいぶ差がある。そういうとこは、世界共通だな』
これまで気にしたことはなかったが、異世界の食事情は案外振興しているようだ。正直少し舐めていた。
考えてみれば、人が生きていくうえで食は欠かせないもので、創意工夫にいたらぬはずがない。誰だって――異世界の人間だって、うまいものを食いたいと思う。当然のことだ。
『兄貴は、今日何を食ったんだ?』
陽介が何気なく質問を繰り出す。話の流れに乗って口にしただけで、そこに他意はなかったことだろう。
しかし、これが厄介の種となる。
「焼き魚と大根の煮物、それと豚汁だな」
『豚汁!』いきなり陽介の声が跳ね上がった。『うわぁ、いいなぁ、豚汁。オレ、大好物なんだよ。すげぇ食いたくなってきた』
さすがに異世界にも、豚汁はないらしい。陽介にとっては故郷の味だ、心からの切望が声ににじんでいる。
「レシピくらいなら、すぐに調べられるぞ」
これまで吹っかけられた無茶ぶりに比べれば、たやすい仕事だ。
俺は豚汁で検索して、一番上に表示されたレシピをそっくりそのまま教えてやった。
「あの、それの何が問題なんですか?」
結論に行きつく前に、早坂が口をはさむ。ちょっと先走りすぎてしまったことに気づき、彼女は恥ずかしそうに頬を染めてうつむいた。
俺は苦笑して、サラサラ髪の頭頂部に軽いチョップをかます。これでチャラだ。
おずおずと早坂が顔を上げると、メガネが斜めにズレていた。
「問題は材料だ。肉も野菜も近いものが揃っているらしいんだけど、肝心の味噌が異世界にない。どうにか作れないものかと言ってきた」
「お味噌を……作るんですか?」
早坂の声に困惑がこもる。その気持ちはよくわかった。
ざっと調べたところ、発酵食品の味噌を作るには手間ひまかかる工程があり、長い熟成期間を必要とした。一朝一夕で作れるものではない。しかも、勇者として各地を転々としている陽介に、作業場を用意する余裕はないときている。
「簡単に作れる味噌ってあるのかな?」
「さあ、どうなんでしょうね。調べてみましょうか」
申し訳ないと思いながらも、また早坂を頼ってしまう。一人で探すには、どうしても限界があった。
手分けして図書室を回り、ネットも調べ回る――が、これといった成果もなく時間ばかりがすぎていき、この日はお開きとなった。
「明日までに何か方法を考えてみます」と、別れ際に早坂が真剣な面持ちで言った。迷惑をかけてばかりで頭が下がる。
そして翌日、結果報告をするために、朝の通学路で早坂は俺を待ちかまえていた。心なしか顔色が悪い、メガネも少しズレている。
無理をして、いろいろと調べてくれたのだろう。感謝はもちろんあるが、それ以上に何がそこまで夢中にさせるのか疑問が膨らむ。
「そんなに急がなくていいんだぞ。今回の件は、別に解決しなくても陽介が我慢すりゃいいだけの話なんだ」
「そうですけど、かわいそうじゃないですか。好物をもう食べらないって、すごい悲しいことだと思うんですよ」
「うーん、そうかもしれないけどさぁ……」
まだ右足が不自由な俺の隣につき、早坂は歩調を合わせてゆっくりと歩いてくれる。時おり肩がふれあうこともあったが、以前のように遠慮する素振りは見受けられなかった。
出会った頃からすると、だいぶ気安い関係になったと思う。そのせいで、早坂に甘えてしまう自分がいた。
「それで、何かいい方法は思いついた?」
「いいえ、わたしなりに考えてみましたが、とっかかりも思いつきませんでした」
「そうだよなぁ、しょうがない」
「でも、料理にくわしい先輩を紹介してもらえました。三年の
「えっ、あの――」
俺はドキリとして、目を瞬かせる。その先輩のことは知っていた。直接のかかわりはなくとも、ほとんどの男子が認識しているのではないだろうか。
男子の間で秘密裏に行われている学校の女子を対象とした人気投票で、二年連続一位を獲得した美人の先輩だ。どこそこの芸能事務所からスカウトされたことがあるとか、彼女を狙う男子が牽制しあったことで料理部に男子部員がいないとか――そんなウワサ話を何度も耳にしている。
「わたしの友達のお姉さんと平沢先輩が親しいらしくて、話をつけてもらったんです。放課後に時間を作ってもらえました」
「マジかよ。平沢さんと話せんの?!」と、思わず声が上ずり、笑顔がこぼれる。
そんな俺を、メガネの奥の冷え切った目がじっと見つめていた。背筋に悪寒が走り、ブルッと身震いする。
「倉本くんのために会うんですよ、それを忘れないでください!」
「わ、わかってるって……」
「では、放課後に迎えに行きますので、そのつもりで用意しておいてくださいね」
気づくと、すっかり早坂に仕切られている。なんだか俺のほうが、後輩みたいで情けない。
ここは男として、かじ取り役を奪い返したいところだが――これといって指示する方策もないので、結局おとなしく従うしかなかった。
何事もなく時はすぎ、放課後となる。俺は早坂と合流して、待ち合わせの調理室に向かう。
ガスや水道が設置されている関係からか、調理室は三年棟の隅にあり、他の教室と少し離れた場所にあった。そのため調理室前の廊下に人気はなく、息が詰まるほどの静寂に包まれている。
早坂は調理室の扉をノックして、「失礼します」と声をかけてから開けた。
複数の炊事場が並ぶ部屋の奥で、ぼんやりと窓の外を眺める人影を見つける。背中まで届くゆるいウェーブのかかった長い髪を揺らし、ゆったりとした動作で彼女は振り返った。
「あなたがポン子の言ってた一年生?」
料理部部長の平沢羽織は、端正な顔をゆるめて穏やかな笑顔を浮かべた。
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