<4.カネは天下の回りもの>

 須間が集合に指定したのは、朝早く学校の図書室だった。重いまぶたをこすりながら図書室に入った俺を、先に来ていた早坂が出迎える。


「おはようございます、センパイ」

「ふあう」あくびと返事が混じり合い、間抜けな声がもれる。「おはよう、早坂。こんな早くに悪いな」

「いえ、全然大丈夫です」と、さわやかな笑顔で早坂はイスを引いてくれる。本当にできた後輩だ。


 俺はどっかり腰を下ろして、ぐるりと周囲を見回した。


「言いだしっぺは、まだみたいだな」


 須間の姿はどこにも見当たらない。ムリして早起きするんじゃなかったと、脱力して長テーブルに身を預ける。

 隣の席に座った早坂は、苦笑しながら紙袋をテーブルに置いた。


「センパイ、朝ごはん食べました?」

「食ってない。食ってる時間がなかった」

「それなら、いっしょに食べませんか」と、紙袋を開けてパンを取り出す。


 学校近くのパン屋『なかや』のサンドウィッチとクリームパンだ。陽介は『なかや』のクリームパンが好物だったことを思い出す。


「ありがたいけど、図書室って飲食禁止じゃなかったっけ?」

「あ――」すっかり失念していたらしく、早坂はあんぐりと口を空けた状態で固まった。「えっと、ないしょしてもらえませんか?」

「じゃあ、口止め料として少しもらおうかな」


 はにかんだ早坂が、サンドウィッチを半分わけてくれた。空腹ということもあって、さっそく頬張り、あっという間にたいらげる。特性マヨネーズがピリリときいた、うまいハムサンドだ。

 早坂はクリームパンも半分こにして俺に差し出す。ちょっぴり餌づけされてる気分になった。


 そうして二人でパンを食べていると、図書室の扉が開き、ボサボサ髪のギャルが入ってきた。ずいぶんとくたびれた顔つきで、じろりと俺達に目を向けたのは、間違いなく須間だ。身支度している時間がなかったのか、いつもとだいぶ雰囲気が違う。


「何をイチャイチャしとんねん。けったくそ悪い」


 声も刺々しく、不機嫌極まりない。


「お前なぁ、遅れてきて、なんだその態度は!」

「低血圧で朝弱いんやからしゃあないやろ。こういうときいたわれんようやと、メガネちゃんにいつか愛想つかされんで」


 自分で時間を指定しておきながら、この言い草。ムカムカと腹の底に苛立ちの虫がわいてくる。


「いい加減にしろよ、須間……って、あれっ、その顔――」

「だー、見んな見んな。まだ手ェつけてへんね」


 須間は脱色した髪を前面に集めて顔を覆い隠す。化粧をせずに来たらしく、全体的に素朴な顔立ちで、パーツごとの幼さが際立っていた。

 慌てた様子で須間が陣取ったのは、俺達から離れた席だ。背を向けて座り、カバンから化粧道具を引っ張り出している。


「おい、ここで化粧する気かよ」

「別に化粧しながらでも話はできる。倉本の弟くんのために一晩考えてやったんやで、これくらいで文句言われちゃかなわんわ」


 早坂は目を輝かせて、いきおいよく身を乗り出した。距離感をあやまったのか、腹が長テーブルにぶつかりメガネがズレる。


「何か、いいアイデアは浮かびましたか?!」

「ご期待に沿えるかどうかは、五分五分かな。異世界の経済事情を完全に把握したわけやないから、ひょっとしたらまるっきり役に立たん可能性もある。それでもええか?」


 断る理由などあろうはずがない。俺も立ち上がって大きくうなずく。


「もちろんだ。是非聞かせてくれ!」

「ほんなら――」


 ファンデーションを塗る手を止めて、早坂は短く息を吸った。頭のなかで内容を整理しているのか、視線が天井に向く。

 早坂はどこからともなくペンとノートを取り出して、筆記の準備をはじめた。メガネに恥じぬマジメな子だ。


「どっから話せばええんやろなぁ。とりあえずゴール地点を先に言っとくと、うちはきんで稼ぐのがええんちゃうかと思った」

「キンって、ゴールドの金ってことだよな」

「それしかなやろ。他にあるかい」


 ノートに金と書いた早坂は、怪訝そうに須間を見る。落ちてしまうのではと心配になるくらい、眉がハの字に垂れ下がっていた。


「千里さん、異世界は金本位制で固定レートなんですよ。金投資で稼ぐことは難しいんじゃないですか」


 定額の決まっている金を売買したところで、収支はプラスにもマイナスにもならない。通貨の価値を金で担保する金本位制の仕組み上、換金レートを操作することはできないはずだった。


「そうなんやけど、レートは絶対やない。変動せざるえない状況に持っていくことは可能やと思ってる」

「え、どうやって……ですか?」


 須間は用意した鏡に顔をよせて、眉を描きながら話をつづける。


「金本位制っていうんは、通貨を金で担保しとる。確定で、これだけ払えば、こんだけの金と交換してもらえる――その逆もまた然り。金に応じて通貨をえられる。そうやって通貨の価値を保証しているわけや。そやから、その国が持っとる金の保有量以上の通貨を流通させることはできひん」

「そこから、何がどうなって金レートの変動につながるんだ?」


「金の量と流通通貨の総額は、釣り合ってないとあかん。では、それが崩れたらどうなるか。金が足らんと、通貨を新たに作りにくくなる。そうなると流通しとる通貨の価値が高くなって、その分物の価値は低くなっていく。つまりデフレが起こる。逆のパターンやと、通貨の価値が低くなって物の価値が高くなる。インフレやな」


 頭が混乱して、理解に時間がかかる。

 俺は早坂のノートをのぞき込みながら、一つずつ内容を整理していく。まるで授業を受けているような気分になってきた。


「金と通貨の均衡が崩れると、どっちに転ぶにしてもろくなことにならん。管理者は不胎化介入ふたいかかいにゅういうて、バランスを取るために調節すんのが普通や。ようするに金の買い戻しやな。そこで、固定レートのまま買いますわ――で通るわけがない。金が必要な管理側の、付け値に応じる理由はないしな。立場的に売り手が優位な状況になるから、交渉で交換レートを一時的に吊り上げることは可能やろう。その金の差額で儲けを出す。これが、うちの考えた異世界での儲け方や」


 説明を終えると、須間はフウと一息をつき、鉛筆状のアイライナーを取り出してアイラインを整えはじめた。

 早坂のノートに記入された、「差額で儲ける」の文字が引っかかる。


「まず金がないと話にならないな。どうやって金を手に入れたらいいのか――」

「センパイ、ドラゴンの肝ですよ。金と同等の価値があるって、倉本くんが言っていたじゃないですか」


「そういうこと。金と同価値やっていうんなら、購入希望者に金と交換してもらえばええ。もちろん対価としていただく金は、国主導か町主導かわからんけど貨幣を管理しとるところの金を一旦買ってもらって交換する。回りくどいけど、管理側の金を減らさんと意味ないからな。なんやったら弟くんの所持金分も合わせて金と交換って条件つけてもええかもね」


 完璧に把握できたわけではないが、よく考えられた計画だと俺は思った。これならうまくいくかもしれないと、期待に胸が膨らむ。

 しかし、ノートとにらめっこしていた早坂は、どこか不安げだ。何度も書きつらねた情報を読み返し、メガネを支えながら首をかしげる。


「あの、千里さん。わたしでは判断できませんが……そう簡単に、金と通貨の均衡を崩すことできるんでしょうか。個人の資産で、莫大な額となる国家の財政に影響を及ぼせるとは思えない」

「それなぁ」と、須間は一言で区切る。


 つけまつ毛に集中して、話す余裕がないらしい。ピンセットで慎重に位置を整え、時間をかけて装着する。

 できばえを見るために、いろんな角度を鏡に映して確認。満足したのか、ようやくつづきを口にした。


「うちの心配どころも、そこやな。国が完全にコントロールしてるなら、どんだけ金をかき集めても焼け石に水や。どうにもならん。でも、弟くんの話やと、まだ通貨制度は国中に浸透しているふうには感じひんかった。貨幣鋳造工房がウワサレベルってことは、流通ルートが確立されてへんのかもしれん。通貨制度の仕組みを理解した上で、現状においては地方都市のみで完結している状態なら、ワンチャンあるんやないかって、うちは思とる」


 国の支援が不充分な状況で、国の制度を遵守――結果として地方都市が、小規模な国のような形態を取らざるえなくなっている状態でなくてはならない。そう考えると、条件はかなり厳しく感じる。

 期待は一転して不安に塗りつぶされ、盛り上がったテンションはジェットコースターのように急下降した。

 さらに追い打ちをかけるように、須間がよけいなことを言う。


「ここまでグダグダ語ったけど、そもそも町の金を管理しとる役人が経済観念のないアホやったら、まったく意味ないで。何をやったところで理解できんと、規定通りにハンコつくだけやろな」


 確かに理解度が足りない場合は、金が減少したところで買い戻しをしようとは考えないだろう。そうなると、買取価格の交渉もやりようがない。

 俺は言葉に詰まり、助けを求めてちらりと早坂に目を向けた。


 だが、彼女も打つ手を見いだせないようで、困り顔のままノートを凝視している。どうにかページを埋めた文字のなかから、最善の方法を導き出そうと考えてくれているようだ。


「まあ、けど、大丈夫なんちゃう」


 図書室にこもった重い空気を振り払う、あっけらかんとした声が響く。ずっと背中越しに話していた須間が、やっと俺達に顔を向けた。

 つややかな濃い色のリップが、あざやかに唇を彩っている。須間は一通り化粧を終えて、見慣れた派手な顔立ちとなっていた。


「何を根拠に、そんなことを……」

「カネは天下の回りものって言うやろ。あれって、カネが回らんと天下は成り立たんってことでもあると勝手に思ってる。弟くんは形はどうであれカネを回そうとしとんのや、天下はきっと弟くんを味方してくれるわ」


 須間なりに、はげまそうとしてくれているのだろうか。よくわからない理論だが、妙な説得力を感じた。

 たぶん関西弁でまくし立てられると、理解よりも先に感情で押しきられてしまうのだと思う。


「本当に味方してくれんならいいけどな」

「信じてもええんちゃう。知らんけど」


 陽介から連絡がきたのは、その日の夜のことだった。早坂から借りたノートを見ながら、俺は須間考案の計画を伝える。

 今回は難色を示すことはなかったが、かといって乗り気というわけでもない。陽介は複雑な手順に困惑しているようだった――もしくは、単純に理解できていない可能性もある。頼みの綱は、知恵袋のエルフだ。


 何はともあれ、俺達としては、やれることはやった。ここらが奴隷商の待ってくれるタイムリミットだろう、もう次の手を講ずる時間はない。

 あとは異世界の勇者次第だ。

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