<2.図書室の相棒>
どうにかこうにか学校にたどり着き、授業中の教室に入る。俺の姿をとらえた瞬間、クラスメイトのざわめきが波のように広がっていった。
これといって目立つことのなかった俺が、ちょっとした有名人になった気分だ。
クラスメイトは授業そっちのけで、俺に注目している。事情を知る担当教諭は騒ぎを注意することなく、穏やかに登校を歓迎してくれた。
休み時間になると、俺の席にクラスメイトが集まり人垣ができる。無事だったことを喜ぶ声やケガの具合を心配する声が、幾重にも重なり絶え間なく降ってきた。
ただ誰一人として、必要以上に踏み込んでくる者はいない。いっしょに事故に遭った弟が死んでいる事実が、遠慮という形であらわれたのだろう。誰だってセンシティブな問題に、首を突っ込みたくはないものだ。
今日は終始この調子で、俺の周りは騒がしかった。職員室へ挨拶に行っても、教師が押しよせて人だかりができた。
ようやく落ち着いたのは放課後になってから。俺は一息つくと、右足を引きずり教室を出る。
向かった先は図書室だ。ちょうど二年の教室棟と同じ階にあり、比較的楽に到着できた。
呼吸音さえも気遣うほどに静まり返った図書室は、受付所にメガネをかけた図書委員がいる以外、人の姿は見当たらなかった。俺自身がそうであるように、図書室を利用する生徒はほとんどいないらしい。
「ちょうどいいか」と、ぼそりとつぶやき、入口近くに設置された案内掲示に目をやる。
学校の図書室としては、かなり蔵書の揃った大きな規模をしている。これで利用者が少ないのだから、もったいない話だ。
俺は目的の棚を確認すると、わき目もふらずに向かった。背の高い本棚にはびっしりと関連書が詰まっている。
一通り見回して、目についた一冊に手を伸ばす。動物の生態を解説した分厚い本だ。
背表紙に指をかけて引き抜こうとするが、きっちりはまりすぎているのか、なかなか抜けない。右足を踏ん張れないこともあって、妙なところで苦戦する。
「取りましょうか?」
いきなり背後から声をかけられて、俺は驚きのあまり腰が砕けそうになる。かろうじて本棚によりかかって、転倒は回避した。
こわごわと振り返ると、レンズ越しに目を丸くした女の子の顔があった。受付所にいたメガネの図書委員だ。
メガネが際立ち一見地味な印象を受けるが、利発そうな顔立ちのかわいらしい女の子だった。頬を包み込むようなショートボブがよく似合っている。年齢を重ねるごとに綺麗になるタイプだと思った。
「えっと……えっ?」
「あ、本です。取りますよ」
ちらりとメガネが俺の右足を見た。親切心で言ってくれたのだろう。
「ありがとう。それじゃあ、お願いしようかな」
「はい」と、彼女はやけにうれしそうにうなずく。「他はいいですか?」
せっかくなので厚意に甘えることにした。俺はさらに三冊、生物の本を取ってもらう。
小柄で、やせ気味のほっそりした女の子だが、軽々と本を抜き取る。それだけ俺が弱っているということか。
「貸し出しですか?」
「あー、どんな内容か確認したいから、少し読んでみたい」
「わかりました。読書席まで運びますね」
彼女は俺の遅々とした歩みに合わせて、ゆっくりと本を抱えてついてくる。長テーブルの読書席にくると、座りやすいように手早くイスを引いてくれもした。
底抜けにお人好しなのか、いたれりつくせりだ。身につけているのは見慣れたブレザーの制服だが、メイド喫茶にでも来ている気分になった。
「ありがとう、助かったよ」
「いえ、困ったことがあったら、いつでも言ってください」
そう言って、彼女はメガネを手で支えながら微笑する。ここまではよかったのだが――じっと隣に立って、動こうとしない。見守っているつもりなのだろうか?
ありがたい話であるが、現状において困るようなことは何もなかった。ケガ人あっても、本を読む程度は問題なくできる。むしろ気になって集中できない。ハッキリ言ってしまえば、邪魔だ。
「その、うん、もういいよ。助けが必要になったら呼ぶ。戻ってなよ」
「はあ、わかりました……」
受付所に戻る彼女の背中は、心なしかさみしそうだった。人に尽くして悦になるタイプなのかもしれない。
とりあえず腰をすえる環境が整ったところで、俺は改めてテーブルに置いた四冊の本に目を向ける。すべて生物の本だ。さまざまな分類の生物を網羅した図鑑に、生き物の生態の解説書、絶滅した恐竜の本、動物のちょっとした豆知識を集めた雑学書――と、ジャンルは同じでも方向性の違う四冊を揃えた。
「こんなんで本当にどうにかなるかな……」
これらを揃えた理由は一つ、弟の陽介に頼まれたドラゴン退治のヒントを探すことが目的だ。
我ながら無茶な調査をしていると思う。当たり前だが、目の前にある本にドラゴンは一切記載されていない。それでも何か共通項のある生き物がいるのではないかと、一縷の望みをかけてページをめくっていく。
その結果――三十分ほどで撃沈した。わかっていたことだが、ドラゴンに似た生き物など地球上にいやしない。
俺は机に突っ伏し、長いため息を肺が空っぽになるまで吐きだした。
頭を切り替え、視点を変えて考えてみたが、そこでもドラゴンの実在に行き当たる。ファンタジー物のゲームやマンガやアニメでなら、ドラゴンを倒す話はいくらでも見つかるだろうが、もう一つの現実である異世界のドラゴン退治に適用できるとは到底思えなかった。
そんなとき、「センパイ、どうしたんですか?」ふいに呼びかけられる。
ゆっくり顔を上げると、心配そうにのぞき込むメガネの図書委員の姿があった。ずっと、こちらの様子をうかがっていたのだろうか。
「なんでもない、なんでもないから……って、あれ?」
俺はまじまじと彼女の顔を見た。
見つめられることに照れたのか、わずかにメガネの奥で瞳が揺れる。
「えっと、はじめましてだよな。どこかで会ったことある?」
彼女の顔に見覚えはなかった。それなのに、「センパイ」と知っているふうな口ぶりで呼びかけられたことに違和感をおぼえた。
「あ、その……」気まずそうに口ごもり、彼女は戸惑いをメガネで隠す。しばらく逡巡した末に、意を決したように大きく深呼吸してから言った。「倉本啓介さんですよね、倉本陽介くんのお兄さんの。わたし、倉本くんと同じクラスだったんです」
「はいはい、そういうことかー」
合点がいって、安堵が胸に落ちていく。陽介の知り合いなら、俺のことを知っていても不思議ではない。
事故のことを聞き及んでいるのだろう。やけに親切なのも納得だ。
「は、
改めて、メガネの図書委員――早坂は、ぺこりと頭を下げた。
ここで「よろしく」と応じるのはおかしい気がして、俺は曖昧に笑ってお茶をにごす。
とにかく、一応は自己紹介をすませたことで、早坂のなかで何かしらの区切りとなったらしい。肩から力が抜けて、若干表情がやわらかくなる。
「センパイは何を調べているんですか。お手伝いしますよ」
モノがモノだけに「なんでもない」と、断ろうと思ったが、寸前で踏みとどまる。不自由な足を抱えて図書室を歩き回るのは限界がある、調べものをつづけるには早坂の力添えが必要だった。
たとえ突拍子もない話を持ちかけても、事故で頭を打っておかしくなった――と、笑って見逃してくれるかもしれない。そんな甘い考えが、脳裏をかすめたということもある。
「ド、ドラゴンを調べてるんだ。ドラゴンについて、くわしい話が載っている本を知らないか?」
「ドラゴンって、あのドラゴンですか? 竜ってことですよね」
早坂は目を丸くして驚いていたが、笑いはしなかった。顔つきに困惑をにじませながら、書架を巡って数冊見繕ってくれる。
俺の前に置かれたのは――イギリスの英雄叙事詩『ベーオウルフ』の訳書、有名ファンタジー小説『指輪物語』に児童書の『ヒックとドラゴン』シリーズ、さらには『龍の子太郎』の絵本まであった。
いくつか見てみたが、残念ながら期待に沿う内容ではない。そもそも期待に沿う内容というのが、どういうものなのか俺自身よくわかっていないわけだが。
「これじゃあダメですか?」
「ダメって言うか……うーん……ちょっと違うかも」
早坂はハの字に下げた眉の形で、無念を雄弁に表現した。
「センパイが知りたいドラゴンって、具体的にどういうものなんでしょう。そこがわかると、少しは役に立てると思います」
「どうって――小型バスくらいの大きさのトカゲっぽい見た目で、羽が生えていて自由に空を飛ぶ生き物。赤黒い鱗は鉄のように固く、鋭い爪は大木も簡単にえぐる力がある。しかも、厄介なことに火を吹く。火炎放射器がついてるヘリコプターみたいな感じだって言ってた」
「へ、言ってた?」
陽介が語ったドラゴンの説明を、そのまま引用したのでよけいな一言を付け足してしまった。
俺はぎこちない苦笑を返して、失言をごまかす。うまくいったとは思えないが、早坂が追及してくることはなかった。
「そういうドラゴンなら、図書室よりネットで調べたほうがいいんじゃないですか」
深く考えず図書室を頼ったが、言われてみればその通りだ。俺はスマホを取り出し、さっそく『ドラゴン』で検索してみる。
早坂が隣の席に座り、肩をよせてスマホをのぞき込んできた。いまさら戻れとも言えないので、しかたなく受け入れるしかない。
「本当は、携帯電話の電源を切っておくのが図書室のマナーなんですけどね」
「今日はかんべんしてくれよ」
腕に早坂の体温を感じながら、検索結果を上から順に確認してく。
ドラゴンのウィキペディアに、ドラゴンを冠したアニメやゲームのサイト、ドラゴンという名前の中華料理店、それに中日ドラゴンズのニュースなど――どれもこれも役立ちそうにない。
もっと深く調べれば、
「こっちもダメですか?」
「まあ、ダメっていうか見たいものとは違うっていうか……」
早坂はメガネを支えながら首をかしげて、不思議そうに俺を見た。
「あの、根本的なことなんですけど、センパイはどうしてドラゴンを調べてるんですか。ケガで大変なときにわざわざ調べなきゃいけないような、緊急を要する理由があるんでしょうか?」
ドキリとして、思わず目をそらす。早坂には、さぞかし挙動不審な態度に映ったことだろう。
本当のことなど、言えるはずがなかった。自分でも、あれはケガによってもたらされた幻覚のたぐいではないかと半信半疑な部分がある。
それなのに、「陽介」と、我慢できず口にしてしまう。親身になって手伝ってくれる早坂への後ろめたさにくわえて、脳が疲れて判断力が鈍くなったことによる油断が、ノドでせき止めていた名前を押し出していた。
「倉本くんがどうしたんです?」
「……信じられないと思うけど、陽介から電話があったんだ。あいつ、異世界に転生して勇者をしているらしい。今度ドラゴンと戦わなきゃいけないことになって、その倒し方を俺に聞いてきた」
ごくんとツバを飲んで、早坂は声を震わせた。「そ、そですか」平静を装っていたが、顔には驚愕が満ちており、それは次第に哀れみへと変わっていく。
レンズ越しに俺を見つめる目は、あきらかにかわいそうなヤツを見る目となっていた。
取り返しのつかないことをしてしまった。頭を抱えて後悔を表現したいが、そういう行動を起こせる雰囲気ではない。俺にできることは、せいぜい引きつった苦笑を浮かべるくらいだ。
世界から音が消えてしまったような図書室の静寂が、ギュッと胸を絞めつける。この際どんなものでもいいから、場を壊してくれる音がほしかった。バカな生徒が乱入してきて、ひと騒ぎおこしてくれないかとありえない願望を抱く。
その願いは、当然叶わなかったが――思わぬ形で音が鳴った。
ガタガタとテーブルを小刻みに叩く音がしたのだ。ギョッとして目を向けると、スマホが釣りあげられた魚のように震えている。電話だ。
「えっ、もう……?」
その通知画面には、文字化けした意味不明の記号が並んでいた。
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