『勇者、ドラゴンと戦う。』

<1.異世界からの便り>

 三度にわたる手術によって、俺は日常生活を送れるまで回復した。

 危うく切断寸前までいった右足も、プレートやらボルトやらでつなぎとめて、どうにか失わずに済んだ。これから歩行に支障をきたすことになるだろうが、永遠になくしてしまうよりは断然いい。


 我が家に戻れたのは、事故から一カ月以上たってから。長い入院生活で、夏休みはまるまる潰れてしまった。

 二学期はすでにはじまっており、今日から俺も遅ればせなら学校に復学する。ようやく元の日常に還ったわけだが――何もかも元通りと思えるのは、当分先のことになりそうだ。


 苦労して制服に着替え、「ハア」とけだるい息をつく。まだリハビリ途中でほとんど動かない右足を抱えての着替え作業は、ひどく困難なものだった。

 息が切れ、汗が滴る。ベッドに腰を下ろして、しばし休憩しなければ次の行動に移る気力がわかない。


「先が思いやられる……」


 がっくりと肩を落として、不自由な体をなげいた。俺はゆるりと首を回して、のしかかった疲労感が通りすぎるのを待つ。


 そうしているうちに、ふと部屋に置かれた、もう一つのベッドが目に入った。同部屋だった弟のベッドだ。

 ベッドだけでなく、机や私物は綺麗に整頓されて、部屋に残されていた。もう誰も袖を通すことのない制服が、ハンガーにかけられて吊るされている。


 弟は死んだ。実感はまるでわかないが、遺影と骨壺を見た以上、本当に死んでいるのだと思う。手の込んだドッキリという線も脳裏をよぎったが、さすがにこんな悪趣味なドッキリに家族が付き合うとは考えにくい。


「なんか、いまいちピンとこないな」


 年子の兄弟というのは厄介なもので、高校生にもなると精神的にも体格的にもほとんど差異はなくなる。身長は弟の陽介のほうが少し高かったくらいだ。

 兄弟特有の上下関係はうすれ、お互い遠慮がなくなる。ケンカもよくしたし、それと同じくらいバカなこともいっしょによくやった。


 そんなもっとも近しい存在が、突然いなくなったのだ。うまく飲み込めないのは、しかたないことだと自分に言い聞かせる。

 入院中で葬儀に出れなかったことも、受け入れるのに時間がかかっている理由かもしれない。明確に弟の死を感じられるモノが、遺影と骨壺だけなのだから。


 時々、俺はまだ意識を失ったままで、夢を見ているのではないかと思うことがある。自分の生も弟の死も、現実感がともなわない――そう感じている自身をあざ笑うかのように、出し抜けにヒザのボルトが軋んで痛みが走った。

 まるで、これが現実だと突きつけているかのようだ。


「そろそろ出なきゃな」


 ベッド脇のデジタル時計が目に入り、俺は重い腰を上げる。少し休んだおかげで、疲労感は消えていた。自室から玄関先に向かうだけで、また疲れはぶり返してくるのだが。


「啓介、本当に大丈夫?」


 見送りにきた母さんが、心配そうに声をかけてくる。母さんも父さんも、事故以来すっかり過保護になっていた。


「平気だって。足は痛むけど、他はまったく問題ない。閉じこもってるより、動いたほうがいいって医者も言ってたじゃないか」

「……そうだけど、やっぱり心配だわ。今日くらいは学校まで車で送るわよ」

「甘やかさなくてもいいよ。これから毎日のことだから、早く慣れときたいんだ――」


 強がって言ったものの、いざ出発すると、すぐに後悔することになる。学校は徒歩で通える距離にあったが、その道のりははてしなく遠かった。

 入院生活で体力が落ちているうえに、歩行難で足は痛む。くわえて陽射しが強く、蒸し暑いこともマイナス要因だ。少し進んでは休み、少し進んでは休む――遅々とした歩みと休憩で、いつまでたっても学校にたどり着かない。


 事故前はまったく気にならなかった通学路のわずかな傾斜が、とんでもく大きな負担となった。

 俺は目についたバス停のベンチに座り込み、ぐったりと背を預けて荒い息をつく。到着したバスの運転手が乗車の確認をしてくるのは面倒だったが、なかなか腰を上げる気にならなかった。


「もうちょっと涼しかったら、まだマシなんだけどなぁ」


 吹き出した汗がシャツを濡らし、体に張りついて不快だった。生々しい手術痕の残る右足に染みて、ヒリヒリした痛みを感じる。

 それでも、しばらく休憩したおかげで、だいぶ体力は戻ってきた。そろそろ出発しようかと、俺は歯を食いしばって立ち上がる。その途端――ポケットのなかでスマホが震え出す。

 うんざりした気分でベンチに座りなおし、通知画面に目をやった。母さんから電話だ。


「もしもし?」

『啓介、いまどこにいるの? まだ学校じゃないんでしょ、迎えにいくから場所を教えなさい!』


 キンキンと響く切羽詰まった声が、スマホから届く。俺は反射的に顔を離し、耳を塞いで眉をひそめた。

 登校予定だった俺が始業時間になってもあらわれないことを心配した担任教師が、家に一報を入れたそうだ。どこかで行き倒れているのではと、母さんは不安になって連絡をよこしたわけだ。


「大丈夫、疲れたからちょっと休んでただけだよ。心配することは何もない」

『本当に? 無理していない?』

「ああ、平気平気。マジでやばくなったら、ちゃんと連絡するからさ」

『約束よ、絶対に連絡しなさいよ!』


 なおも念押ししてくる母さんを丸め込んで、俺はため息と共に電話を切った。心配に対するわずらわしさと後ろめたさが、胸中で混ざり合って複雑な紋様を描く。

 別に迎えに来てもらっても、問題はなかったはずだ。それなのに、俺はなぜか断ってしまう。


 何を意固地になっているのか、我がことながら困惑する。自分だけが生き残ったことへの自罰的な感覚が、知らず知らずに働いているのだろうか。


「……考えたってしょうがないか。さっさと学校に行こう」


 ネガティブに陥りそうな思考を投げ捨て、俺は再度立ち上がった。

 すると、ついさっきポケットに押し込んだスマホがまたもや震え出した。狙いすましたようなタイミングの着信に、うす笑いがこみあげる。


 無視しようかとも考えたが、自分の不安定な状態を思うとそういうわけにもいかず、無造作にスマホを取り出す。


「なんだ、これ?」


 通知画面を見た瞬間、自然と戸惑いの声がこぼれた。

 そこに表示されていたのは、謎の記号――文字とも呼べず数字とも呼べない、奇妙な記号が並んでいたのだ。どうやら文字化けしているらしい。


 困惑して呆然と記号に目を落としている間も、スマホのバイブは途切れることなく作動しつづけていた。向こうから切ってくれることを願ったが、なかなかあきらめてくれない。

 こんな怪しい電話に出ていいものか……ずいぶんと迷ったが、俺は思いきって応答ボタンをタッチした。こちらのスマホが壊れているだけで、相手方に落ち度はない可能性だってある。


「もしも――」

『これって、倉本啓介のスマホだよな』


 電話の相手が、食い気味に言った。自分が名乗るより先に俺を確認してきたことに、妙な違和感をおぼえる。


「そ、そうだけど……」

『あー、よかった。やっとだ、やっとつながった。ここまでたどり着くのに、ホント遠かった。あきらめずにつづけてきてよかった。まったく、あのクソ女神が言うことは毎度テキトーすぎる』


 よくわからないことを口走る男は、その声色の具合からして同年代だということがわかる。だが、それ以外のことは、まるでわからなかった。声に聞きおぼえはない。

 俺は戸惑い、ためらいがちに困惑を口にした。


「えっと、どちらさん?」

『なんだよ、ひでぇな。オレのこと、忘れちまったのか。陽介だよ、陽介』予想だにしなかった名前が飛び出し、俺はあ然とする。『兄貴、ひさしぶり!』


 ズンと肩に見えない重しを乗せられたような、不気味な感覚に襲われる。あんなに暑かったというのに、全身を伝う汗が一瞬にして冷気を帯びた。

 俺は身震いして、つと自分の体を抱いた。ふれた腕には、ハッキリと認識できるくらいに鳥肌が立っている。


「そ、そんなはずないだろ。弟は……死んだ」

『ああ、死んだ。そんで転生した。ひょっとして兄貴、あのときのことおぼえてないのか? いっしょにクソ女神と会っただろ』

「えっ、あれって夢じゃなかったのか?!」


 死の淵で、自称「神様」と会ったのはおぼえている。ただ現実離れした出来事すぎて、実際に起きた事象だと認識することができなかった。

 あのときの荒唐無稽なやり取りが現実リアルなら、電話の相手が本当に弟である信憑性は多少芽生える――が、ここですんなりと受け入れられるほど、俺は無邪気でも夢想家でもない。


「そんなの信じられるわけないだろ。誰かのいたずらじゃないのか」

『疑り深いな、兄貴は。そこまで言うなら証拠を見せよう。――机の下の段の引き出しにあるクッキー缶のなかに、エロDVD隠してるだろ』


 度肝を抜かれて声が出なかった。確かに隠している。

 ただ隠していることは陽介にも言っていなかった。知っているのは、隠した本人である俺だけだ。陽介が勝手に机をあさって、見つけ出していなければの話だが。


『クッキー缶に、中学のとき付き合ってた子の写真も隠してるだろ。別れたとき捨てたって言ってたのに、未練がましく残してある。いまだから言うけど、兄貴って結構女々しいところあるよな』


 これも事実だ。その口ぶりは、俺の知る陽介と近似している。もう疑う余地はなかった。

 でも、どうしても腑に落ちない点がある。


「ほ、本当に陽介なのか? 転生したわりにはちゃんとしゃべれてる。まだ生まれたばっかりだろ?」

『へっ、オレ、生まれて十五年目だぞ。そういや兄貴はいくつになった?』

「おかしいだろ。事故に遭ったのは一カ月ちょっと前だ、計算が合わない!」

『そんなこと言われてもなぁ、実際そうなんだから、説明のしようがない。ひょっとしたら、じゃあ時間の流れが違うのかもしれないな』


 説明になっていないが、確認のしようがない事象を突き詰めてもしかたがない。

 ひとまず俺は、電話の相手を陽介(仮)と認めることにした。


「……マジで転生したんだな。そっちはあの神様が言ってたとおり、ファンタジーな世界なのか?」

『ああ、マジでファンタジー、簡単な魔法ならオレも使えるぞ。この通信も魔法の一種だし』

「電話が魔法?」


 陽介の話によると――ファンタジー世界に転生した陽介は、神様の計略によって魔と戦う“運命の子”に選ばれたらしい。簡単に言えば、高名な占術師による勇者の選抜だ。そうして、幼い頃から勇者となるべく育てられたという。


『ちなみに、こっちで生まれたオレはメビウスって呼ばれてる』


 神様が手を回していることもあって、それなりに勇者として活躍する陽介は、あるとき特別な魔法を開眼した。遠く離れた相手と言葉を交わすことができる、通信の魔法だ。

 現代のように通信設備の整っていないファンタジー世界では、かなり便利な魔法のようだ。しかも、通信魔法の感度を上げれば、次元の壁を超えて異世界にも通信できるらしい。


 異世界との通信。つまり、俺のスマホに電話することができる。

 複雑な下準備が必要で、相当量の魔力マナを消費することから頻繁に電話をかけることはできないそうだが、それでもこうして俺と話せるところまできた。がんばったかいがあったと、陽介はしみじみ語る。


「なんか、そっちはそっちで大変だったんだな」

『いまも大変の真っ最中さ。我ながらよくやってると思う。兄貴と話せて、ようやくホッとできた』

「何か困ってるのか?」


 別段深い意味はない雑談の延長にある問いかけにすぎなかった。

 しかし、これが俺に課せられる苦労の日々のはじまりとなる。


『そうだ、兄貴助けてくれよ。すげぇ困ってることがあるんだ。解決するいい知恵がないか、ちょっと調べてくんない』

「調べるって……何を?」


 困惑する俺に、陽介はノーテンキな声で言った。


『ドラゴンの倒し方』

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