リモート異世界 ~弟は勇者になりました。~
丸田信
『プロローグ』
「じゃあ、転生してみよっか」
その女は傲岸不遜な態度で、いけしゃあしゃあと言ってのけた。
緑髪のとんでもない美人なのだが、あれこれしたいと下心が芽生えるようなタイプではない。親しげな口調で接してくるが、近づきがたい威圧感をまとっている。
それもそのはず、女は自称「神様」らしい。信じがたい話だが、まんざらウソではないと思えるほどに、ある種の神々しさを宿していた。
「おい、兄貴。どうするんだ?」
「どうすると言われても、よくわかんねぇよ」
まだ困惑が大きくて、決断できるような精神状態じゃない。
そんな優柔不断な俺の態度が気に入らないのか、弟の陽介は露骨に顔をしかめていた。
「悪い話じゃあないと思うんだけどなぁ。このまま無に還るより、二度目の人生を送ったほうが楽しいでしょ」
この神様は、どういうわけかグイグイと転生を薦めてくる。何か裏があるのではと、勘繰ってしまうくらいに。
そもそも事の発端は――兄弟揃って交通事故に巻き込まれたことにはじまる。俺が最後に見た光景は、迫りくるヘッドライトのまぶしい光だった。
これは、もう助からない。そう思った次の瞬間、気づくとすべてが白に染められた不思議な部屋に立っていた。そこに、この自称「神様」が待っていて、なぜか転生を執拗に薦めてくる。
「やろうぜ、兄貴。このまま死ぬなんて、オレは嫌だぞ!」
「まあ、そうだな。他にどうしようもないか……」
まだ若干16歳の高校二年生、年子の弟は高校一年生と、死ぬにはあまりに早すぎる。
生き残る――転生の場合、この認識がはたして正しいのか微妙なところだが――方法があるなら、それにすがりつくのが人情というものだろう。
「覚悟を決めたようね、倉本啓介」
まるで俺の心を読んだかのように、神様は機先を制して言った。よほどうれしいのか、鼻の穴がヒクヒクと膨らんでいる。
身に宿した威厳が、一気に型落ちしたような感覚を味わった。
「あんたらが行くことになる世界は、簡単に言うといわゆる剣と魔法の世界ってやつ。ご多分にもれず、モンスターなんかもうじゃうじゃいる」
「へえ、面白そう。ゲームみたいだ」と、陽介は楽天的に受け入れた。
何が気にくわないのか、神様は少しムッとする。
「あんたらからしたらゲームっぽく感じるかもしれないけど、そこにはちゃんと自然があって生態系があって、人間が育んできた歴史や文化もある。あんたらが生まれた世界とは違う、もう一つの現実なんだ。遊び半分で乗りきれるような甘っちょろい場所じゃないよ」
叱責というよりは、脅すような響きが口調に含まれているふうに感じた。神様は、その世界に何かしら思い入れがあるのかもしれない。
予想外の剣幕に目をパチクリ瞬かせて驚いていた陽介だが、すぐにヘラヘラした締まりのない表情に戻った。
「大変なのは、うん、わかってる。生まれなおすってことは、また赤ん坊からはじめなきゃいけないってことだろ。そりゃ嫌でも苦労する」
「わかってるなら、いいけど――」
まだいぶかしんでいるようだが、神様は言質をとったことで、ひとまず激情を腹におさめた。不満の残り火は、眉間によったシワに集約される。
神様は小さく吐息をつき、緑髪を揺らして俺に顔を向けた。ノーテンキな陽介ではらちが明かないと思ったのか、説明相手としてロックオンされたようだ。
「とにかく、あんたら兄弟には転生してもらう。その世界で、やってもらいたいことがあるんだ」
「やってもらいたこと?」と、兄弟声を重ねて口にした。
「あんたらが転生する世界には、魔王がいる。そいつを倒す勇者に、是非ともなってほしいんだ」
あまりのことに、俺は呆気に取られて言葉をなくす。
ファンタジー世界に魔王、それに勇者――と、ベタすぎるお約束の連続すぎて、うまく反応できない。陽介など、ごまかしようのない勢いで笑っている。
神様は露骨に不機嫌となり、血走った目で圧力をかけてきた。
「言っとくけど、冗談じゃないから。断ると言うなら転生はなしだ」
「いや、急に勇者になれと言われても……どうすりゃいいんだか」
「そこは、転生先をうまく取り計らうつもりだ。あんたが心配することは何もない」
俺と陽介は顔を見合わせて、困惑を分かち合う。陽介の顔はまだ微妙に笑いが残っていたが、さすがにノーテンキなままではいられないようである。
「とにかく、あんたら兄弟は選ばれたんだ――っと、あれ?」
高圧的な態度から一転、突如神様は不可解そうに首をかしげた。視線が上下に落ち着きなくさまよったあげく、最終的に吸い込まれるように一点で止まる。
俺の顔だ。神様はキョトンとした表情で、じっと俺の顔を見ていた。
「えーっと、倉本啓介、あんたはやっぱりダメ。転生できない」
「な、なんで?!」
「あんた、死なないみたい。蘇生がギリギリ間に合って、生き返るっぽい」
思わぬ言葉に、喜びよりも戸惑いが勝った。
ぎこちなく弟を見ると、「よかったな、兄貴」ヘラヘラと笑って祝福してくれる。
神様の言うことが本当なら、俺だけが助かったわけだ。弟は死に、俺は生きる――それを認識した瞬間、どのような感情によってもたらされたのかわからない、申し訳ない気持ちが胸いっぱいに広がり言葉に詰まった。
「こればっかりはどうしようもないか。ちょっと頼りないけど、倉本陽介に賭けるしかない……」
ブツブツと独りごちる神様の目は、すでに俺から離れて陽介に向けられていた。輪廻の輪からこぼれた俺に、もはや興味はないといった様子だ。
あまりの切り替えの早さに、少し笑ってしまう。
「えっ?」と、声がもれた。ふいにグラリと視界が揺れて、意識がぼやけはじめたのだ。
立っていることもままならず座り込もうとしたが、体が思考に追いつかない。まるで金縛りあったかのように、まったく言うことを聞いてくれなかった。
ひどく気分が悪くなって、猛烈な吐き気がした。体の節々に痺れるような痛みが走り、右足の感覚が消える。
「あ、兄貴?!」
異変に気づいた陽介が、心配そうに声をかける。聴覚も狂っているのか、ガラス越しに話しかけられたような鈍い響きだ。
「あー、魂が現実の世界とシンクロしてきてんでしょ。ほっとけばいい」
神様は一瞥もせず、あっさりと言った。
蘇生によって、この場にとどまる限界が来ているということか。
「兄貴――」珍しく戸惑いをにじませた陽介が、遠慮がちに俺の肩にふれた。
肩をつかむ動作は目に入るが、その感触を感じることができない。「えっと……親父とお袋によろしくな」
答えようとして口を開くが、言葉が出てこない。このとき自分が何を言おうとしたのか、それすらわからなかった。
今生の別れに、何一つ伝えることができぬまま――唐突に意識が途切れる。
次に目覚めたとき俺がいた場所は、病院の集中治療室だった。うっすらとまぶたを開けた俺を見つけて、看護師が急いで医者を呼ぶ。
俺は、生き返った。
覚醒までに体験した出来事が、実際にあったことなのか、もう俺に確認するすべはどこにもなかった。
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