第10話元勇者の鬼指導。だけどもみんなは暖かい。


「ケイさん、ガルスさんの奥さんでしたか!」

「まぁね。あの堅物旦那が、いきなり手先の器用な人間を管理人小屋へ集めろなんていうから、なにごとかと思ったさね。アイツ、前の管理人と揉めてから、役人ってもんを毛嫌いしててねぇ」

「あはは……ちょっと失礼します!」


 リゼルはすっかり仲良くなったガルスの奥さん【ケイ】から離れ、木片からスプーンの原型切り出しに悪戦苦闘している、少女へ駆け寄って行く。


「上手だね。でもナイフをこう持つともっとやりやすいよ?」

「あっ、ホントだ! お姉ちゃんありがとー!」


 開始当初こそ、まだ少し緊張感が残っていた。

だけども一生懸命丁寧に指導するリゼルの姿をみて、村人たちはだんだんと真剣に、楽しげに作業をするようになっていた。


――ほんの一部を除いては。


「おい、貴様。そんなナイフの持ち方はダメだ!」

「ひぃ!」


 ノルンは深く眉を顰め、眼光をギラつかせながら村人の手を取った。

 木片の削り出しに夢中で、刃付近に寄っていた指をやや強めの力で引き離す。


「す、すみません……」

「手は大事だ。くれぐれも怪我には気をつけ……貴様ぁ! 力任せにナイフを扱うなぁ! 怪我をするぞぉ!!」」


 ノルンがそう叫べば、机の下ですやすやと眠っていたギャングベアの幼体――ゴッ君は驚いて飛び起きる。

 

「むっ!?……こっちを使え! 切れない刃物は危険だっ!」

「す、すみません! ありがとうございます……」


 切れ味の落ちたナイフを使っていた者へは新しいものを渡し、


「この辺りをもう少し削ってみろ」

「えっ……?」

「良いからやってみろ!」

「は、はいぃ!」

「……どうだ、さっきよりも手に馴染むようになったと思うが」

「あっ、ほ、本当だ……ありがとうございます……?」


 時に武器作成の経験を元に、細かくアドバイスを行う。

 ノルンは忙しなく、止まることなく、作業台の周りをぐるぐる回って巡回を続ける。

彼が過った後のイスルゥ塗スプーンは、何かしら良い影響が出る。しかし同時に作業をしている村人達の緊張感も高まってしまうのだった。


「あ、あの、ノルン様」

「ん? なんだ?」


 呼び止められて踵を返すと、顔を引き攣らせたリゼルがノルンを見上げていた。


「そのぉ、お手伝いはありがたいのですけど、もうちょっと、その朗らかにできません?」

「そうしているつもりだが?」

「お顔、すっごく怖いです。それじゃみんな萎縮して、余計に怪我しちゃいます」

「そうなのか?」

「そうです」

「そうか……」


 やはり人に何かを教えるのは自分には向いていないのかもしれない。

 確かに出会ったばかりの三姫士たちも「バンシィは仮面を脱いでも顔が怖い!」と言っていたし、幼い頃の妹弟子のロトは目すら合わせてくれていなかった。

しかしリゼルや住民たちが一生懸命やっている手前、自分が何もしないは良くない。


(仕方あるまい……言葉での指導はリゼルに任せるとしよう。ならば、俺の方は態度で示す!)


 広く空いているスペースを確保したノルンはマジックアイテムの雑嚢から、大きな布の敷物を取り出した。


 暇さえあれば、いつも研いでいた切れ味抜群のナイフ。

 最上級の砥石紙…… その他、小さなスプーンを作るのには大袈裟なくらいの道具を取り出し並べて行く。


「道具良し! 木片良し! イスルゥ樹液良し! ――いざっ!」


 きちんと指差し確認をし、気合を入れた。

そしてリゼルが削り出し用の印をつけた木片へ立ち向かう。


 切れ味抜群のナイフは、木片をまるでケーキのようにすんなりと切り開いてゆく。

特に難しそうなスプーンの曲線が印通りに切れて行く様は、心地よいものがあった。


「グゥー」


 と、胡座をかくノルンの太ももに柔らかい感触。

気づけば幼いギャングベアのゴッ君が、ノルンに寄り添い、背中を丸めている。


「なんだ、ゴッ君。どうかしたか?」

「グゥ」

「お前は……俺が怖くないのか?」

「グゥ!」

「ふふ、そうか。可愛いやつめ……くくっ……モフモフだ……!」


 ゴッ君の頭を撫でると、件の子熊は嬉しそうに身をよじる。

 それだけで、胸がほっこりし、作業スピードは否が応でも向上するというもの。


(さぁ、デコボコの木片よ! 俺の手で綺麗な曲線となれ!))


 何度も手を止め、指先の感触で凸凹を、目視で凹凸を確認。

見つけ次第、削って、削って、削りまくる。

 荒い木片がノルンの手によって、どんどん綺麗なスプーンの形へ変わって行く。


「ん?」

「グゥ?」


 ノルンとゴッ君は揃って視線を上げた。

 どことなくガルスに似てる少年がノルンの手先を繁々と眺めていた。


「なんだ?」

「ひぃっ!」

「す、すまん……怒ってなどいない。俺に何か用か?」

「いや、 管理人のおじさん、上手いなぁって」

「おじさん……」


 おじさんと呼ばれて、ちょっとショックなノルンだった。しかし少年からすれば、ノルンはおじさんなのだろう。

しかしそんなショックよりも、話しかけられた嬉しさの方が上回っていた。


「その、なんだ……一緒に作業するか?」

「良いの!?」

「ああ! 勿論だ!」

「じゃあ道具持ってくる! 俺、ジェイ! よろしく管理人のおじさん!」

「……ああ。俺はおじさん、か……」


 少年ジェイは嬉々とした様子で作業台へ、自分の道具を取りに走る。

そして数分後――


「もっとだ、もっと力を! だが丁寧に作業をすることを忘れるなぁ!」

「お、おう! こうかぁ!?」

「ちがう、もっとだ! もっと!」

「ちっくしょう! おりゃぁぁぁ!!」

「よし、ジェイ良いぞ! その調子だ!」

「グゥー!」


 どうやらノルンとジェイの相性はばっちりだったらしい。


「いよいよイスルゥ塗の本番になります。今日は赤と黒のイスルゥを用意しました。基本的には薄目に塗り、伸ばして均一にするイメージです。あと、乾燥する前のイスルゥは手で直接触れるとかぶれてしまうので必ず手袋を付けて作業をしてくださいね!」


 各自、リゼルの案内に従って、イスルゥ塗りを開始する。


「うーん……」

「なんだジェイ、悩ましげな声を上げて?」

「おじさん、なんでそんな綺麗に塗れんの?」

「君は筆にイスルゥを付けすぎだ。もっと控えめに、そして筆を同じ方向へ動かすと綺麗に塗れる。やってみろ」

「そっか、わかった。やってみる! ありがとうおじさん!」

「その、なんだ……ジェイ」


 ノルンは意を決して口を開く。

 少し顔が硬ってしまっていたのか、ジェイは僅かに顔を引き攣らせ、短い悲鳴をあげた。


「な、なに?」

「君からすれば、俺はおじさんかもしれないが……しかし実際、俺はおじさんではないからして、だからその……俺のことは遠慮なく、ノルンで頼む」

「えっ? 良いの?」

「構わん。むしろ“おじさん"よりも、ありがたい」

「わかった! じゃあ……ノルン、塗りってこんな感じで良い?」


 おじさんから卒業できてノルンはホッと胸を撫で下ろす。

 そんな2人を、母親のケイはほっこりした顔で眺めていた。


「ジェイ、うちの旦那よりもノルンさんに懐いてるねぇ。顔は怖いけど、良い人じゃない」

「はい。ノルン様は本当に素晴らしい方ですから」


 リゼルもまた、まるで親子や兄弟のように肩を並べて仲良く作業をするノルンとジェイを眺めてそう言った。


「きっと良いパパになるよ、あの人は……」

「そうですね」

「でも計画的にしなきゃダメよ。作り過ぎたら賑やかだけど、大変だって聞くし。まぁ、リゼちゃんとノルンさんは若いから我慢は難しいかもしれないけどさ!」

「えっ!?」

「そうそう、この村に古から伝わる避妊薬があるのよ! 今度分けてあげるわね!」

「あ、あ、えっと! わ、私とノルン様は、そういう関係じゃないっていうか! って、我慢とか、避妊とかなんなんですぁ!?」


 リゼルは顔を真っ赤に染めた。

するとケイは呆れたように深い溜息を吐く。


「なんだい!? まだそういうのじゃないってかい? かぁー! やっぱ最近の若い子ってよくわからないわぁ! あたしゃ、リゼちゃんくらいの歳でジェイを産んだのよ!?」

「だから、ノルン様と私はぁ!!」

「ノルンさんはすっごい優良物件よ。逃す手はないわよ? リゼちゃん頑張りなさいよ!」

「もうケイさん!!」


 リゼルとケイもなかなか良い相性だったらしい。


 かくしてイスルゥ塗りの作業は滞りなく進む。

 各自が塗り終えたスプーンは、乾燥のためにと急遽片付けた納屋へ運び込まれる。


「なぁ、ノルン、なんでバケツなんて置くの?」


 ジェイはノルンが納屋の中へ設置した水の入ったバケツを指さす。


「イスルゥは水分の蒸発による乾燥ではなく、空気中の水分との結合によって凝固する。目標数値は湿度65%。その対策だ」

「へぇ、なるほど!」

「さぁ、閉めるぞ」


 最後にノルンは納屋の戸を閉めるのだった。


「みなさん、一日お疲れ様でした! これでイスルゥ塗りの講習は終了です。拙い講習でしたが、皆さんが真剣に聞いてくださってとても嬉しかったです。ありがとうございました!」


 ケイをはじめ、住民たちは今日1日頑張ったリゼルへ盛大な拍手を送る。

 特に何人かの男性の村人は目を輝かせながら、リゼルへ拍手をし続けていた。


「皆、ご苦労だった。明日の朝、またここへ集まり各自、イスルゥ塗りの成果を確認してもらいたい。その出来と、皆自身の意思によって、イスルゥ塗りの専門家集団を形成し、近く、大陸全土へ販売を開始したいと考えている。このイスルゥ塗りがヨーツンヘイムの新たな産業となり、皆がより豊かになることを願ってやまない。では、本日は以上! 解散!!」


 最後に気迫に満ちたノルンの号令によって、異様に引き締まった空気感の中、リゼルのイスルゥ塗り講座は終了するのだった。


「じゃあな、ノルン! また明日ぁ! ゴッ君もぉ!」

「あ、ああ! ジェイも気を付けて帰るんだぞぉ!」

「グゥー!」


 ノルンとゴッ君は、ケイと共に帰って行くジェイをいつまでも見送り続ける。


「良い人たちばかり……ヨーツンヘイムは本当に良いところですね」


 リゼルもまた帰路へ着く、住民たちの背中を見ながらそう呟いた。


「ああ、良いところだ。本当に……」


 この平穏を山林管理人として守ってゆきたい。

 ノルンは新たな使命感を抱く。


「ノルン様」

「ん?」

「ずっと貴方は大変な目にあって来たんです。だから、これからは、ご自分のための時間を過ごしてください。そうできるよう、私、貴方を全力で支えます!」

「……ありがとう。なら、俺も君を幸せにすると誓う」

「あ、えっ……ええっ!? そ、それってどういう……?」


 ここに至って、誤解させることを言ってしまったと思うノルンだった。


「あ、いや、今のはなんだ! そのままの意味というか、深い意味はなくてだな!」


「そ、そうですよね!? はぁ……もう、びっくりしたぁ……」


「しかし、君を幸せにしたいという気持ちに嘘偽りはない! 信じてくれっ!」


「ううっ……なんでこの人は、そういうことさらりと言えちゃうのかなぁ……」


「なんだ、小声でごにょごにょと? 文句があるのならはっきりというべきだ。何故なら俺と君は同じ屋根の下で暮らす……」


「なんでもありませんっ! 文句でもありません! さっ、私たちもご飯にしましょ!」


「あ、ああ。そうだな」


「今日は私講習を頑張ったんですから、今晩はノルン様が作ってくださいねー」


「心得た! ふふふ……最高の夕餉をリゼルとゴッ君へ御馳走するとしよう!」





 穏やかな大陸の僻地ヨーツンヘイム。


 しかし、同じ大陸にあって、別の場所では対魔連合と魔王軍による激しい戦いが繰り広げられている――

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