第9話かつて多くの命を救いし者
「みたところギャングベアの幼体のようだが……」
ノルンの足元では、件の子熊が更に入ったミルクを飲んでいる。
成体はギャングの名にふさわしく、凶暴であるが、幼体は愛らしい子熊だった。
「今日、お魚を獲りに行ったらこの子、一人で寂しそうにしていて。で、お弁当を分けてあげたら、ついて来ちゃって……」
リゼルは優しい手つきでギャングベアの幼体を撫でた。
ギャングベアの幼体も、満足そうにリゼルの手に身を委ねている。
「もしやこの幼体は?」
「たぶん、この間の子の子供かと……」
先日、駆除途中のギャングベアへノルンはトドメを刺した。確かに、あのギャングベアの生態は雌だったように記憶している。
「リゼル。君はどうしたいんだ?」
「それは……」
ギャングベアの幼体は、リゼルの手を甘噛みし、しきりに身を寄せている。
そうされているリゼルは喜んでいるようにも、どこか困った様にもみえる。
「遠慮するな。言いたいことがあるならはっきりと言ってくれ。共に暮らすのだから、そういうのは良くないと思う」
「……すみませんでしたノルン様」
リゼルはギャングベアの幼体を抱き上げ、そして黒く丸い瞳にノルンを映した。
「私、この子を育ててあげたいです! 私が全部責任をもって面倒を見ます! だからお願いしますっ!」
「……それはダメだ!」
ノルンは立ち上がり、ギャングベアの幼体へ手を伸ばす。
頭の辺りを撫でてやると、幼体はすこしくすぐったそうに身をよじった。
「ここで育てるのなら責任は俺にもあるんだ! 育成の総指揮はリゼルに一任する。しかし一人で責任を負おうとするな!」
「あの、それって……?」
「全力でリゼルとその子の育成をサポートすると誓う! 俺もその子の責任を負う!」
「一緒に育ててくださる、って解釈でいいですか?」
「そうだが?」
ノルンがそう答えると、リゼルは安堵の深いため息を漏らす。
「良かったぁー……一瞬、飼うのをダメって言われてるのかと思っちゃいましたよ?」
「そうなのか?」
「そうですよ」
「そうか……」
言葉や思いを伝えるのは本当に難しいと、ノルンは改めて思い直すのだった。
「既に名前があるのだろ? なんだったか……ゴックンか?」
「正しくはゴッグ君です。略して、ゴッ君! スーイエイブの守神様からお名前をいただきました!」
「なるほど、承知した。これからよろしく頼むぞ、ゴッ君」
あたらめてギャングベアの幼体を改め、ゴッ君を撫でた。
ゴッ君も気持ちが良いのか、ノルンの手へしきりに身を寄せて、唸りを上げている。
「良かったね、ゴッ君! これからよろしくね!」
「グゥー!」
幼いゴッ君も笑顔。リゼルも笑顔。
ノルンの胸へ、じんわりと暖かさが宿った。同時に胸の奥が震え出すのはなぜだろうか。
そんな穏やかな空気の中、突然窓ガラスがガタガタと震え出す。
咄嗟にリゼルはゴッ君を強く抱きしめた。腕の中のゴッ君は「グルル!」と唸りをあげる。
そして窓の外へ、黒々とした二つの巨体が舞い降りるのが見えた。
「グルルぅ!」
「ノ、ノルン様、あれは……!?」
「大丈夫だ、問題ない。少し出てくる」
ノルンはそう言い置いて、扉を開く。
「ガァー!」
「カァー!」
彼を山小屋の外で待ち受けていたのは雌雄の火炎袋を持たない飛龍のボルとオッゴ。
二匹は早速ノルンの姿を見つけるなり、のっそり歩み寄り鎌首を降ろしてくる。
そして頭の頬をノルンへ擦りつけた。
「な、なんだ、急に!?」
「ボルもオッゴも、帰る前にノルンに会いたい会いたい煩くてな。連れてきてやったぜ!」
オッゴの背中から降りたグスタフはニタニタ笑顔を浮かべていた。そして唖然としているリゼルへ歩み寄り、颯爽と彼女の前へ傅いた。
「お初にお目にかかります。私はカフカス商会の代表で、バンシ……じゃなかった……ノルンの友人のグスタフ=カールと申します。あなたがリゼルさん、ですね?」
「ご、ご丁寧にどうも。リゼルです」
「いやぁ、しかし、ノルンの恋人? 奥さんですかね? の、リゼルさんに早速お会いできて光栄です」
「あ、えっと、ち、違いますっ! わ、私は、その、ええっとぉ!」
「リゼルは以前、助けた娘で、たまたま再会し一緒にいるだけだ! 妙な誤解するなっ! 彼女を困らせるなぁ!!」
リゼルが顔を真っ赤にしてしどろもどろになっているものだから、ノルンはオッゴとボルにもみくちゃにされつつも、精一杯声をあげる。
「なんだよ、こんな可愛い子にまだ手つけてないのかよ? これだから童貞は……」
「黙れ! 余計なことを言うんじゃない! 俺がそういうことができなかったのは、聖剣の加護……ボ、ボル! よせ! そこは……ぐっ!」
「はは! ノルンの前じゃボルもお前に夢中か! やーい、このモテ男! オッゴがすげぇ目でみてるぞぉ」
「くっ……! た、助けろ! 助けてくれ、グスタフ!」
「やなこった! 全身全霊ボルの愛を受け取ってやれぇ」」
「グスタフさんとノルン様は本当に仲がよろしいんですね」
リゼルがそういうと、グスタフは満面の笑みを浮かべた。
「ええ、まぁ。俺、アイツのこと大好きなんで!」
「長いお付き合いなんですか?」
「いや、そこまでは長くないんだけど……アイツは命の恩人なんですよ。リゼルさんは、その、アイツが……」
「黒の勇者バンシィ様だったことは知っています。私も、この身と命を救っていただきましたから。だから、今のあのお方の境遇を知って、何か力になれないかと思いまして、お傍に置いて頂いています」
「なるほど。じゃあ、お互い同じ境遇ってことですね。その子熊も?」
「はい! ゴッグ君。略してゴッ君も、先ほどノルン様に救っていただきました。もしこの子を飼うの反対されてたらきっと……」
「いつの日か、害獣として駆除されていたかもしれませんね」
グスタフは再び笑みを浮かべると、ノルンを唾液でベトベトにしている二匹の飛龍を見上げた。
「オッゴもボルもノルンのおかげでこうしていられるんです。飼育はこっちでするって言っても、『拾ってきたのは俺の責任だ! 必要なことがあれば遠慮なく言ってくれ!』なんて、言いやがりましてね」
「あ! ゴッ君の時も同じこと仰ってましたね」
「ことあるごとに手紙を寄越したり、餌を送ってきたり、しまいにゃ転移魔法をバンバン使って、頻繁に会いに来てた時期もあったんですよ。魔王軍の本拠地、暗黒大陸からの時もありましたね」
「そうですか。ノルン様はやっぱり……ふふ!」
「リゼルさん」
グスタフは顔を引き締め、姿勢を正した。
リゼルも彼に倣って、真剣な表情を向ける。
「どうかこれからもアイツのことを、ノルンのことをよろしく頼みます。アイツ、ずっと大変だったんです。だからこれからは……」
「私に何ができるかはわかりません。だけど……できることを精一杯します。お約束します!」
かつてノルンに命を救われた数多の瞳が、彼へ向けられる。
黒の勇者バンシィ――彼は確かに勇者の役目を果たしていた。多くの命を救い、そして未来を守った。
その証拠が、今ここに集っていて、彼へ優しげな視線を注いでいる。
しかし二匹の飛龍から執拗な愛撫を受け続けるノルンに気づく暇はなし。
「ボ、ボル……オッゴも、そろそろ止め……!」
「あ、あのグスタフさん、あれ大丈夫なんですか?」
「良いんじゃね? アイツ丈夫だし。元勇者だし?」
「ぐおぉっ……」
「ノ、ノルン様!? 大丈夫ですかぁ!?」
⚫️⚫️⚫️
「先日ヨーツンヘイムの山林管理人として着任したノルンだ。今日は突然だが、こんなにも多くの人に集まってもらい感謝している。ありがとう。今日、俺の隣にいるリゼルから皆へ講習を行うのは、イスルゥ塗!」
ノルンの宣言に集められた住民たちは、半信半疑といった様子で様々な言葉を囁き合う。
「これはイスルゥの樹液を使って、木材を強化する手段だ。これはとても素晴らしいもので、ヨーツンヘイムの新たな産業になると確信している! 故に各員、真剣に、真摯に取り組み、全力でスキル獲得に励んで欲しい!!」
ノルンが声を発した途端、山小屋に集まったヨーツンヘイムの住民たちは息を呑んだ。
「ノルン様、そんな怖い顔をしてちゃダメですよ……」
隣のリゼルも僅かに頬を引き攣らせながら、注意を促す。
どうやらついうっかり"勇者の覇気"を発して、必要以上に場の空気を引き締めてしまったらしい。
(なかなか難しいものだな……)
これ以上、自分が前に出るのは良くないと思い、リゼルの肩を叩いてバトンタッチ。
「え、えっと……本日はお天気も良く、良い講習日となりました! 今日はお忙しい中、お集まりいただいてありがとうございます! 今日一日、皆さんへイスルゥ塗の指導を行います、スーイエイブ州のゾゴック村から参りましたリゼルです! よろしくお願います!」
リゼルの明るく元気な声を響かせた。
するとノルンの時とは打って変わり村人たちはほっとした表情を見せる。
「とりあえず、肩肘張らずに、みんなで楽しく、イスルゥ塗をやってみましょう!」
「まっ、せっかく集まったんだからやってみるしかないさね!」
背が高く、少し気の強そうな女性が声を上げた。
すると周りの人たちも同調し始め、漂っていた緊張感が徐々に和らいでゆく。
「今日1日指導よろしくね! あたしはケイ!」
「よろしくお願いします、ケイさん! がんばりましょう!」
かくしてノルンの考えた新たなヨーツンヘイムの産業が動き出す。
(道具の配置……よし! 各員の配置……よし! 完璧だ……いざ、戦闘開始っ!)
そしてここに明らかに覇気が違う元勇者が1人。
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