第6話お仕事開始



「あ、あの、怒ってます……?」

「いや……」

「よかったぁ! えへへ」


 真横のリゼルはホッとしたように微笑む。

 怒ってはいない。怒ってはいないのだが……間近にリゼルが居るので、妙な緊張をしてしまう。


 今ノルンとリゼルの2人は肩と肩を寄せ合って、一枚のブランケットの中にいる。


「俺は構わないと……」

「肩が震えていらっしゃいましたよ?」

「うっ……」

「一枚しかないなら……い、一緒に使うしかないじゃないですか! それに、寒い晩は肩を寄せ合った方が良いっておばあちゃんも言ってましたし……! こうして傍にいるとお互い温かいですし!」


 始めはリゼルの身体が水のように冷たかったが、段々温まってきて心地よくなった。

前には焚き火、背中にはブランケット、そして隣にはリゼルの熱。

 冷え切っていた体が徐々に温まり、筋肉が弛緩してゆくのが分かる。

 

否が応でも睡魔が忍び寄ってくる。確かに、昨晩はほぼ寝ずで、リゼルを見守っていたので寝不足ではあった。

もっとも、寝不足という感覚を、どれぐらいぶりに感じたか。


「お疲れなんですね。どうぞ私に構わずお休みください」

「いや、しかし……」

「昨日は私がぐっすり眠らせて貰ったんです。今日はノルン様の番です」

「だが……」

「なにかあったら起こしますし、私が傍で見守っています。だから安心してお休みください」


 ただの一般人でしかないリゼルが、いざという時、何かができるとは到底思えない。

しかし不思議と彼女が隣にいるだけで、安らぎを覚え、睡魔がさらにすりよってくる始末。

もしかすると、久方ぶりの人間らしい感覚に、自然と体が反応しているのかもしれない。


「何か、あったら、必ず…、起こ……」

「はい! って……ふふ」


 聖剣の力によって、ずっと睡眠という概念からも切り離されていた元黒の勇者バンシィこと、ノルン。

彼はずっと聖剣の加護によって失っていた生き物らしい欲求の一つ"睡眠"へ身も心も委ねてゆく。


 リゼルは暫くの間、眠ったノルンの脇で、大人しくしていた。

 やがてノルンが安らかな寝息をあげていることを確認し、恐る恐る彼の頭へ手を伸ばす。

 

 黒々とした彼の髪は、意外にさらりとしていて、撫で心地が良かった。

 

「今日もよく頑張りました、勇者様。やっぱり貴方はすごく……かっこいいですっ……。どうぞ、ごゆっくりお休みくだ……ふぁあ……」


 リゼルもまた欠伸をし、自然と瞼が下る。

 彼の逞しい二の腕へ寄りかかり、眠りに落ちる。

 

 煌く星空の下、赤々と燃える暖かい焚火の前。

 ノルンとリゼルは一枚のブランケットの中に肩を寄せ合って、深い眠りに落ちてゆくのだった。

 

 

●●●


「それでは行ってくる」

「はい、行ってらっしゃい! 山小屋のお掃除は任せてください! 食べられそうなものも探しておきますね!」


 見送りはリゼルたった1人。勇者の頃、一歩王都から出ようものなら、大袈裟なパレードが催されたもの。

大袈裟なそのパレードは好きではなかったが、これを専門としている業者や商人がいたらしい。パレードに彼らの生活がかかっているならばと、我慢していたが、実際はいつも居心地の悪さを感じていた。


(これがぐらいが丁度いい。俺には、これぐらいが)


 妙な心の落ち着きを感じつつ、ノルンは山に背を向けて、麓の村へと降りてゆく。

 一日遅れてしまったが、麓の村の村長へ新任の挨拶をするためである。


 緑の中に民家が点在している典型的な田舎風景。それが麓の村の第一印象だった。

日中のためか人通りは少なく、みかけた商店に人影はなく、村で唯一の診療所も数名のお年寄りが集っているだけ。

穏やかであるといえば穏やかだが、寂しい雰囲気がするのは否めなかった。


(やはりこれも重税の影響か……)


 一応、役人の立場にあるノルンは、税を徴収する側の人間である。

しかし今の村の状況をみて、徴収するのは心苦しい気がしてならない。

 そんなことを考えているうちに、少し大きめの民家の前ーー村長の家の前に到着していた。


 勇者として大陸全土、あるいは暗黒大陸まで渡ったことあるノルンは、これまでみたどの村長の住まいよりも小さく、そして質素なものだと感じた。


「早朝に失礼する。山の管理人の新任の挨拶きた。誰か居ないか?」


 戸を叩いて、静けさへ声を響かせる。

 ややあって扉が開き、家の奥から、腰の曲がった翁が現れた。


「これはこれはお役人様。こんな格好ですみませぬ。村長を務めておりますゲマルクと申します」

「いや、突然やってきたこちらが悪い。気にするな。昨日よりヨーツンヘイムの山林管理人として着任したノルンだ。よろしく頼む」


 ノルンは挨拶と同時に、リゼルが持たせてくれた可愛らしい筒を差し出す。


「これは……?」

「煎じたホウチャ草だ。湯に浸して飲むと美味い、らしい」

「よろしいので?」

「? 貴方への手土産なんだ。受け取るに俺の許可がいるのか?」

「いえ……では、ありがたく頂戴いたします」


 村長はまるで宝石でも受け取るように、恭しい態度で茶筒を受け取った。

 昨日出会ったガルスといい、村長といい、やはり前任の管理人と住民の間には深い溝があったようだ。


「時に、少し色々と聞いても良いか?」

「なんなりと」

「この村は妙に寂しい気がする。やはり税の影響か?」

「お恥ずかしながら、その通りでございます。この村は主に林業・農業で生計をなしておりますが、バルカポッドから輸入されてくる、安い材木や野菜の影響でなかなか苦しいものがあります」


 バルカポッド妖精共和国――妖精と闇妖精が融和して誕生した森林に恵まれた国で、ネルアガマ王国と対魔連合を結成してからは、大陸全土へ積極的に安価で木材を輸出している。のんびりとした妖精の国家のためか、価格は安いが、品質はあまり良くない。しかし安さは正義であり、品質は良いがどうしても価格が上昇してしまい、国内の材木業者は悪戦苦闘しているらしい。


 他にも連合加盟国であるアッシマ鉱人帝国や、ウェイブライダ竜人一族も、ネルアガマのご機嫌を取るために、様々な品を安価で提供している。


「なるほど。状況は理解した」

「皆、日々、連合の勝利のためと懸命に働き、税を支払っております。しかしこの状況です。どうか寛大なる御心を……」


 本来ならば、管理人としてそんな要求など受け付けられない。

しかし、現状をその目で確認したノルンは、どうしても跳ね除けることができなかった。


「今日はこれで失礼する」

「はい。いつでもいらっしゃってください。基本的にないつもここにおりますので」

「わかった。その、なんだ……」

「はい?」

「俺に何ができるかはわからん。しかし管理人としでできる限りのことは全力でする。約束する。では」


 ノルンは逃げるように村をさり、今度は山林の中へと入ってゆく。

 一昨日の夜、実行できなかった山の把握をするためである。


 ノルンは山小屋で見つけたヨーツンヘイムの地図を開く。

 ここには多数で多様な山があった。


 最も大きな火山であるヅダを中心に、オリバー、モニク、デュバルといったいくつもの山が連なる山岳地帯である。

 この全てをノルンは管理しなくてはならないらしい。


 想像以上に緑は広く、標高差もかなりあり、気候・動植物の多様性は目を見張るものがある。

確かに前任の山林管理人が、名ばかりになって、放置するのもわからなくはないほどヨーツンヘイムは広い。

たとえ元勇者のノルンでも全てを回り切るのは骨が折れる。


(しかしきちんと自分の目で色々と確かめねば。とりあえず一山くらいは)


 ノルンはブーツの検め、紐をしっかりと締め直す。

身体中を循環する魔力を足へ集中させる。そして彼は矢の如く、素早く走り始めた。


高速移動スキル――【ジケッシュヴァシリ】


 連続使用は最大三十分までのこのスキル。これまでは緊急時以外使わないようにしていた。

しかし今のノルンはただの山林管理人。走った先に魔物はいないし、戦う必要もなく、遠慮なくジケッシュヴァシリを使うことができる。


 高速で移動しつつ、ヨーツンヘイムの一つの山、オリバーをみて回る。


 いくつもの沢があり、水は豊富。

 ところどころに広葉樹林に混じって、よく手入れされた針葉樹林と切り株がみられた。

一部の斜面は剃ったように開けていて、まだ小さな苗木が規則正しく植えられている。

 麓の村にもっとも近いオリバーでは林業が盛んなのは明らかだった。


(山小屋の修理には材木が必要。ならば、麓の材木業者に相談をしてみる……)


「――ッ!?」


 ノルンはジッケッシュウヴァシリを解除し、ブーツのかかとが砂煙を巻き上げる。

 まだ足に残っている魔力を全開。切り立った斜面を遮二無二飛び降りる。


 そして着地と同時に今度は両腕へ使える全ての魔力を注ぎ込み、転がり落ちていた巨木の幹を受け止めた。


「あ、あんた……!?」


 一歩おそければ巨木の下敷きになっていただろう、男の震えた声が背中に響く。


「は、早く引き上げろっ! 長くは持たん!!」


 勇者の頃ならば、この程度の巨木などあっさり破壊することができた。

しかし今の彼は力の源である聖剣を失ったただの人。

しかも思いの外地面が柔らかく力が分散してゆき、体が次第に押され始めてしまう。


 すると大勢の男たちが、ノルンの支える巨木へ群がり始めた。


「縄だ! 縄で括って引きずり上げろ! 急げっ!」


 聞き覚えのある野太い声が響き、屈強な男たちは巨木へ何本もの縄を縛り付けてゆく。

やがて勇ましい掛け声の合唱が響き渡り始めた。

 巨木を支えるノルンの腕が次第に楽になり始める。

かくして巨木は縄によって坂の上まで引き釣り上げられるのだった。


「助かったぜ! 誰かは知らねぇ……って、おめぇは確か、新しい管理人の……?」

「ノルンだ。おはよう、ガルス」


 ノルンが挨拶をすると、昨日山小屋の前で出会い、不信感を露わにした男:ガルスは複雑な顔で彼をみやる。

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