第5話ヨーツンヘイムの男たち


 武器といえる武器はなく、あっても腰に差した薪割短刀バトニングナイフ一本きり。

しかしノルンの手はそこに伸びず、代わりに黒々とした影を落とすギャングベアへ視線をあげた。


(下がれっ!)

「ガウッ!?」


 ただ睨み、念を送っただけ。

それだけで、山の暴徒として君臨する獣は怯んで見せた。


(これ以上、近づくな。賢いお前なら、この先どうなるかわかるだろう!)


「グゥゥゥ……!」


(去れっ!)


「……ッ!! ガァァァァ!!」


 しかし、ギャングベアは咆哮を響かせ、鋭い爪のついた前足を繰り出す。

 再度、リゼルを抱きしめつつ、横へ飛び回避する。


 すると、地面についたノルンの手へ、粘ついた何かが付着した。

 一撃も貰ってはいない。しかし、手が赤黒い血で真っ赤に染まっていた。


「ガァァァ! ガァァァァ!!」


 ギャングベアは必死に爪を明後日の方向へ振り回している。

 その様を観てノルンはようやくギャングベアの有り様に気がついた。


 既にギャングベアの両眼は潰れていて、そこから涙のように血が滴り落ちていた。

 身体中も裂傷だらけで、黒々とした体毛が血で固まっている。


(討伐の途中だったのか)


 ギャングベアは光を失い、傷の痛みで錯乱している様子だった。

 助けてはやりたい。しかし聖剣なしのノルンでは、回復魔法を使うことはできない。たとえ勇者の力を持ってしても、部位再生は不可能。それこそ三姫士の1人、鉱人術士のアンクシャでもいなければ。

 ならば黒の勇者ではなくなった彼にできることは一つきり。


 しかしその解決方法に哀れみの気持ちが躊躇いを生じさせる。


 その時、リゼルがノルンの服の裾を摘んできた。


「リゼル?」

「お願いします、ノルン様、あの子はもう……」

「……」

「救ってあげてください。もう見ていられません」

「……わかった」


 リゼルの後押しを受け、決心をしたノルンは薪割短刀の柄を握りしめる。

強く地面を蹴り、砂塵を巻き上げながら、錯乱するギャングベアへ向けて矢のように跳ぶ。


 聖剣に由来しない己の魔力を高め、いくつかある戦闘スキルの中からソレを選び出し、短刀へ付与する。


「ガアァァァ!!」


 ノルンの接近を空気の流れと残った聴覚で気取ったギャングベアは向きを変え、前足を振り上げた。


 鋭い爪が振り落とされ、そして虚しく空を切る。

 華麗に爪を避けたノルンはそのままギャングベアの懐へ飛び込んだ。


「もう良い、楽になれ!」


 短刀の刃がギャングベアの胸骨を打ち砕き、深く突き刺さる。

 体躯でも、力でも人よりも勝る獰猛な獣は、一拍大きく息を吐く。


「よく頑張った。ゆっくりと休め」


 短刀を抜くと、既に息をしていなかったギャングベアは崩れるように倒れ込む。

 上手く即死させられたようだった。


 【弱点特攻】――相手の弱点箇所を瞬時に看破し、痛烈な一撃を叩き込む、戦闘スキルの一つ。

これを魔力の限界まで高め、重ねがけをしたため、薪割短刀でも一撃必殺ができたらしい。


「痛かったね、苦しかったね……でもこれで楽になれたよね?」


 リゼルは服が血で汚れることも厭わず、涙を流しながら倒したギャングベアを撫で続けていたのだった。


「お、おーい! そこの2人、大丈夫か!?」


 森の奥から斧やフォーク、はたまた桑をもった数人の屈強な男たちが姿を表す。


「って!? な、なんだぁ!? まさか、ギャングベア、兄ちゃんが倒したのかい!?」


 一際屈強で、斧を肩に担いだ、まるで熊のような男が聞いてくる。


「いや、止めをさしてやっただけだ」


 ノルンは薪割短刀を鞘へ納めつつ、静かに答える。


「止めだけだったとしてもアンタすげぇよ! しかも薪割短刀(バトニングナイフ)でだろ? アンタ一体……」

「おい、ガルス」


 熊のように大きい【ガルス】という男は、仲間に声をかけられ、思い出したかのように背筋を伸ばす。

そしてギャングベアの遺体を、ぐるりと囲んで、そして傅いた。


「「「「「山の神よ、かの者の魂へ安息を。冥界への良き旅立ちを……」」」」」」


 苦境な男たちは倒れたギャングベアへ、人と同じく祈りを捧げた。


「痛くして悪かったな。ゆっくりお休み」


 リーダー各らしいガルスはそう言って、ギャングベアの遺体を優しく撫でる。

 

 ギャングベアは害獣である。しかしそんな害獣へも慈しみの気持ちを欠かさない――やはりヨーツゥンヘイムという場所は

優しい場所なのだと改めて思うノルンは思う。

 リゼルもまた、頬から力を抜くのだった。


「急に悪かったな。これが村のしきたりなんだ」

「いや。とても良い習慣だと思う」

「コイツには結構作物や家畜もやられたし、住民だって襲われたけどな……まぁ、それでも最期くらいはってことで。ところで、アンタ何もんだい? 冒険者かい?」

「自分はノルン。ヨーツンヘイムの山林を任された、新しい山林管理人だ」


 途端、ガルスを始め、ヨーツゥンヘイムの男たちは一斉に表情を硬らせる。

朝の空気を肌がより冷たく感じる。


「ほぅ、アンタが新しい管理人ね。しかも女連れたぁ、結構なこって」


 さきほどまで人の良さそうな顔をしてたガルスは、猛禽類のような視線を向けてくる。

 怯えたリゼルは小動物のようにノルンの背中へ隠れる。

 だいたい前任者と住民との関係性をノルンは理解する。


「そのギャングベアは持っていってかまわん」

「あたりめぇだ! こいつをここまで追い詰めたのは俺らの成果だ! 怪我人だって出てんだ、当然だろ! おい!」


 ガルスの指示に従って、屈強な男たちは慣れた手つきでギャングベアの遺体を、縛り上げてゆく。

 そして皆一様に鋭い視線をノルンへ送ったまま、別れの言葉もなく、去ってゆく。


「あの、えっと、ノルン様……」

「問題ない。慣れている」


 振り返り、リゼルを安心させるよう、冷静に答えを口にする。

 連合首脳の叱責や理不尽よりもだいぶマシである。


(しかしなかなかの関係性だな。前任者と地元住民は……)


 山小屋の整備に加えてもう一つ仕事ができた。

 まずは何からすべきかと、ノルンは考え始める。



⚫️⚫️⚫️



 ノルンとリゼルは丸一日かけて、山小屋を覆っていた雑草を刈り取った。

 しかし山小屋の中はずっと光が閉ざされていたので、埃だらけのカビだらけ。さすがに今、山小屋を寝床にするわけには行かない。

 故にノルンは目の前に小屋がありながらも、庭にテントを張り、二晩目の野宿を敢行していたのである。


 赤々と燃える滝びの火を唯一の光源に、ノルンは目をしかめつつ、山小屋の中から見つけた山林管理人の業務内容を読み込んでいる。


(基本業務は巡視で、各種税の徴収か。半年の一回の違反者の裁判権も……ふむ)


 ただ山に住み込んで、見回るだけだと思っていたが、意外に仕事が多かった。

 確かにこれだけの権力があれば、好き放題できなくもない。

 もっとも、そんなことをするつもりはないのだが。


「どうぞ」


 焚き火の向こう側にいたリゼルは、カップを差し出してくる。

 湯気に混じって柑橘類を思わせる爽やかな香りが昇っている。

疲れた頭にはぴったりだった。


「これは?」

「レモンハーブティーです。近くに一杯生えていましたから」


 周囲から柑橘系の匂いがしたのは、これが原因だったらしい。


「ありがとう」

「いえ。お仕事の邪魔をしてすみません」


 そう言って彼女は肩を抱き、背中を丸めて焚き火の向こうへ戻ってゆく。

 見るからに寒そうだった。

 ヨーツンヘイムはマルティン州の中でも標高が高い位置にあり昼夜の寒暖差が激しい。

平地が多く、一年を通して温暖なスーイエイブ州出身のリゼルに、この寒さは応えるのかもしれない。


(たしか、あったはずだ)


 外して脇へおいた雑嚢を探る。

 そして大きさに関係なく999個まで物をしまえる、マジックアイテムの雑嚢の中から、裏地が起毛している大きなブランケットを取り出す。


「やっぱり寒いなぁ、ヨーツンヘイムって……あっ!」

「使え」


 リゼルの肩へブランケットをかけ終えたノルンは、素早く踵を返す。


「あ、あのっ! ノルン様は?」

「問題ない」


 とは言ったものの寒いのは彼自身もだった。しかしブランケットは一枚きり。

我慢するなら男子の方……と、妹弟子のロトや三姫士、更には剣聖リディにも言われて続けていたので、仕方がない。

 それに気温という感覚も久々なので、もう少し味わっておきたような、でもやっぱり寒いような。


「ノルン様!」

「?」

「ちょっとこちらへ」


 呼ばれたので素直に戻ってみた。


「あの、もっと近くに。しゃがんでください」

「ああ」

「も、もっと!」

「あ、ああ……」


 言われた通りなるべくリゼルの近くにより、しゃがんだ。

 ふわりとリゼルの肩へ掛けたはずのブランケットが夜空に舞い上がる。

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