第7話 モーセとハンカチ


『なんだ!?』


 部屋にいた4人はどよめく。

 それほどまでに逼迫感のある叫び声であったのだ。

 早急に4人はエントランスホールへ向かい出す。

 しかし美魔女の自室は3階なので、向かうまでには距離がある。


「こっちだ!」


 美魔女が先頭に立ち誘導する。

 俺達は自然とそれに従っていた。

 力強く凛としたその声は、女性が上に立つためには必須なのだろう。

 そして美魔女が誘導した先は、3階から1階まで吹き抜けになっている場所だった。


「行くぞ!」


 美魔女は吹き抜けに吸い込まれるように飛び降りた。

 俺達もあとに続いたが正直怖い。何より心配なのは受付職員の女性である。


(……大丈夫か?)


 しかし、その心配は杞憂に終わる。

 受付職員は嬉々として飛び降りたようで、まるで遊園地の絶叫マシンに乗る時のサキのようだ。


(サキ? 一体、誰だ……?)


 そんなことを考えている間に地面が近くなる。

 だが不思議なことにそれほど焦りや恐怖はない。


(でも、このまま着地したら骨折じゃ済まないのでは?)


 そう思った瞬間に着地してしまった。


「うぉぉっ!?」


 足元から頭の先まで波のように痺れてきた。

 すぐには動けそうにないが、それ以外に異常はない。

 流石は異世界、なんでもアリだ。恐らくは神様から貰ったこの靴のおかげだろう。


(あとでスキャンしてみるとするか……)


 他の3人は既に駆け出している。皆さん、お強いのね。

 そんななか、あの野郎は駆けながらも俺を見てきた。


「フッ!」


「あの野郎! 鼻で俺を笑いやがった! マジ許すまじ!」


 怒髪天を突く勢いで怒りが沸いた。

 しかし、まだあと少しだけ両足が痺れている模様。


「よし! 痺れが取れた!」


 漸く両足の痺れが取れたので、全速力で駆け出すことに。



 しかし、3人の元へ追いつく前に目的地へ到着。

 物凄い人溜まりとなっており、その中心には血塗れの男性と隣で泣き叫んでいる女性がいた。

 美魔女達の方が先に中心へ辿り着き、男性の状態を見ている。


「……!? これは……」


 美魔女の動きが止まった。相当に深刻なのだろう。

 男性の周りにはポーションの空瓶が複数ある。つまり、どれも意味を成さなかったのだ。


 美魔女が女性を見て首を横に振ると、女性は再び泣き叫んだ。

 この悲痛な叫びを聞いて、一刻も早く辿り着きたいのに野次馬達が多すぎて先に進めないでいる。



「道を開けて下さい! お願いします! 手遅れになる前に助けないといけないんです!」


 この台詞を何度も何度も何度も繰り返しても一向に道は開かず、先へ進める気配は無い。


(手遅れになる前に早く行かなきゃなのに!)


 かつてないほどに焦燥する俺は、きっと酷い表情をしていることだろう。

 悔しさと心苦しさも相まって泣きそうになる。


(泣いちゃダメだ! 今泣いてるヒマなんてないハズだ!)


 己の両頬に平手打ちをして、気合いを入れ直してから再度大声を上げる。


「退いてくれ! 頼むから! 俺が行かなきゃ助からないんだよ! お前らは見殺したいのか! くそが!」


 前世でも発したことのない声量と暴言を吐き、野次馬達に変化があるかと思ったが、何一つ変わることは無かった。


(これでもダメか……もしかして、俺だからダメなのか?)


 悔しさを通り越し無力感に苛まれ、前世から巣食う自己否定が姿を現した。


「あぁ、俺じゃ助けることはできそうにないや……助けられなくてごめんなさい……」


 自己否定により、とうとう諦めの言葉を口にしてしまう。

 その瞬間、瞳の輝きを失い、そして堪えていた涙も頬を伝う。



「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 諦めてからは、うわ言のようにずっと謝り続けている。

 無情にも、謝ったとしても時間が止まることはない。

 今も刻一刻と時は過ぎるばかり……しかしその時、後方から声が聞こえてきた。


「みんな! 頼む! 道を開けてくれ!」


「!?」


 聞いたことのある声だ。咄嗟にその声のする方へ振り返る。

 すると、そこにはデニム達4人が手分けして野次馬達を散らしているではないか。

 そして、あっという間に俺の前だけ道が開けた。



(まるで、モーセの十戒のようだ……)


 道の先には血塗れで瀕死の男性と、泣き叫び過ぎて声が枯れている女性、そして何もできない悔しさに下唇を噛み締める美魔女……いや、ナオの姿があった。


 その光景を目にした瞬間、涙を拭き、諦めを捨て、瞳の輝きを取り戻し、ゆっくりと始めの一歩を踏み締め歩き出す。

 

 焦らず、急がず、速やかに、俺は歩を進める。


(アイスの法則だ。まさかこんな所で役に立つなんてな……おかげで冷静になれて視界がクリアに見える!)



 男性の隣に到着し、片膝を付いて怪我の状態を見る。


(うっ……これは酷い……)


 左腕は肘から下が欠損し、左脇腹は喰い破られたかのように抉れ、そして全身には無数の爪痕が見受けられる。


「何をする気だ!?」


 ナオが不安そうに問うた。


「大丈夫、必ず救ってみせます!」


 こういう時、必ず・絶対と言うのは禁句なのだが、それでも敢えて口に出した。そして、覚悟を決めて唱えた。(今回も頼む! 再生さん!)


「再生!」


 男性は白く淡い光に包まれた。

 徐々に徐々にだが回復をしている。しかし、キュロットの時より明らかに遅い。恐らく対象者の生命力の差だろう。

 男性の方が明らかに深刻で、とても安心などはできない。

 何故なら、治療の途中で息を引き取ることもあり得るのだから……


 この建物内にいる全員が、固唾を呑んで見守り出す。

 声の枯れた女性は両手を組み合わせ、神に祈るかのような佇まいをしている。

 その姿を目の当たりにして、改めて必ず救うと決心した。



 男性の体は少しずつ再生されていく。

 最早、治療ではなく修復だ。欠損した左腕も抉れた左脇腹も殆ど治り掛けている。

 あと少し! その場にいる全員が思ったその時、俺に異変が起きた。


 急に激しい目眩と吐き気がして、意識をまともに保っていられなくなってきたのだ。

 すると男性を包む光も薄まってきてしまう。


「これは……!?」


 俺はすぐさま自分をスキャンした。


(リン HP 500/500・MP 150/8000)


(ヤバい! 魔力酔いか!? しかも、もうすぐ魔力切れになる!?)


 しかし動揺しているヒマはない。どうにかせねばと脳をフル回転させる。

 そんな時、俺に手を差し伸べた者がいた。


「はい! マナポーション!」


 なんと、フレアが目の前にマナポを差し出したのだ。


「フレア!? ……ありがとう!」


 フレアからマナポを受け取り、一気に飲み干した。


「うっ、不味い……けど、これなら!」


 身体中に魔力が満ちてくるのが分かり、その瞬間に確信した。

 そして男性を包む光が再び輝き出す。

 その光を浴びると、俺に巣食う自己否定の心も洗われていく気がした。




「……スゥ……スゥ……」


 男性の呼吸は落ち着き、表情も穏やかになった。

 その顔はまるで、何事も無かったかのような寝顔である。



「はぁ、はぁ、はぁ……はははっ」


 重圧と使命感から解放されたせいか、思わず笑ってしまう。


 そのあとすぐに男性の身体は完全回復し、俺は遂に、遂に男性を救うことができたのだ。



『ワァァァー!!』


 その場にいた全員が歓喜の声援を上げ出す。


 声の枯れた女性は三度泣き叫ぶ。

 しかし、その叫び声は枯れつつも歓喜によるものであった。


 歓声が落ち着く頃、男性は2名のギルド職員に運ばれ救護室へ。

 一方の女性は、俺に深い深いお辞儀をしたあとに男性を追って救護室へと歩いて行った。


 ホッとしたのも束の間、すぐに俺はナオの頬に触れ、そしてナオは驚きの表情へと変わる。

 因みに、隣にいたフレアも驚きの表情へと変わっていた。


「動かないで、今治すから」


 そう呟いたあと、ナオの切れた下唇を治療した。

 どうやら噛み締め過ぎて、下唇が切れてしまったようだ。少し出血もしている。

 すると、フレアはナオにハンカチを手渡した。


(アゲハ蝶をモチーフにしたブランド品か? なんだかフレアらしいな……)


 不謹慎だがそんなことを思ったのである。



「すまない……」


 ナオは申し訳無さそうに俺達へ呟いた。

 その言葉は色々な意味を含んでいるのだろう。とても重味のある言葉に聞こえてくる。

 いずれにせよ、これで一段落は付いたと思う。すると、急に俺のお腹が鳴り出す。


「きゅるるるるぅーっ……」


 一瞬、静寂が訪れた。

 だがそれは、すぐさま笑いの渦へと変わったのだ。


『あははははっ!!』


 俺の顔は、茹で蛸のように赤く染まる。



「感謝の意味も込めて、食事を奢ろう」


 ナオが俺にそう告げた。

 女性からのお誘いだ。断る理由は無い。

 こうして俺達は食事へ行くことになった。


 異世界の料理は野営の時以来だ。

 一体、どんな料理が出てくるのだろうか? そんな期待を膨らませながら、ナオ達と共に食事処へと向かうのだった……

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