第2話 もはや俺は陰キャにあらず

 そこにはもちろん、5年前と変わらぬ母さんの姿があって――。


「――っ! 母さん……ただいま」


 だから俺はつい目を涙ぐませながら、ずっと伝えたかったその一言を口にしたのだった。

 母さんに会ったらまず何よりも最初に『ただいま』を言おうと、この5年ずっと思っていたから。


 もちろんそんな俺の気持ちは母さんには伝わりはしない。


「朝起きて『ただいま』だなんて、あんたまだ寝ぼけてんの? ほら、早く顔洗ってきなさい。朝ご飯はできてるから早く食べて学校行きなさい。始業式から遅刻したら怒るからね?」


「ありがとう母さん。うん、すぐ用意する」


「ほんとどうしたのよ? 朝からちょっとおかしいわよ? 熱でもあるんじゃないの?」


「いや大丈夫だから。ごめん、ちょっと寝ぼけてたみたいだ。すぐに顔を洗ってくるよ」


「っていうかあんた、昨日より一回り大きくなってない? やけに筋肉質っていうか……」


「あーえっと……そう、実は夏休みの間ずっと毎日筋トレしてたんだ。だからその成果が出たんじゃないか?」


「昨日の夜まではそんなじゃなかった気がするんだけど」


「ああもうほら母さん、学校遅れるからその話は今はいいだろ」

 俺にそう言われて不思議そうに首を傾げながら、


「男の子ってこんなすぐ変わるのねぇ……」

 呟きつつ部屋を出ていく母さんの後ろ姿を見て、俺は元の世界に帰ってきたことを改めて実感していた。


(俺はやっと元の世界に帰ってきたんだ……)



 すぐに顔を洗って朝ごはんを食べ、通学の準備をする。


 シャケおにぎり、味噌汁、玉子焼き、壺漬け。

 デザートのバナナヨーグルト。

 5年ぶりの母さん手作りの日本食は、涙が出るほど美味しかった。


 バナナヨーグルトは日本食ではないけれど、この際それは置いといて。


 そして同じく5年ぶりに制服に袖を通すと、


「ちょっときついな……」

 異世界転移前の帰宅部のもやし体形と違って、実戦を通して鍛え上げられた筋肉質な身体のせいで制服がやや窮屈だったけど、まぁ仕方ない。


「これだけ違ってるのに、母さんはさっきよく納得してくれたもんだよな」


 これが親子の絆ってやつなんだろうか。


「でも夏服は半袖だからギリ大丈夫だけど、これどう考えても冬服は入らないよな。折を見て母さんに言っておかないと」


 でも1年の秋に、春先にちょっと着ただけでまだまだ真新しいままの冬服一式を新調するのは嫌がりそうだ。

 主に金銭的な意味で。


 学校指定の制服はかなりお高い。

 うちは貧乏じゃないけど決して裕福というわけじゃないもんな。


「俺も高校生だし短期のバイトでもするかな? 勇者スキルがあるからたいがいは何とかなるだろうし」


 そんなことを考えながら俺は家を出て、体感では実に5年ぶりとなる高校へと向かった。


 徒歩通学なので歩くこと20分、俺は懐かしさすら感じる高校へとたどり着いた。


「えっと、たしか俺って1年5組だったよな? 教室は3階の端の方だったはず。席はどこだったっけか……?」


 ほとんど忘れつつあった自分のクラスの場所を思い出しながら、1年5組と書かれたプレートのある教室へとたどり着く。


「おはよう!」


 そして大きな声であいさつをしながら入室した。

 途端にみんながびっくりしたような顔を向けてくる。


 何人かが反射的に「おはよう」と返してきたけど、彼ら彼女らも驚いたような顔をしているのは同じだった。


(あー、そう言えば異世界に行く前の俺って陰キャだったんだっけ。なんかもうここ5年の勇者としての体験が濃すぎてすっかり忘れてた)


 今まで静かに隠れるように教室に入ってきていた空気キャラが、夏休みが終わった途端にいきなり大きな声で挨拶して教室に入ってきたら、そりゃあみんな驚くよな。


 特に入り口近くの席に集まっておしゃべりしていた、学年でも1、2を争う可愛さと評判の蓮見さんを中心とした陽キャ女子グループは、俺と距離が近いこともあってマジマジと俺の顔を見上げている。


(ま、今じゃこっちのほうが素になってるから、わざわざ元の陰キャに戻すつもりはないんだけどさ)


 俺は目が合った蓮見さんたちにもう一度おはようと笑顔で挨拶すると、ここに来るまでになんとか思い出した自分の席へと足を向けた。

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