高坂柚葉は羨ましい

「――ゆずせんぱーい」


 翌日の昼休憩。

 乃々果とクラスメイトの千春の三人でお昼を食べ終えてのんびりしていると。聞き覚えのある、炭酸が抜けたみたいな声が教室に響いた。


 嫌な予感と共に声のする方を見ると、教室の後ろの扉のところで甘夏がやる気なさそうに手を振っていた。


 にわかにざわつく教室。二ヶ月も前であればまだ気づかれることもなかっただろう。しかし今となっては別だ。彼女はそれだけの存在になってしまっている。


「呼ばれてるよ。柚葉」


 乃々果がからかうように呟く。

 隣で興味なさげに紙パックのりんごジュースを飲んでいた千春のストローがずご、と場違いな音を鳴らした。


「……あはは。なんだろ」


 私は何食わぬ顔で席を立つ。

 クラスメイトの視線を感じた。


 何の、つもりだろうか。

 これまでも登下校の時や校内でたまに遭遇し、話しかけられることは数多くあった。


 けれどこうして私の教室までわざわざ来たことなど一度もない。だからこそ、教室内がこういう反応になっているわけで。


 きっとあの『堕天使』甘夏京と高坂が、とでも思っているのだろう。私からすればいい迷惑だ。昨日の昼食のお誘いといい、一体甘夏はなにを考えて……。


「こんにちは、せんぱい。……あ、お友達とごはん中でしたか? お邪魔してすみません」


 甘夏は申し訳なさそうに教室内を覗き込む。


「ううん。食べ終わったから大丈夫だよ。どうかした?」


 訊ねると、甘夏は困ったような笑みを浮かべて身を捩らせる。私の思考はぐるぐると回転しているが、答えは出てこない。


「ちょっとここではあれなので。場所、変えましょう」


 言うと、甘夏は何事もなかったように私の手を引いて歩き始める。


「あ、甘夏さん? ち、ちょっと」

「大丈夫です。すぐ終わりますので」


 彼女の手はひんやりとしていて。

 私よりも、すこし小さかった。


 

***



 甘夏は私と手を繋いだまま二年生のクラスの前をいくつか過ぎて、さらに進んでいく。

 そして、渡り廊下へ繋がる手前のところで立ち止まった。


 告白でもされるのだろうか、なんてばかなことを考えたところで、彼女はこちらを振り返る。


「あのー、わたし連絡先知らないなと思って」

「…………連絡先? だれの?」

「ゆずせんぱいの」

「わ、わたし?」


 全く思ってもみなかった方向からの言葉に首を傾げると、甘夏は慌てたように手をぱたぱたと振った。


「あ、悪用とかしないので! ゆずせんぱいの連絡先を狙ってる男子が沢山いるのは分かってますが、流したりはしないので!」

「いやそれは別にいいんだけど……いるかな? 私の連絡先」

「いりますっ! ほら、またお昼一緒に食べたくなった時とか、色々あるじゃないですか」


 また一緒に食べたくなる時があるらしい。

 うーん。でも私、まめに連絡返すのとか苦手なんだよなあ……。いつも乃々果や千春に返事が遅いだの、なんで見てないのとか言われるし。


「……いや、ですか?」


 甘夏はどこか不安そうな表情を浮かべる。

 嫌、ではない。そう思うための理由を探してみる。


 ……結局、昨日のパンのお金受け取ってくれなかったし、その恩もあるよね。別に、いっか。私の連絡先くらいで良いのなら。


「いやじゃないよ。うん、いいよ」

「ほんとですか! やった、じゃあ私が――」


 嬉しそうにスマホを取り出して操作し始める甘夏。


 ……こういうところ、なのだろうか。

 彼女は私のように周りの目を気にして行動するのではなく、自らの思いや伝えたいことを素直に言葉に出来る。


 ……私にはきっと、形だけの真似は出来ても。心の底から素直にはできないだろうな。

 なんて、嫌な気持ちが湧き上がる。


「できました! ありがとうございます! へへ。毎日連絡しますね!」

「あ、うん。待ってるね」


 いつものように私は笑顔で答える。

 ほんの一瞬だけ、甘夏の目が見開かれた気がして。またすぐに彼女は微笑む。


「はい。……じゃあ、また」


 甘夏はその小さな手を可愛らしく振って、去っていく。すれ違った男子生徒が彼女の方を振り返るのが見えた。


 その姿が渡り廊下の向こうへ消えてから。

 私は小さくため息をつく。

 

 やっぱり私は甘夏京が苦手で嫌いだ。

 ……そして、ほんの少しだけ。

 彼女のことが、羨ましい。

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