高坂柚葉は知らない

「柚葉、そういえば今日のお昼誰とごはん食べてたの?」


 放課後のこと。

 帰り道で友人のたちばな乃々果ののかが訊いてきた。

 私は黒のローファーで道端の石をこつんと蹴飛ばしてから答える。


「えーと。一年生のほら、甘夏京ちゃん……」

「あ、あまなつぅ!? って、あの? めちゃくちゃ可愛いらしいじゃん。なんだっけ? ……だ、駄女神?」

「……堕天使。寝癖もついてるし制服もシワ残ってるしだらしないけどね」


 私が言うと、乃々果は揶揄うように笑う。


「てことは天使と、堕天使ってことだ?」


 恥ずかしいからやめてほしい。

 私は無言でその意思表示をする。


「いやー、それは学食盛り上がっただろうね。ただ、なんか死ぬほど塩対応なんだっけ?」

「塩、対応……?」


 あいつが?

 甘夏のへにゃりとした笑顔が脳裏をよぎる。

 そんなふうには見えなかったが。


「てか二人はなんで? 甘夏と仲良かったの?」

「それは――」


 大したことじゃないんだけど。

 そう前置きして、私は話し始める。



 ――甘夏と出会ったのはゴールデンウィークが明けた五月半ば。


 いつものように家を出て、電車を降りて、学校へと向かう途中のことだった。


 一箇所だけ、信号の待ち時間がかなり長い横断歩道がある。そこでぼんやりと信号が変わるのを待っていた私は、少し横をふらふらと本を読みながら歩く甘夏に気付いた。


 歩きながら本を読むなんて危なっかしいな、あれ、あの背表紙って……なんて、思ったところで。


 甘夏は赤信号に気づいていないのか、本に視線を落としたまま周りの人につられて進んでいく。まさかね、そんなはず……。


 周りの人が赤信号を見て立ち止まる。

 そんな中、甘夏はそのまま歩みを止めることなく――。


「――ねえ!」


 私は彼女の腕を掴んだ。心臓がどくどくと高鳴っている。私たちのすぐ目の前を、大きなトラックが風を切って通り過ぎていった。


 驚いたように目を見開いた甘夏は、私と赤く灯る信号機を何度か交互に見た後。


「…………あ。ご、ごめんなさい」


 申し訳なさそうに、私を見上げてそう呟いた。


 そうやって私たちは知り合った。

 あれ以来、やけに甘夏は私にかまってくるのだ。


 まさかあの時の彼女が。

 これほどまでにだらしなく、そしてとてつもないヒロイン力を秘めているなんて誰が思うだろうか。


 それに。ここ最近の彼女は特に危険だ。

 私を堕天の道に進ませようと、誘惑に誘惑を重ねてくるのだ。……注意しなければ。


「なるほどねー、確かに私も何度か学校で見たことあるけど、なんかフラフラしてるもんね」


 話を聞き終えた乃々果は納得したように頷いた。


「でも珍しいね。柚葉、だらしない人苦手でしょ? 一番仲良くなれなそうなのに」

「仲良くなんてないし。向こうがしつこいから仕方なくだから」

「ふうーん?」

「……なにかな」

「べっつにー?」


 にやにやと笑みを浮かべる乃々果から私は目を逸らす。仲良くなんて、ない。

 私はまだ、甘夏京について全く知らないのだから。

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