裏34話 救えなかった思い(※三人称)

 人間の死。それはいつ見ても悲しいが、今回はいつもと違っていた。彼が死んでも、胸が痛まない。妙なやるせなさはあっても、それが「虚しいモノ」とは思えない。連なる命の流れがただ、剣の一振りで「終わった」としか思えなかった。


 彼等は、領主の死を呆然と眺めた。町の火がまだ消えない中で、そこから人々の悲鳴が聞こえる中で。その不思議な感覚に捕らわれていたのである。彼等は地面の上から立ちあがると、味方の周りに集まって、相手の動きをじっと窺いはじめた。「終わったんだね?」

 

 そう呟いたのは、ゼルデ。それにつづいたのは、「うん」とうなずいたライダルだった。二人は領主の死骸を見おろしたが、そこにヴァイン嬢が割りこんだ事で、彼女の顔に視線を移してしまった。彼女の顔は「悲しい」とも「悔しい」とも言えない表情、「苦悶」の表情にあふれている。「ヴァイン、さ」

 

 ヴァインは、その声を無視した。ライダルがそれを言ったのは、確かに分かったのに。目の前の現実が、彼女から冷静な判断を奪ってしまった。彼女は地面の上にしゃがんで、そこを思いきり叩きはじめた。「どうして、どうしてよ? どうして」

 

 私から生きる理由を奪ったの? 私がこの場に立ちつづける意味を奪ったの? これがなくなったら、私に生きる意味なんてないのに? 私はこの人を殺すため、この人が生きる世界を壊すため、ずっと今まで耐えてきたのに? 「貴方達は、その我慢を無駄にしたんだ!」

 

 彼女は恨めしい顔で、少年達の顔を睨んだ。少年達の顔はなおも、彼女に真剣な顔を向けている。「責任を取って! 今すぐ」


 彼等は、それに首を振った。彼女への悪意ではなく、善意を込めて。その歪んだ思いに拒否を示した。彼等は領主の前にしゃがんで、その死に顔をじっと見おろした。


「この人を生き返らせたとして。それが君の救いになるのか?」


「え?」


「こんな人間のためにまた、自分の人生を費やして。君は」


 ヴァインは、その質問に押しだまった。質問の答えは、「そうだ」と分かっているのに。それが口から出た瞬間、それを何故か飲みこんでしまった。彼女は「悔しい」とも「切ない」とも言えない顔で、父親の前に泣きくずれた。


「それならどうすれば、良いんです? 私がこれから生きていくのに? 私は、何を恨んで」


「恨まなくていい」


 彼女にそう言ったのは、彼女の手に触れたライダルだった。ライダルはゼルデほどではないにしろ、彼女の過去を痛み、そして、彼女の未来を憂えた。「生きる意味は、恨みだけじゃないもの。恨み以外の希望を抱いたっていい。君は、君には、それを目指せる好機があるんだ。己が道の分岐点に絶望を抱いちゃいけない」



 ヴァインは、その言葉に口を閉ざした。本当は何か、それに「言いかえそう」と思っていたのに。胸から沸いた感情が、その気持ちを阻んでしまった。彼女は二人の少年に慰められてもなお、悔しげな顔で地面の上を叩きつづけた。「うるさい、うるさい、うるさい! 好き勝手に言って? 貴方達に何が分かるの? こんな地獄に生きる」


 ゼルデは、その続きを遮った。そこから先は、「言わなくてもいい」と言わんばかりに。彼は悲しげな顔で、少女の目を見かえした。


「分からないよ? 分からないけど」


「なに?」


「苦しい気持ちは、分かる。その内容はどうであれ、君が苦しんでいる気持ちは。俺も、現実の理不尽を知っているからね? それを恨む気持ちは、分かる。この世は、俺達が思っている以上に不条理だ。でも、それでも!」


 生きなければならない。ゼルデはそう、彼女に微笑んだ。「最後の瞬間が来るまで。俺達は、生きつづけなきゃならないんだ」


 ヴァインは、その言葉に眉を寄せた。「そんな事は、聞きたくない」と言う顔で。


「冷酷よ」


「え?」


「貴方達は、冷酷。私の人生を壊した父と同じだわ! 自分達の主張だけを言って、相手の気持ちは分かろうともしない。貴方達は、『善』のフリした悪人だわ!」


 ゼルデは、その言葉に黙った。ライダルも、それに倣った。二人は彼女の魂が曇ってしまった事、そして、それがもう引き返せないところにあるのを察してしまった。ゼルデは彼女の前から引いて、ライダルにも「引こう」と促した。「本当は、今すぐでも救いたいけど。彼女を救えるのはもう、彼女しかない。俺達がどんなに頑張ったって、彼女は」


 ライダルは、それに首を振った。彼の主張も分かるが、それ以上に「引けない理由」もあったからである。ライダルはゼルデの制止を振り切って、彼女になおも手を伸ばそうとした。だが、「え?」


 それを妨げる者が一人。彼女の従者であるハルバージが、ライダルの手を弾いてしまった。ライダルは味方の全員に「一時撤退」を命じると、今度はヴァインにも「ここにいても、得はない」と言って、戦場からの離脱を促した。「ヴァインの気持ちも分かるけどね。ここは、気持ちを切りかえよう? 復讐の相手は、彼等だけではないんだから。君にはもっと、働いてもらわなきゃならない」


 ヴァインは「それ」に戸惑ったが、やがて「分かった」とうなずいた。数秒の葛藤こそあったものの、冷静な自分が「確かに」とうなずいたらしい。彼女はゼルデ達の「待て!」を無視して、緊急脱出用の呪文を唱えた。「今度は、絶対に殺してやる」


 ゼルデは、その言葉に眉を寄せた。ライダルも「それ」に悲しんだが、相手の姿が見えなくなると、寂しげな顔で地面の上に目を落とした。二人は、彼女の未来を憂えた。

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