第168話 因果応報

 それに驚いた俺だったが、気持ちの方は意外と落ちついていた。町の中に魔物が攻めてくるのは、別におかしな事ではない。どんなに硬い防壁を張りめぐらせても、それを乗りこえてくるのが魔物だ。防壁の守りを薙ぎ倒して、その壁をぶちこわしてくるのが魔物である。俺の両親もまた、そんな風に死んだ者達だった。


 だから、別に驚かない。反射としての驚きはあっても、精神としての驚きはなかった。敵が自分の所に攻めてきたのなら、それをすぐに滅ぼしてやればいい。周りの人達は迫り来る恐怖に怯えていたが、俺にはただの悲鳴、魔物への殺意を膨らます警告にしか聞こえなかった。

 

 俺はベンチの上から立ちあがって、少年の顔に視線を移した。少年の顔は、今の騒ぎに震えあがっている。「町の避難所は? 

 

 普通は、避難所を設けている。魔族の侵攻があまりに速い場合は別だが、時間の余裕がある程度にある場合は、そこに逃げるのが定石だった。避難所の周りには硬い防壁が、防壁の内側には精鋭部隊が控えている。そこに逃げれば、一応の危難は越えられる筈だった。でも、「無駄です」

 

 少年のそれが、その希望を壊してしまった。少年は「不安」と「恐怖」に煽られた顔で、俺の目をじっと見かえした。「領主様が、壊してしまったので。そこに使われる財源はすべて、館の守りに使われてしまいました。娘の復讐に怯えてか、自分達の周りばかりを固めてしまったんです。己が命を守るために。町の防壁が破られたのも、外の守りを弱めていたからです。そうでなければ、こんな簡単に!」


 俺は、その話に苛立った。それが本当なら、正真正銘のクソ野郎だ。初めて会った時も、これと同じような事を思ってしまったし。ここの領主は、本当に「保身」と「見栄」しか考えていないようだった。


 俺は「それ」に怒ったが、町の人達が逃げ惑う姿を見て、「領主の事を殴るのは、後にしよう」と思いなおし、少年に「安全な所に逃げろ」と言って、爆音の聞こえた方に走りだした。


 だが、それから数秒後の事だろうか? 俺が町の出入り口に向かって走りだそうとした瞬間、センターの職員らしき人が俺に向かって「冒険者は、領主様の館に急げ」と言った。「館の守りについてもらう。それ以外の者は、各々に自分の身を守る事!」

 

 俺は、その指示に唖然とした。特に「自分の身を守る事」の部分、これには言いようのない怒りを覚えた。領主は、我が身かわいさに封土の民を見捨てたのである。その事実が、俺の五感、感情、精神を震わせた。後なんかじゃダメだ。あの領主は、今すぐにでも殴らないと。彼等が自分の周りに冒険者を置けば、町には何の守りもなくなってしまう。兵士だけで魔物の侵攻を阻むのは、(現実問題として)難しい。


 正直、「アホ」としか思えなかった。俺は右手の拳を握って、領主の館に走った。館の中には、例の領主が立っていた。領主は自分の後ろに親類(と思う)を立たせて、自分の周りには兵士達を、兵士達の周りには冒険者達を立たせている。「侵入者の魔物をいつでも追っ払えるように」と、館の守りを固めていた。


 俺は、その光景に腹が立った。「自分だけが助かろう」とする光景に、そして、「それを当然だ」と言う光景に。心の底からイラッとしてしまった。俺は領主の前に詰めよって、その顔を思いきり睨みつけた。「まったく、いいご身分だな? 貴族の特権を使って!」

 

 領主は、その言葉に目を見開いた。それに驚いた事もあったが、「俺」と言う人間から言われて心底驚いたらしい。俺に「お前は、あの時の」と言いかえした言葉からは、俺の不遜を怒る態度と、それに等しい苛立ちが窺えた。領主は妻の顔に目をやって、俺の顔にまた視線を戻した。「それの何が悪い?」


 そう言って、こうもつづけた。「ここは、アグラッド家の封土。封土の決まりは、領主が決める。領主が自分の命を守って、何が悪い?」


 俺は、その言葉に「カチン」と来た。それに怒らないのは、人としておかしい。周りの冒険者達も、俺と同じような表情を浮かべている。俺は右手の拳を握って、領主の顔を思いきり殴ろうとしたが……それを遮る恐ろしい情報が伝えられた。俺が右手の拳を振りあげた瞬間、部屋の出入り口から一人、館の召使いが入ってきたのである。


 召使いは領主の前に走りよって、彼に「侵入者の正体が分かりました!」と叫んだ。「侵入者は貴方が娘、ヴァイン・アグラッド嬢です。ヴァイン嬢は三十人近くの仲間を連れて、この町に攻めこんできました!」


 領主は、その報告に黙った。俺も、その沈黙に釣られた。俺達は「恐怖」と「驚嘆」の入りまじった表情で、彼女の侵入に「復讐」と呟きはじめた。「やはり、生きていたのか。何かの奇跡が重なって」


 俺は、その声を無視した。そんな事は、どうでもよかったからである。最悪の事態が起こってしまった以上、俺達にできるのは一つしかなかった。俺は領主の腕を掴んで、それを力一杯に引いた。


「行きましょう」


「何処へ、だ?」


「もちろん、お嬢さんのところです。貴方には、彼女に謝る義務がある。この悲劇を生んだのは、貴方が下らない伝統を変えなかったからだ!」


 領主は、その言葉に目を細めた。「お前のような庶民には、貴族の伝統など分からない」と言う顔で。

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