第167話 復讐の気配

 。空の天気自体は晴れていても、そこに言いようのない不気味さがあった。町の平和が脅かされるような空気、それが刻一刻と迫ってくるような恐怖。それらが何気ない時間の中で、俺の感覚にじっくりと忍びよってくるのである。施設で相部屋になった男性はもちろん、受付嬢の彼も俺と同じような感覚を覚えているようだった。


 彼等は部屋の中で、あるいは、センターの休憩所で、俺とこの不安について話しはじめた。「君もやっぱり、感じていますか? この何とも言えない空気を?」

 

 俺は、その言葉にうなずいた。周りの人達には聞こえないよう、少年の耳元に「うん」と囁いたのである。俺は本能の感じる不安に従って、自分の手元に目を落とした。俺の手元には、少年の持ってきた飲み物が置かれている。「言葉では、言いにくいけど。この町にそう、無数の敵意が近付いているような。そんな気配がずっと、感じられるんだ。町の風景は、ちっとも変わらないのに。なぜか」

 

 少年も、その言葉にうなずいた。施設の男もそうだが、彼もそう言うのには敏感であるらしい。俺が少年に「どう思う?」と聞いた時も、それから逃げるどころか、俺と一緒になって「ううん」と考えてくれた。少年は自分の飲み物を飲んで、長椅子の上にまたそれを置いた。「『気のせい』とは思いたいですが、恐らくは気のせいでないでしょう。君に依頼を願った時も同じですが、今回もまた……」

 

 胸騒ぎがする。それは俺も同じ意見で、それに近い感覚を覚えていた。今回のこれは、前回のそれとは比較にならない。多分、前回以上の恐怖である。今はまだ、その気配を感じているだけだが。あと数日もすれば、その現実になるような気がして堪らなかった。俺は自分の飲み物を飲みほして、少年の目をじっと見はじめた。「偉い人に話してみようか?」


 少年は、その答えに言い淀んだ。それは「確かに妙案だ」と思うが、肝心の偉い人が「それ」を信じてくれるか分からない。恐らくは、「冒険者の心配性」として聞きながされるだけだろう。ここの領主を見る限りでは、そうなるのも容易に考えられた。


 彼はそう考えたのか、飲みかけのジュースを一気に飲みほした。「難しいです。相手に話すのは簡単ですが、それが原因で厄介な事になるかも知れない。領主様は御息女の一件で、かなりイライラしていますからね。下手に話せば、あらぬ疑いを掛けられるかも知れません。『お前達は、アイツの繋がっているのか?』と、そう怪しまれる危険が」

 

 俺は、その話に溜め息をついた。そんな事でイライラされては、流石に「やれやれ」と思ってしまう。御貴族様の下らない体裁に「まったく」と思ってしまった。俺は「血の伝統」にイライラしながらも、少年の顔を見て、その目をじっと眺めはじめた。


「面倒だね」


「はい、とても面倒です。御領主様の御機嫌を取りつづけるのは、とんでもなく疲れる。正直、精神が参ってしまいます。町のみんながどう思っているかは知りませんが、恐らくは似たような事を考えているでしょう。ここは、変な風習に捕らわれている町ですから」


 俺はまた、彼の言葉に溜め息をついた。話の中に出てきた、「風習」と言う言葉にも。俺は貴族の作った決まり、彼等の守る尊厳に嫌気が差してしまった。「そのせいで、大切なモノを失った。自分達がずっと育ててきた、ご令嬢を。そいつらは自分で、そのご令嬢を裁いたんだ」


 少年は、その言葉に目を細めた。それを聞いて、自身の胸を痛めるように。


「酷いですね」


「うん、『酷い』と思う。俺は、普通の家に生まれたけど。その子は」


「はい、呪いの家に生まれた。『貴族』と言う、呪われた家に。ヴァイン様は、それに苦しめられて」

 そう言いよどんだ彼が黙ったのは、彼なりに何かを感じたからだろうか? 彼は自分の足下に目を落としたが、やがて地面の上をじっと睨みはじめた。「復讐」


 俺は、その言葉に目を見開いた。それは俺も考えていた事、俺自身も怖れていた事だからである。「彼女がこの町に戻ってくる」と言う恐怖を密かに感じていたからだった。俺は気持ちの乱れを正して、その不安を必死に隠した。「それはたぶん、ないんじゃないか? いくら恨んでいても、流石に」


 少年は、その続きを遮った。「それは、甘い」と言う顔で。「考えすぎでは、ありません。それは、充分にありえる事です。『復讐』の感情に捕らわれた人は、強い。普段は優しい人間も、一瞬で悪魔に変わってしまう。僕はこう言う仕事ですから、そう言う人間をたくさん知っています。彼等は己が復讐を果たすためなら、人道も法律も平気で破ってしまうんです。それが人の、『動物の本能だ』と言わんばかりに。彼等は!」


 俺は、その言葉に口を閉ざした。それを言いかえすだけの言葉がなかったからだ。本当は何かの反論を言わなければならなかったが、相手の言葉があまりに現実すぎて、その言葉自体を飲みこんでしまったからである。俺は「それでも何かを言わなくちゃ」と思って、少年の横顔に話しかけようとしたが……


 町の彼方から聞こえた轟音。それに重なる、人々の悲鳴。それらは町の空気を伝って、俺達に恐ろしい事件を伝えてきた。「大変だ! 魔族達が攻めてきたぞ!」 

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