第166話 泥水を啜っても

 公共の宿は、賑やかだった。俺のような事情を抱えている人や、「それ」とは違う問題を抱えている人まで。本当に様々な人で溢れていた。俺と相部屋になった人もまた、精神の療養で部屋を取っている。彼と話していた別の冒険者も、そして、廊下の方で何やら話している人達も、それぞれの事情でここに泊っていた。


 俺は部屋の同居人(と言っていいだろう)に頭を下げて、彼が見ている外の風景を眺めはじめた。「綺麗ですね、ここ。『国営の宿』とは」


 彼は、その続きを遮った。遮る声は小さかったが、そこは年相応の青年らしく、自分の意見はきちんと言いたかったらしい。俺の目をじっと見る視線からも、痩せ細った身体からは考えられないくらいの破棄が感じられた。


 彼はベッドの上に胡座を掻いて、そこから外の景気をじっと見つづけた。「思えないが。でも、それに驚いちゃいけない。俺の知っている宿屋は、ここよりもずっと酷いんだから。人様の銭で建っている以上、それに文句を言っちゃいけないよ」


 俺は、その言葉にうなずいた。その言葉は正しい、「尤もだ」と思ったからである。


「そうですね、ごめんなさい」


「別に謝る事はないよ。俺も、その銭に助けられているだし」


 彼はそう言って、黙りはじめた。俺も、その沈黙を付きあいはじめた。俺達は外の景色が午後になるまで、その変化をじっと眺めつづけた。「君は、冒険者だよな?」


 そう俺に訊いた彼の顔は、どこか寂しげだった。彼は俺の顔に視線を戻して、その目をじっと見はじめた。「そうですけど? それが?」


 彼は、その質問に首を振った。「それ」に「応えたい」と言うよりも、その答え自体を躊躇うように。彼は「不安」とも「恐怖」とも言えない顔で、俺の目から視線を逸らした。「戦いに病んだのか?」

 

 俺は、その質問に押しだまった。それが伝える意図をすぐに察したからである。


「病んだわけじゃありませんが、自分の仲間達とはぐれてしまって。今は、その仲間達を捜しているんです。前と同じような」


「状態に戻る。それはきっと、君なら大丈夫だろう。気持ちの上で病んでいないのなら、それが果たされるのも決して難しくない。仲間達との再会を果たせば、その陰鬱もすぐに消えてしまう筈だ」


「そう、ですね。俺もそう、信じています。あの子達を見つけられれば、きっと」


 俺は一つ、息を吸った。そうする事で、自分の気持ちを落ちつけるように。


「貴方は?」


「うん?」


「貴方は、誰かを」


 男性は、その質問に眉を潜めた。「最初から分かっていた反応」とは言え、実際にそうされるのは辛い。彼が俺の目に視線を戻した時も、黙ってそれを見かえしてしまった。彼は俺の目をしばらく見て、自分の足下にまた目を落とした。


「待っていない。待ったところで、誰も来ないからね。死んだ人間を捜すのは、生きている人間のエゴだ。死者には、死者の居場所がある」


 そう微笑む彼だったが、その表情はやはり暗かった。彼は両膝の上に両手を乗せて、その両手をじっと握りしめた。「俺の仲間は、要塞落としで死んだ。魔王の要塞を落とす軍団に入って、その命を散らせてしまった。本当に悲しい最後だったよ。自分の意地を見せる意味では、正解だったが。それでも、悲劇だった事に変わりはなかった。仲間の遺骸は、棺の中に入れられて」


 そこでまた、深呼吸。彼は何度か呼吸を繰りかえして、自分の両手から力を抜いた。「俺の仲間は、要塞落としで死んだ。魔王の要塞を落とす軍団に入って、その命を散らせてしまった。本当に悲しい最後だったよ。自分の意地を見せる意味では、正解だったが。それでも、悲劇だった事に変わりはなかった。仲間の遺骸は、棺の中に入れられて」


 そこでまた、深呼吸。彼は何度か呼吸を繰りかえして、自分の両手から力を抜いた。「故郷の町に帰された。あの光景は、地獄だった。アイツはまだ、独り者だったが。それでも、悲しむ親父がいる。棺の前で泣きくずれる、お袋がいる。アイツは文字通りの親不孝で、親よりも先に逝ってしまった」


 俺は、その話に口を閉じた。何かを「言おう」としても、それに何かを言える資格はない。彼が悲しげに笑う顔をただ、じっと見つめるだけだ。それから両目の涙を拭った時も、その涙が光る様を眺めるだけである。俺は彼への同情を抱きながらも、同情の副作用を案じて、彼の気持ちが収まるのを待った。「俺も、自分の親を失いました。俺の住んでいた町が、怪物達に襲われて。親は、そいつらに殺された」


 男性は、その言葉にうなずいた。言葉の中にある、ある種の悲哀を感じとって。


「苦労の多い人生だな、お互いに?」


「そう、ですね。俺も」


「君」


「はい?」


「最後に決めるのは、君だが。軍隊なんかには、入らない方がいい。アイツ等は数こそいるが、やっているのは討ち死にだ。『国』や『王』の生け贄になっている。今の王が嫌いなわけではないが、自分の道は自分で決めた方がいい。自分が『ここで死にたい』って言う、死に場所も」


 俺は、その言葉に眉を寄せた。それを言いかえす言葉がなかったのもあったが、俺自身が何より「そうだな」と思ってしまったからである。世界の平和を望む気持ちに変わりはないが、それでも「誰かの犬になる気持ち」は、まったくなかった。


 自分は自分の意思で、自分の夢を叶えたい。それがたとえ、どんなに険しい道であっても。その先に希望溢れる未来があるなら、泥水を啜っても進んでやる気持ちだった。俺はそう思って、部屋の天井を見あげた。


「軍隊には、入りません。俺には、俺の仲間がいるから。誰かの駒には、ならない。俺は俺の仲間を待って、自分の夢を叶えます」

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