第164話 帰還

 それが最後に見た光景、らしい。確かな事は何も分からないが、視界に広がる町の夜空を見て、その事実を何となく察した。俺は、あの世界から帰された。「帰された」と言うよりも、「追い返された」と言う形で。あの奇妙な世界から追いだされてしまった。それが良いのか、悪いのかも分からず、とりあえずは元の世界に戻られたのである。


 俺は自分の身体を起こして、周りの景色を見わたした。周りの景色は、前と変わらない。あの場所に飛ばされる前の、俺が「現実」と感じた世界が広がっているだけだ。俺も含めた彼女達が泊まっていた宿も、あの時とほとんど変わっていなかったし。その受付から聞いた話を除けばみんな、元の場所(と言っていいだろう)に戻されていた。俺は受付の話に驚いたが、相手が自分の事を案じてくれている以上、彼に「心配を掛けてはいけない」と思って、その動揺を決して見せないようにした。


「戻っていない、んですか?」


「は、はい。お客様以外は、全員。まだ、こちらに戻られていません。お客様がご心配なさっている、彼女も」


「そんな、それじゃ!」


 丸きり行方不明ではないか? そう叫びたい気持ちもあったが、それを聞いた周りの人達が「なんだ? なんだ?」と驚きはじめたので、その気持ちをまた必死に飲みこんだ。俺は胸の動悸を何とか抑えて、受付の顔をまた見かえした。受付の顔は、俺が思う以上に強張っている。「どれくらい帰っていないんですか?」


「一週間、くらいでしょうか? 貴方は既に出ていましたが、お嬢様方はまだ戻っていらっしゃらなくて。わたくし共も、困っていたのです。宿代の方はもう、頂いておりましたが。それでも、不安な事に変わりはありません。貴方も確か、町の治安隊に捜索願を出して」


「いたん、ですか?」


 そんな記憶はどこにもないが、一応はそうなっているらしい。自分は何らかの形で、町の人達にも助力を頼んでいたのだ。「自分の仲間達を捜して欲しい」と、そう周りに頼んでいたのである。俺は身に覚えのない事実に驚ながらも、「それも、一種の改変だ」と思いなおして、宿屋の主に頭を下げた。「とにかく、ありがとうございます。俺に力を貸してくれて」


 主の男は、その言葉に首を振った。「そんな事は、ない」と言う笑みを浮かべて。彼は俺の目をしばらく見つめると、宿屋の出入り口に目をやって、それをまたじっと見はじめた。「『貴方に協力を仰いだ』と言う、ご老人ですが。どうやら、戻ってきたみたいです。自分の愛する人が」


 俺は、その言葉に固まった。それが意味する事にも、震えあがった。俺はその動揺を何とか抑えて、目の前の男にまた向きなおった。男は穏やかな顔で、俺の目を見かえしている。


?」


「らしいです。自分には何も変わっていない気がしますが、彼にはその改変が分かったらしい。事実、町の人達にも叫んだようです。『自分の妻が、帰ってきた』と。彼は自分の妻が戻ったなら、『あの子の仲間もきっと戻っている』と言って」


「捜しているんですか、俺の仲間達を?」


「恐らくはね? 何とも不思議な現象ですが、それが老人の出した答えであるようです。自分が助けられたなら、『貴方の事も助けなければ』と言う風に。今日も……あっ!」


 そう驚く彼が指さしたのは、宿屋の出入り口だった。彼は出入り口の扉をしばらく見たが、そこから入ってきた人物が俺の隣に歩みよると、今度は俺の顔に視線を移して、俺に「いらっしゃったようです」と微笑んだ。「今日は少し、早いようですが」


 俺は、その言葉に驚いた。それが示す対象、例の老人にも驚いた。俺は老人の顔をまじまじと見たが、やがて彼の笑みに「あ、あの?」と驚いた。「戻ったんですか、ぜんぶ?」


 老人は、それにうなずいた。「はい」や「うん」の言葉はなくても、その質問にただ「そうだ」とうなずいた。老人は俺の動揺などまったく無視して、俺に今の自分が置かれている状況を話した。「本当に信じられないが、本当に戻ったんだよ。儂の失われた時間がね、すっかり戻ったんだ。改変が起こる前の人間関係も」


 俺は、その言葉に「ホッ」とした。それがどういう原理で起こったかは別にして、老人の喜びが嬉しかったからである。俺は老人の手を握って、彼の眼光に「良かった」と微笑んだ。「戻ったのなら、いいです。俺が今回の依頼に挑んだ事で、それが」


 老人は、その続きを遮った。その続きは、「聞かなくてもいい」と言わんばかりに。


「問題は、お前さんの方だ。今回の事件を何とかした事で」


 大切な人達がいなくなった。老人はそう、言いたかったらしい。「あては、あるのか?」


 俺は、その質問に押しだまった。それが分かっていたら、この場所から今すぐにでも飛びだしている。彼女達への連絡を試みて、その場所に突っ走っていた。俺は自分の頭を何度か掻いて、老人の顔を見かえした。


「分かりません」


「なら!」


「もちろん、捜します。でも今は、センターに依頼の結果を伝えなきゃいけない。今回の問題が、どうなったのかを」


「そうか……」


 老人は、俺の目をじっと見た。どこか寂しげな表情を浮かべて。


「儂にできる事は少ないだろうが。それでも、無事を祈っているよ。お前さんとその仲間達に」

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