第158話 人間の歴史

 闇の向こうにあったのは、世界? それも、人間の世界を表したかのような世界だった。人間がその地上に生まれ、自分達の文明を作るまでの世界、その過程で一体、何が起こったのかを示した世界。世界の中には様々な人間が出てきたが、そのどれもが高い身分の人間、皇族や貴族のような人間だった。彼等はそれが高尚か下劣かに関わらず、ある時には治世を、またある時には暴政を強いて、その歴史に己が名前を刻んでいた。

 

 俺は、その光景に息を飲んだ。自分がどうしてそんな物を見せられているのかは分からなかったが、最初の驚きが過ぎてしまうと、「これは、奴の見せる幻術だ」と思いなおして、普段どおりの感覚を、つまりは冷静な感覚を取りもどしていた。


 俺は奴の幻術に「とんでもない幻術だ」と思いながらも、それがあまりにも現実的すぎて、最初はただ眺めていた目の前の光景を、気づいた時には真面目な顔で目の前の光景を眺めていたが、ある光景が目に飛びこんでくると、それまで開いていた両目を思わず閉じてしまった。「子供が自分の親を殺している」

 

 それも平然とした顔で、親の胸に短剣を突き刺していた。子供は親の胸から短剣を抜くと、今度は自分の周りを見わたして、その周りにいた人間達も一人、また一人と順々に殺しはじめた。「死ね、しね、シネ、死ね……」

 

 俺は、その声に震えた。それが伝える殺意にも震えた。俺は目の前の子供がやっている事、彼が今も続けている殺人に憤ったが、それを止める事はできなかった。「あの子がやっている事は」

 

 そう、だ。人間が作りあげた歴史。そして、これかも続ける歴史。彼は王族のそれが何度も倒れ、また起きあがる歴史と同じで、自分に不要な競争相手を殺しては、楽しげな顔でその上に玉座を置いたのである。自分が殺した屍達に唾を吹きかける行為もまた、その延長線に過ぎない。それから床の上に短剣を投げすてる行為も、自分が彼等よりも優れている証、「次代の王に相応しい」と信じる証だった。


 彼は玉座の上に腰かけて、そこから正面の景色を眺めはじめた。正面の景色には世界が、果てしない大地が広がっている。大地の上に空を浮かばせ、空の上に雲を浮かばせた世界が、様々な町を加えて、ただずっと広がっていた。彼は「それ」をしばらく見ていたが、やがてある町を指差しはじめた。「進め」

 

 彼がそう言った瞬間に現われたのは、それに従う彼の軍隊だった。軍隊は彼の指示(いや、命令か?)に従って、その町に進みはじめた。それも「一糸乱れぬ動き」と言うべきか、まるで波のように進みはじめたのである。軍隊は町の前まで進むと、今度も彼の命令に従って、目の前の町を躊躇いなく襲いはじめた。


 町の人々は、その侵略に泣きさけんだ。彼等も彼等で自分達の町を守る兵士達はいたようだが、敵との戦力があまりに違いすぎて、最初は互角に見えていた戦いも、次の瞬間には虐殺、それも悲鳴が飛びかう地獄絵図に変わっていた。

 

 町の人々は、その業火に焼きつくされた。老人も子供も関係なく、その全てが殺されたのである。町の人々は悲しげな声を上げて、その命を散らしつづけた。「嫌だ、死にたくない。死にたくないよぉ」

 

 俺は、その声に胸が痛くなった。それ以外にも怒りを感じたが、それ以上に悲しみが勝ってしまった。あの炎に焼かれているのは、彼等だけではない。彼等の事を見ている、俺の心も焼かれていた。心の憶測に眠る記憶も、それと一緒に燃えていたのである。俺は「それ」に耐えられなくって、町の方に走りはじめた。「もう止めろ、それ以上は!」

 

 この人達を苦しめてはいけない。その肉体にある、魂を燃やしてはならない。俺は兵士の一人に飛びかかろうとしたが、その身体からなぜか擦りぬけてしまった。兵士の身体にもう一度飛びかかろうとしても、何かの力が働いて、その身体をすっと通りぬけてしまう。違う兵士に同じ事をしても、これまた同じ結果になってしまった。俺はその結果に驚いて、彼等の前にぼうっと立ちつづけた。「これは」

 

 つまり、そう言う事。自分の目の前でどんなに酷い事が起こっても、「自分は『それ』に手出しできない」と言う事だった。兵士の身体に魔法を放ってみても、それが見事に通りぬけるだけで、兵士の身体自体には傷を付けられない。ただ、終わらない殺戮が続くだけだった。


 俺はその現実にうなだれるばかりか、遠くの方から奇妙な笑い声が聞こえてきた時には、陰鬱な顔で地面の上に座りこんでしまった。それ程に耐えられない光景が広がっていたのである。

 

 俺は自分も含めた人間の業、挙げ句はその歴史にすらも、言いようのない嫌悪感を覚えてしまった。「ちくしょう、なんで? どうして? 俺達は」

 

 こんなに愚かなのだろう? 自分の欲望を果たすために、こんな……。それが悔しくて仕方ない。「自分の中にも、そう言う感情があるのだ」と思うと、言いようのない怒りを覚えてしまった。この怒りから逃れられない自分にも、底知らない恐怖を覚えてしまったのである。俺は目の前のこれが幻かどうかに関わらず、それをただ眺めているだけの自分に対して、腹の底から怒りを覚えてしまった。

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