第155話

 これは、混乱? いや、混乱よりもずっと悪い物だろう。あらゆる情報がねじ曲がり、それらが不気味に絡みあうのは。混沌以外の何モノでもなかった。この現象が生みだした、不可思議な混沌。混沌の色を持った、狂気。それが今、俺の周りを取りまいているのである。それがまるで、「当然」と言わんばかりに。俺の隣に立っている少女もまた、その狂気に巻きこまれていた。


 彼女は本気で俺の頭を心配してか、俺が彼女に(何度も)「大丈夫」と言っても、それにうなずくどころか、俺に「大丈夫なわけがないじゃん?」と言いかえしていた。「今までの事をぜんぶ忘れちゃうなんて! どう考えても、ヤバいよ!」

 

 俺は、その言葉に押しだまった。本当は、その言葉に言いかえしたかったけど。今の状況から考えれば、「下手に応えない方がいい」と思った。相手の心配を受けいれて、それに「う、うん」とうなずく。そして、その不安に「ありがとう」と微笑む。彼女の気持ちを落ちつかせるためにもね? それで彼女を騙す事になってしまうが、この現象に捕らわれているだろう彼女の不安を誤魔化すには、こうする以外に手がなかった。俺は精一杯の作り笑いを浮かべて、隣の彼女にまた微笑んだ。


「確かにヤバいかも知れないね? 『自分の記憶が、抜けおちる』とかさ。これは一回、病院に行った方がいいかも知れない」


「そうだよ! 町に着いたら絶対、速攻で病院に行こう!」


 ツイネさんは俺の手を引っぱって、今の場所から勢いよく歩きだした。それに怯んだ俺だったが、彼女の気持ちを考えると、それを拒む事はできなかった。俺は彼女の手に従って、荒野の中をひたすらに歩きつづけた。彼女も俺の手を引っぱりつづけたが、俺達の前から魔物達が歩いてくると、その手をサッと放して、腰のホルスター(と言うらしい)から銃を二丁取りだした。彼女が十八番おはこにしている、例の二丁銃を。彼女は自分の後ろに俺を引っ込めて、目の前の魔物に銃口を向けた。


「あんたは、らなくていい。あいつ等は、あたしがる」


「ああうん、でも」

 

 あれは、かなりの数だ。たぶん、三十体以上。荒野の亡者達が集まって、一つの集団を作っている。それが今、俺達の方に歩いてきているのなら……。


「一人じゃちょっと、きついんじゃない? ツイネさんの力は」


「ツイネさん?」


 うん? どうしたのだろう? 俺はただ、彼女の名前を呼んだだけなのに。彼女の方は、それにキョトンとしている。まるでそう、ありえない事でも言われたかのように。俺がまた彼女に話しかけた時も、その「ツイネさん」に何度も瞬いていた。ツイネさんは不思議そうな顔で、俺の顔をまじまじと見はじめた。「あんた、。あたしの事、『さん』付けで呼ぶなんてさ。普通ならありえないよ。いつものあんたは、あたしの事を呼びすてにしていたし」


 俺はまた、彼女の言葉に押しだまった。押しだまるしかなかった。彼女は、確かに大事な仲間だけど。そう呼びすてするような関係にはまだ、なっていなかった。俺は彼女の言葉に戸惑いながらも、表面上では冷静を装って、自分の正面に向きなおった。


「ね、ねぇ?」


「なに?」


「また、変な事を聞くけど。俺達は、普通の仲間だよね? 特に『幼なじみ』とかではなく」


 その返事は、無言だった。俺が彼女にまた問いかけても、それにうんともすんとも言わない。ただ、不満げな顔を浮かべていた。彼女は俺の足下に銃口を移して、その地面に弾丸を撃ちこんだ。「ごめん、ちょっと切れた」


 そう笑う彼女が怖かったのは、言うまでもない。彼女はどうやら、本気で俺の言葉に怒っているようだ。


「弾は、当たらなかったでしょう?」


「う、うん、そうだね。そうだけど!」


 色々な意味で、怖かったです。俺達のところに迫っていた亡者達も、今の行動には恐怖を覚えているようだった。


「俺、また失礼な事を?」


「うん、言った。思いきり言った。あたし等の関係について。あたし等の関係は」


「か、関係は?」


でしょう? 小さい頃からずっと一緒にいた、とても大事な親友じゃん?」

 俺は、その言葉にキョトンとした。俺としては、そうしたくはなかったけど。彼女の言った言葉にどうしても、キョトンとしてしまった。俺は親友の言葉が表す意味、その奥に秘めた思いを考えはじめた。


「そ、そっか。ごめん、その」


「いいよ、別に。それだけ忘れなきゃ」


「う、うん、ありがとう」


「よし! それじゃ」


 そう笑った彼女がくるりと回ったのは、例の亡者達に銃口を向けるためだろう。亡者達は俺達の会話に戸惑っていたのか、ある程度の距離を置いて、俺達の事をじっと見ていた。彼女は「それ」に「ニヤリ」と笑って、両手の銃を軽やかに動かした。「さてさて、それじゃ」


 狩りますか? それを聞いたのはたぶん、俺が彼女の速さに「え?」と驚いた時だろう。彼女は俺の前から動いて、荒野の亡者達を攻めはじめた。「全員残らず、皆殺しだ!」


 誰一人、生きて返さない。あたし達の前に立ちはだかる奴は、誰であろうが撃ちころしてやる。それがたとえ、荒野の亡者達であろうと。彼女の放った弾丸は、彼等の頭を撃ちぬくのだ。彼女はまたも「ニヤリ」と笑って、先頭の一体に弾丸を放った。

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