第150話 未解決の依頼 6

 伴侶を失った。それはもちろん、言葉通りの意味だろう。例えとしての死別ではなく、文字通りの消失なのだ。昨日までは自分と一緒にいた筈が、今日には「それ」がすっかり消えている。相手との記憶、関係、因縁がすべて消えている。


 それを聞いているだけではただ不思議なだけだが、「自分も同じ境遇になってしまうかも知れない」と思うと、その不気味さに震えてしまったし、また同時に「やっぱり知りたい」とも思ってしまった。この町に潜んでいる、その不可解な不思議を。だから老人にも、「その話、詳しく聞かせてください」と頼んだ。「解決が難しくても、今後の打開策に繋がるかも知れないので」

 

 俺は真面目な顔で、相手の顔を見つめた。相手の顔は、その言葉に引きつっている。


「どうか」


「無理だ」


 そう言いきる老人の顔は、本当に青ざめていた。老人は両手で自分の顔を覆ったが、やがて泣きさけぶように「うっ、ううう」と唸りはじめた。「コイツだけは、どうやっても!」


 俺は、その言葉を遮った。「その言葉が絶望に溢れていた」としても、それに怯えていてはいけない。始める前から、「それ」を諦めてはいけない。諦めは自分の未来を閉ざしてしまうし、未来の光も消してしまう。未来の光は、どんな時も消してはならないのだ。自分の気持ちを保つ意味でも。俺は建物の裏に老人を引っぱって、その手をギュッと握りしめた。


「そんな事は、ありません! 今はたとえ、その解決策が見つからなくても! 諦めなければ」


「そう言う問題じゃない」


「え?」


「これは、そんな次元の問題じゃないんだ。人間の儂等には、どうする事もできない。アイツは町の力に当てられて、その存在を消されてしまったんだ」


「『そうだ』としても! やっぱり」


 老人は、その言葉に溜め息をついた。それも、ただ溜め息をついただけではなく。俺の言葉に心底、ガッカリしているらしい。彼は生気らしい生気がまったく感じられない顔で、俺の目から視線を逸らしてしまった。


「お前さんも、いずれ分かる。コイツは、どう足掻いても」


「おじいさんは……」


「うん?」


「ずっと捜しているんですか? いなくなった自分の奥さんを?」


 その返事は、無言。だが、それがすべてを物語っていた。自分は今でも自分の妻を捜しているが、その妻がまったく見つからない。どこをどう捜しても、返ってくるのが「彼女がいなくなった」と言う事実だけだった。老人は自分の顔をあげて、俺の目をじっと見はじめた。


「もう、疲れたよ。町の中に住みながら、こうして捜しつづけているが。一向に見つからない。悲しい毎日が、ひたすらに続くだけだ。毎日、毎日、同じ事を繰りかえして」


 俺は、その言葉に暗くなった。それには彼の怒りや苦しみ、そして、悲しみが感じられたからだ。自分の大切な人が、戻ってこない悲しみ。俺も魔族に自分の両親を奪われたが、それとは違う悲しみが感じられた。俺は目の前の老人に「大丈夫です」と言おうとしたが、そう言おうとした瞬間、悲しげな気持ちで「それ」を読みこんでしまった。それは老人への侮辱、「慰めとは正反対の言葉だ」と思ったからである。


?」


「いつ?」

 

 その声に生気が戻ったのはたぶん、俺の勘違いではないだろう。老人は「それ」にしばらく驚いていたが、やがて「それは」と答えはじめた。


「今からちょうど、二月ほど前だったか? 儂等は最後の旅行として、いくつもの町を旅していた。儂等はこう見ても、若い頃はそれなりの冒険者だったのでね? 昔のようにはいかないが、自分の馬で旅するのは造作もない事だった。儂等はたまたま見つけたこの町に立ちよって、町の宿に『何日か泊ろう』と決めた。だが」


「事件は、そんな時に起きた?」


「ああ」


 声が暗い。おそらくは、当時の記憶に胸を痛めているのだろう。


「正確な時間は、覚えていないが。たぶん、『朝の七時頃だった』と思う。儂等は宿の朝食時間に合わせて起きるつもりだったが、ベッドの上から起きあがると」


「奥さんがいなかった?」


「最初は、『便所にでも行っているのか?』と思った。朝はいつも、そんな感じだったからね。その日もまた、『いつもと同じだろう』と思った。思ったが、それは大きな間違いだった。儂はいつまでも帰ってこない妻が心配になり、部屋の中からゆっくりと出て、ひとり宿の中を探しはじめた。宿の中は、静かだった。宿泊客もほとんどいなかったし、食堂の中にも客が数人くらいしかいなかった。俺は宿屋の人間も含めて、その客達にも『うちの妻を見ていないか?』と聞いてみたが」


「誰も見ていなかったんですね?」


「ああ。それもただ、見ていなかっただけじゃない。『妻』と言う存在その物が、彼等の記憶がすっかり抜けおちていたんだ。まるでそう、妻が最初からいなかったかのように。彼等は儂の言葉を怖がって、挙げ句には『病院に行った方が良い。貴方はきっと、記憶が何かがおかしくなっているんだ』とすら言いはじめた。儂は、その言葉に……」


「おじいさん」


「ああ、すまん。とにかくそう言うわけで、儂は今も自分の妻を捜している。町の下宿屋を借りてね? 残りの人生を過ごしているんだ」


 おじいさんは、自分の鼻先を掻いた。それが「一種の照れ隠しだ」と言わんばかりに。


「坊主」


「はい?」


「朝には、気を付けろよ? そして、それに。自分の心が乱れれば、その頭をおかしくなる」


「分かりました。充分に」


 気をつける。そう自分に言いきかせた俺だったが、その意思は見事に裏切られてしまった。俺は世界の改変、その恐ろしさに打ちのめされてしまったからである。

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