第147話 未解決の依頼 3

 記録の抹消、いや、違う。これは、存在の抹消だ。「自分が生きた」と言う証、それがすべて無くなってしまったのである。まるでそう、世界の理自体が変わってしまったかのように。普通なら絶対に起きない事が起きた、ばかりではない。否まれない筈の事も、否まれてしまったのである。だが、それを素直にうなずけない。「それを事実」とする事はできても、その内容自体を「なるほどね」と受けいれる事はできなかった。


 俺は半信半疑な顔で、相手の顔を見つめた。相手の顔は、それに「でも!」と抗っている。


「それがもし、本当の話なら? そいつは、魔物以上の脅威じゃないか? 現実の事情をねじまげる。あるいは、相手の記憶を」


「『書きかえられる』とすれば、本当に厄介な相手です。その人が生きてきた記憶、それがすっかり失われてしまうんですから。こんなに怖い事はありません。僕ならたぶん、気が狂ってしまいます。今の自分が本当に自分、真実たる自分なのかも分からなくなる。自分が今まで関わってきた人達も、その幻かも知れない。相手とこうして、話している時間すらも。敵は……その正体は不明ですが、『人間の感覚を狂わす』と言う意味では」


「最強かも知れない?」


「はい、悔しいですが。これには、どんな強者でも参ってしまうでしょう」


「確かにね。でも、誰かがやらなきゃならない。その現象を食いとめるためには」


 俺は、仲間達の顔を見わたした。仲間達の顔は俺と同じ、今回の依頼に覚悟を決めたようである。俺は仲間達の顔に「うん」とうなずいて、受付の少年に向きなおった。


「心配いらない。冒険には危険が付き物だけど。俺達は、絶対に帰ってくる。だから」


 少年は、その言葉に立ちあがった。まるでそう、俺の言葉に心を打たれたかのように。


「ありがとう、ございます」


「いや」


 そう応えるのが、「最高の返事だ」と思った。彼の気持ちを落ちつかせるためにね。そこから続く言葉も、「だいじょうぶ」しかあり得なかった。「気にしなくていいよ。俺達は、そう言う家業なんだし。危険な事は、百も承知だ」


 俺は依頼の受注手続きを済ませて、仲間達と一緒に件の町へと向かった。町の中は少年から教えてもらった通り、(表面上は)至って普通の町だった。そこの住人達にはじろじろと見られたけれど、それ以外に「これ」と言って変わった所は見られない。すべてが然るべき場所、然るべき行動、然るべき物を揃えていた。交通のそれも、事前の情報通りに馬車だったし。馬車の上には様々な物、人々の生活に必要な物が乗せられていた。


 俺は、その光景に目を細めた。その光景に違和感を覚えたからではない。それが発する気配、その雰囲気に震えたわけでも。俺は普通が普通以上である光景、平和が平和以上である光景に眉を寄せつづけた。「ここは、本当に?」


 ミュシアは、その言葉を遮った。それがどう言う意図は分からないが、彼女も何か思うところがあるらしい。俺が彼女に話しかけた時も、その声にしばらく応えとしなかった。


「不自然」

 それにうなずいたヒミカさんもまた、彼女と同じ疑問を抱いたようである。彼女は呪術の専門家からか、不安な顔で町の中を見わたしつづけた。


「確かに不自然。いや、不自然すぎる。ここまでだと、逆に」

 

 コハルさんも、その言葉にうなずいた。彼女はヒミカさんの相棒として、彼女以上に違和感を覚えていたらしい。町の人達を眺める視線、特に彼等の動きを見つめる視線からは、殺気とも威圧とも違う重圧が感じられた。彼女は俺達の方に向きなおって、自分の額に人差し指を当てた。それが彼女の、何か考え事をする時の癖らしい。「あたしも、同じ。この町は言わば、だね」

 俺は、その言葉に首を傾げた。言葉の中に含まれた幻術、それに興味を抱いたからである。


「幻術?」


「そう、幻術。あるいは、妖術かな? 人ならざる者が、人の五感を歪ませてしまう。普通なら匂わない筈の匂いが、ここでは『甘い匂い』と感じるように。すべてが嘘で、固められている。あたし達が」


 彼女がそこまで言った時だ。ボウレさんが「それ」を遮って、愛用の改造ボーガンに手を伸ばした。「そんな事は、どうでもいい。問題は」


 コハルさんは、その言葉に眉を寄せた。それに苛立ったわけではなく、ただ純粋に「え?」と驚いただけだったらしい。


「問題は?」


「犯人がまた、であるかどうかだ。犯人が人間なら、魔物みたいにはぶっとばせない。ちゃんとした決まりに従わなきゃならなくなる。あたし等は冒険者ではあるけど、犯罪者ではないからさ。この年で犯罪者になるのは、ごめんだよ」

 

 ミュシアも、その言葉にうなずいた。彼女の周りに立っている少女達も。彼女達は人間の方を曲げてまで、「犯人の命を奪おう」とは思っていないのだ。それが必要な手続きなら、その内容を決して蔑ろにはしないのである。少女達はミュシアの提案に従って、「今日は、町の宿に泊ろう」とうなずいた。「宿の中で異変が見られれば、それが解決への手がかりになる。前と同じような手になってしまうけれど、こっちから先手を打つのはマズイ」


 ミュシアは真面目な顔で、仲間達の顔を見わたした。仲間達の顔は「それ」に微笑んでいたが、俺としては前の経験もあったせいで、宿の中に入った後も、彼女が選んでくれた大部屋の中で、依頼の事をずっと考えていた。

 俺は、大部屋の中を歩きまわった。これから起こるだろう、に眉を寄せて。

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