第139話 消えた悪役令嬢 2

 その名前はどこかで、聞いた事があるような無いような? とにかく初めて聞くような名前だった。アグラッド家の令嬢、ヴァイン・アグラッド。彼女は(ギルア様の情報によれば)俺と同い年らしく、周りの人々から期待を抱かれていた一方、一族の忌々しい習慣に苦しめられていたようで、彼女が消えるキッカケとなった社交界の席でも、その周りから嫌な感情を向けられていたようだった。


 テーブルの上に置いてあった刃物を取り、それで自分の喉を掻ききった時も。彼女は人間の血を流して、その場に倒れかけたが……。そこから先がいわゆる、奇跡。「少女の消失」と言う、文字通りの奇跡だった。彼女は突然の光に包まれて、社交界の会場から忽然と消えてしまった。

 

 俺は、その話に目を細めた。その話に不可思議な点が見られる、それに思わず驚いたからではない。話の内容から察して、それがあまりにも奇跡すぎたからだ。自分の喉を掻ききった瞬間に消えてしまうなんて、そんな事はまずありえない事である。俺は「それ」に眉を寄せて、自分の顎を摘まんだ。「彼女は一体、どこに消えたんだろう?」


 ギルア様は、その言葉に溜め息をついた。その言葉に呆れたわけではなく、彼も俺と同じような感情を抱いていたらしい。特に「消えた」の部分に対しては、俺以上の想像を膨らませているようだった。ギルア様は自分の頭を掻いて、俺の目をじっと見かえした。


「さあね。そもそも、生きているのかさえも分からない。自分の喉を掻ききったのならたぶん、その傷も決して浅くは無い筈だ。普通なら致命傷になる。『会場の中から運良く逃げられた』としても、その先に待っているのは」


「地獄以上の苦しみ?」


「そう、地獄以上の苦しみ。彼女は何らかの……例えば、『空間移動のスキルが働いた』として。その場から何とか逃げおおせた。自分の人生を脅かす、家の習慣からね? その安否は問わず、自分の身体を逃がす事はできたんだ。でも」


「『身体の傷も治った』とは、限られない。自分の首から流れている血も。彼女は治療機関のある場所、あるいは、それと類する場所に移らなければ」


「文字通りの不幸だね。自分の家に苦しめられ、挙げ句は、その命すらも救えずに。彼女はきっと、自分の運命を呪っている筈だ」


の話ですが」


「うん?」


「彼女が今も生きているのなら、いつかどこかで助けたいです。俺がミュシアに自分の未来を救われたように。彼女の事も」


 ギリア様は、その言葉に微笑んだ。それに有りっ丈の優しさを込めて。


「なるほどね」


「はい?」


「これなら好きになっても、仕方ないか」


 ギルア様は「ニコッ」と笑って、町の門を指さした。門の近くでは、多くの人達が行き来している。商人風の男から、娼婦風の女性まで。本当に様々な人達が、この町に出入りしていた。


「封土の外に見える山脈、アレの向こうに要塞がある。魔王軍の要塞が。要塞からの攻撃は、あの山脈が辛うじて防いでくれていたけど。これから先は、分からない。自分の同胞にも操られるような町だからね? 今日は良くても、明日には滅んでいるかも知れない」


「そんな事は」


「あるよ? 現に君の故郷だって」


「そう、ですね。それは、どこでもありえる事です。『自分には、関わりない事』とか。そんなのは、ただの幻想です。現実はどこまでも一つ、その不幸もまた地続きだ」


 ギルア様は、その言葉に微笑んだ。それもただ、微笑んだだけではなく。その裏側に悲しみと、そして、苦しみを込めていた。彼は口元の笑みを消して、自分の足下に目を落とした。


「ゼルデ」


「はい?」


「頑張れ」


「はい!」


「僕も、頑張る」


「はい……」


 俺は、自分の仲間達に視線を移した。それで仲間達の足を促すためである。俺は彼との挨拶を済ませ、残りの仲間達とも集まって、この帰れない町から出ていった。町の外には雄大な自然が、人間の侵入を阻むような世界が広がっている。世界が世界としてあるように、そして、光や闇がそうとしてあるように。周りの木々はもちろん、足下の草花も含めて、その複雑な世界を作っていた。


 俺は、その世界に息を飲んだ。それはいつも見ている物ではない、どこか異世界めいた物を感じたからである。俺の周りから聞えてくる声、鳥達の囀りや動物達の足音にも、その不可思議な空気が潜んでいたからだった。俺は「それ」に怯えて、眉の間に皺を寄せた。


「そうだ」


 俺達は、忘れてはいけない。この世界がどんなに脆く、そして、危ない世界かを。その感覚一つ一つ、魂一つ一つに忘れてはいけないのだ。自分の命を守るためにも、それだけは決して忘れてはいけないのである。「うん」


 俺は自分の気持ちを引きしめて、少女達の顔を見わたした。少女達の顔は、そのほとんどが笑っている。


「みんな」


 その返事は、「はい?」


「どうしたの?」


「これからの戦いはもっと、『今までよりもずっと厳しくなる』と思うけど。俺にどうか、力を貸してください」


 少女達はその言葉に驚いたが、やがて「プッ」と笑いだした。俺の言葉、そんなに面白かったの?「当たり前じゃない? 私達は、ゼルデの仲間なんだからさ? 『途中で別れる』とか、なしでしょう? 私達は生きて、ゼルデと一緒に」


 俺は、その言葉に胸を打たれた。彼女達への感謝を忘れた事はなかったが、その言葉はやっぱり嬉しい。俺は真剣な顔で、自分の仲間達に頭を下げた。


「ありがとう」

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