第138話 消えた悪役令嬢 1

 沈黙、あるいは、静寂。そのどちらにしても、この場所が重い空気である事は分かった。俺の心臓を締めつけるような、そんな感じの空気がね? それに怯えなかったのはたぶん、それを言った本人だろう。彼女だけはいつもと同じだったし、その態度も至って落ちついていた。まるでそう、「自分には関わりない」と言う風に。至って冷静な態度、「大店不敵」とも言える態度を保っていた。彼女は何かに勝ったような顔で、周りの少女達を見わたしはじめた。


「私は、怖くない。自分の周りがどんなに変わっても、この気持ちだけは決して変わらないから。変わらない想いは、どんな力よりも強い」


 彼女は「ニコッ」と笑って、目の前の少年に向きなおった。少年の顔は「それ」に驚き、挙げ句は「ハハハ」と笑いだしている。「人の恋は、無敵」


 少年は、その言葉に吹きだした。それに呆れたわけではなく、ただ純粋に「凄い」と思ったらしい。彼は自分の頬を掻くと、嬉しそうな顔で彼女に微笑んだ。


「確かにそうかも知れない。僕にはまだ、そう言う人はいないけど。『恋』が人を強くするのは、人間の変わらない不文律だ。そう言う物語も、たくさんあるからね?」


「うん。でも、『それ』を怖そうとする人がいる」


 少年は、その言葉に表情を変えた。その言葉を聞いて、自分の心を動かされたようである。


「ああ。だからこそ、君達にも力を貸す。僕も、平和な世界を望んでいるからね。いつまでも、戦乱の世の中じゃ堪らない。世界は、凪のように落ちついていなきゃ」


「そう思う」


 ミュシアは「ニコッ」と笑って、俺達の方に向きなおった。これはたぶん、「ここらでお暇しますか?」の合図だろう。実際、長椅子の上から立ちあがっているし、館の使用人達にも、頭を下げている。彼女は俺達の足を導いて、応接間の中から出ていった。


さん」


 それは少年の名、ここを治める領主の名前である。


「生きのころう」


 少年もとえ、ギリア様は、その言葉にうなずいた。彼も貴族の血を引いている以上、その言葉には責任をやっぱり感じているようである。彼は目の前の彼女に「ニコッ」と笑い、続いて俺にも握手を求めた。


「ゼルデ」


「は、はい!」


「この世界がもし、平和になったら。その時はまた、この町に来てくれないかな?」


 俺はその言葉に驚いたが、やがて「分かりました」とうなずいた。それを断る理由は、どこにもない。彼の悪手を拒んで、その手を「うるさい」と拒む理由も。俺達は今の時代を生きる、そして、これから時代を作る同士なのだ。その同士が「また来て欲しい」と言っているなら、それに「こちらこそ」とうなずくのが普通である。俺は穏やかな気持ちで、彼の握手に応えた。


「俺も、ギリア様と話したい事がたくさんありますから」


 俺は、彼の手を放した。彼も、その手に応じた。俺達は互いの顔をしばらく見あったが、ギリア様が町の彼方に目をやると、それに倣って俺も同じところを見はじめた。


「ゼルデ」


 そう話しだしたギリア様がどこか悲しげだったのは決して、俺の勘違いではないだろう。ギリア様は町の人々を眺めて、それから自分の足下に目を落とした。


「次は、どこに行くんだい?」


「それはもちろん、一番近くの要塞に。要塞落としは、目標の一つでもありますから。どこかの軍団に混じって」


「そうか……。フカザワ・エイスケは」


「はい?」


「魔王を倒して、その次は何をするんだろう?」


「それは、俺にも分かりません。分かりませんが、碌でもない事であるのは分かります。最強の力を得た人間が、その魔力に魅せられない筈がない。大抵の人は、本能のままに生きる筈です。自分の抱きたい女を抱き、自分の殺したい相手を殺す。人間は自分に限界があるからこそ、その良心にも頭が下げられるんです」


「確かに。それが無くなったら……」


「どうしたんです?」


「あ、いや、ちょっと嫌な事を思いだしちゃって」


「嫌な事?」


「う、うん。僕達貴族にも、色々な人がいるからね。普通の倫理観を持っている人もいれば、異常な倫理観を持っている人もいる。僕が知っている貴族の人達も」


 ギルア様は一つ、息を吸った。「これから話す事は、僕としても覚悟が要る」と言わんばかりに。


「アグラッド家」


「アグラッド家?」


「正確には、それに関わる貴族達か? 彼等はその独特な習慣、普通の人間には理解しがたい習慣があってね? それが僕には、とても不快なんだ。彼等の間でずっと続けられている儀式、『人間の血が赤から青に変わらない』と」


「どうなるんです?」


「首をはねられる。つい最近にも、自分の首をはねられかけた少女がいるらしいが」


 そこで言いよどむのは、何か言いにくい事情でもあるのだろうか?


「消えたんだよ、その子」


「え?」


「社交界の席で『それ』をやろうとした時、その姿が忽然と消えてしまったんだ。それがどう言う理屈で起こったのか、まったく分からないけれど」


 俺は、その話に固まった。「悪魔が現われた」と思ったら、次は「どこかの令嬢が消えた」と言う風に。俺は不安げな顔で、彼の顔を見かえした。


「その子の名前は?」


「え?」


「彼女の名前は、なんて言うんです?」


 ギルア様は、その言葉に息を吸った。「それ」に応えるのは、「僕としても勇気がいる」と言わんばかりに。彼は真面目半分、恐怖半分の顔で、俺の顔をじっと見かえした。


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