第132話 免罪者の犯罪 2
黒幕である証拠。それが今も、果たして残っているのだろうか? 仮に「残っていた」としても、それが果たして証拠になりえるであろうか? 彼が犯罪者である証拠に、そして、それが示す物証に。犯罪は余程の権力が関わらなければ、「物証」と「因果関係」がどうしても必要なのだ。
何の証拠も無いのに、その人物を犯人にはできない。「証拠不十分」として、「無罪」の判決を受ける。今は無法者も多い世の中だが、そう言う力は(一応)今でも生きていた。その上でも、やっぱり必要なのが証拠である。彼は「それ」をまったく残さず、この町から煙のように消えてしまった。彼が既にいなくなってしまった以上、それを追いかける事はできても、それを捕まえる事はできない。
ましてや、彼に「お前は、人殺しだ」と叫ぶ事も。彼はあらゆる罪を逃れて、遠くの彼方に消えてしまったのだ。それが、無性に悔しい。「誰々が悪い、何々が悪い」と分かっていながら、それに「悪い」と言えないのだからね。「悲しい」よりも、「悔しい」が勝ってしまった。
俺は悔しげな顔で、マドカの顔を見かえした。マドカの顔もまた、俺と同じような表情を浮かべている。犯罪のそれを取りにがしてしまった、その悔しげな表情を。
「俺はたぶん、心の中で憧れていた。とんでもない敵を倒してきた彼、その力に敬意を抱いていた。彼にあったらたぶん、『その力に救われる』と思って。でも」
「仕方ないさ。『理想』と『現実』は、違う。ゼルデの気持ちも分かるけど、今回は」
「分かっている、分かっているよ! 『今回のこれが、現実だ』って。彼は、冒険者だ。どんな敵にも負けない、正真正銘の悪魔だ。悪魔の中でも、最強に位置する存在。そんな存在がもし、人の道から外れるような事をしていたら?」
そこに割りこんだリオもまた、その言葉に眉を寄せていた。リオは不安な、でも冷静な顔で、俺の目をじっと見かえした。
「いずれは、犯罪に走る。犯罪にまではいかなくても、何か悪い事をする。人間は『葛藤』と『良心』が無くなると、その欲望が抑えられなくなるから。フカザワ・エイスケはおそらく、自分の欲望にのみ従っている。自分が戦いたい時に戦い、眠りたい時に眠り、食べたい時に食べ、交わりたい時に交わる。彼は自身の力に溺れてこそしないが、その力がどんなに強いか分かっているし、それがどんなに使えるかも分かっている。今回の事もおそらく、彼が起こした気まぐれでしょう。そうでなきゃ、彼にみんな殺されている筈だから。彼には人の人生を揺るがす力、
俺は、その言葉に目を見開いた。特に「天秤」の部分には、不思議な感情を抱いてしまった。天秤の皿が傾けば、「善」にも「悪」にも慣れる存在。その重り次第で、自身の要望をすぐに変えられる存在。彼は何らかの技能を得、何らかの訓練を受け、何らかの境遇を経て、今のような立場になったのだ。「全ては、自分の気分次第」と言う、とんでもない立場に。
そんな立場の人間と相対すれば、どんな人間でもひれ伏してしまうだろう。相手は、正に神のような人間なのだから。神の前では、どんな英雄も無力になってしまう。俺は彼の神秘性、そして、その完全性に眉を寄せてしまった。
「彼は、危険だ。魔王以上に。俺が今まで会ってきた、どんな敵よりも」
俺は、両手の拳を握りしめた。拳の表面に当たっていた雨はもう、止んでしまっていたけれど。その間に握られている汗はまだ、拳の中に残っていた。俺は「それ」を解いて、自分の仲間達を見わたした。
「俺の目標は、魔王を倒す事。それは、絶対に変わらない。魔王がこの世に生きている以上は、魔王の軍が俺達を苦しめている以上は、その目標をずっと貫きつづける。魔王が倒されれば、その眷属達も共に滅びる筈だから。でも」
それに割りこんだミュシアも、その続きが何となく分かったらしい。ミュシアは真剣な顔で、俺の目を見かえした。
「その後には必ず、フカザワ・エイスケが待っている。フカザワ・エイスケは、異様。普通の人間には持っていない何か、普通の人には開かされない秘密が隠されている。この世界の根幹を揺るがすような、そんな感じの秘密が。彼は『それ』に甘えて……いや、酔っている。酔った上で、魔王の軍団と戦っている。まるでそう、玩具と遊ぶ子どものように。彼は、この世界を遊び場にしている」
「
それは許せない、うっ。くそっ、またコレだ。彼に対する罪悪感、「今の言葉を取り消せ」と言う圧力。それが俺の胸を締めつけ、その息も締めつけた。俺の不遜を罰するかのように、「精神」と「肉体」に重圧を掛けたのである。
「彼は」
「うん?」
「自分がもし、そうやられたら? 何を一体、思うのかな?」
「たぶん、思わない」
「え?」
「自分が相手に攻撃を加える側でいる以上は、そう言う感情は一切抱かなくなる。お金の破産がありえない人なら、自分が貧しくなる事も考えないでしょう? それがずっとつづく状態なら、それもまったく変わらないなら、あらゆる不安は意識の外になってしまう。人間は何かが足りないから、他人にも優しくなれるの」
俺は、その言葉に押しだまった。その言葉こそ、人間が人間たる証だったから。そして、人間に他者を思いやれる理由だったから。それが欠けている人間はきっと、人間の姿をした何かなのだろう。自分の背中に羽を生やした、その腰に尻尾を果たした、そんな感じの……。俺は「それ」を感じて、その場に呆然と立ちつづけた。
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