第129話 本編の主人公 6

 すべての元凶は、文字通りの呆然。悪魔の力に立ちつくすだけで、それに文句の一つも言わなかった。彼は不安と狂気、発狂と冷静の中間に立って、目の前の光景をぼうっと眺めつづけていた。だが、それも数秒の事。彼が自身の正気を取りもどす、ほんの僅かな時間でしかなかった。自身の正気が戻れば、普段の思考も戻ってくる。普段の思考が戻ってくれば、その狂気も蘇ってくる。彼は自分の狂気に従って、彼女達に狂気の命令を飛ばした。


「君達が死んでもいい。その悪魔を何が何でも倒せ!」


 俺は、その言葉に怒った。いや、怒ったなんてモノではない。自分の理性をすっかり失ってしまった。俺は自分の怒りにだけ従って、すべての元凶に挑みかかった。元凶の命がどうなろうとも、今の俺にはどうでもいい。殺人さえ犯さなければ、コイツの四肢が無くなろうが、頭の方がおかしくなろうが、本当にどうでもよかった。コイツには、地獄以上の地獄を見せなければならない。俺は彼に自分の魔法こそ使わなかったが、彼の顔を思いきり殴りはじめた。


「戻せ!」


 そう言いながらも、彼の顔にまた一発。彼の顔はすっかり腫れあがっていたが、俺の拳に苦しんでいるだけで、その言葉には決して応じようとはしなかった。あくまでも、自分の我を通そうとしているらしい。「自分は、この町の統治者である」と言う、子どものような我を。彼は自分の楽園が滅びるくらいだったら、「その破壊者もろとも一緒に死んでやる」と言う人間だった。だが、それでも……。


「戻せ!」


 そんなワガママには、付きあっていられない。彼女達は俺の、ゼルデ・ガーウィンの大切な仲間達なのだから。こんな下らない奴のせいで、自分の仲間を失うわけにはいかない。彼女達は、こんなところで死んでいいような人達ではないのだ。



「嫌だ、ね。あの子達は、ゲホッ! 僕の大事な飼い猫達だ。僕の快楽を満たす、淫らな飼い猫達。それを手放す事なんて」

 

 そこに割りこんだのは何と、今まで彼女達と戦っていた悪魔だった。悪魔は少年の額に槍先を向けて、その口元に不気味な笑みを浮かべた。


「できない? まあ、その気持ちは分からなくもないけど。今回は、相手が悪かったね?」


 少年は、その言葉に青ざめた。それを見ていた俺も、目の前の光景に言葉を失った。俺達は目の前の光景に驚きすぎて、自分の思考をすっかり忘れてしまった。だから最初に喋ったのも、少年の方が先だった。「どう、して?」


 悪魔は、その言葉に溜め息をついた。「その言葉は、あまりにも陳腐すぎる」と言わんばかりに。


「そんなの、僕が勝ったから決まっているでしょう?」


「なっ!」


 う、嘘だ? たった一人で、あの人数を? 洗脳の強化、白魔術師の回復魔法、女神の透明化を受けた、あの三十人近い少女達を。俺もそれには驚いたが、少年の方はそれ以上に驚いていた。少年は不安な顔で、その場から立ちあがった。自分の足下がフラついている事も忘れて。


「ありえない! 見えない相手を倒せるとか!」


「僕には、そう言うスキルがある。見えない相手でも探せる、便利なスキルがね? 本来は、そこまで正確ではないんだけど。今回は、敵の方が集まっているから。それを探すのも、難しくない。君は、僕の力を侮りすぎたんだ」


 少年は、その言葉に押しだまった。そう言われてしまったもう、少年に反論の余地はない。相手の言葉に打ちのめされ、その場に泣きくずれるだけだ。悪魔の槍に頬を「トントン」と叩かれた時も、その感触にただ「う、うううっ」と唸っているだけ。少年は悔しげな顔で、両目の頬から涙を垂らしつづけた。


「見のがして」


「君を?」


「どうか、お願い。お願いします! もう二度と、こんな事はしませんから! お願い」


 その答えは、無言。「見のがす」でもなければ、「見のがさない」でもなかった。


「ゼルデ・ガーウィン」


 突然のご指名に驚いた、俺。俺は真面目な顔で、悪魔の顔を見かえした。悪魔の顔はやっぱり不気味、この状況をどこか楽しんでいる。


「君は、どうする?」


「俺は?」


「彼の事を許すか? それとも、許さないか?」


「俺は……」


 俺は、少年の顔に視線を移した。少年の顔は、その涙で濡れきっている。


「一つ、聞いてもいいか?」


「な、なに?」


「お前は今まで、人を殺した事はあるか?」


「な、無い」


「そうか。なら、他人に『それ』をやらせた事は?」


 今度は、何も答えない。それが、何よりも答えになった。彼はどうやら、他人に人を殺させた事があるらしい。


「最悪だな、自分の手を汚さないで」


「仕方ないだろう」


「え?」


「こんな力を手に入れたら、誰だってそうしたくなる。君達だって!」


「俺は、人を殺さない。そいつがどんなに憎くても、自分にそれをやる覚悟が無ければ」


 悪魔は、その言葉に微笑んだ。「その言葉は、甘すぎる」と言わんばかりに。


「君は、良い奴だね。でも、それが命取りになる。今回の事だって、僕がたまたま助けなければ……まあいい」


「え?」


「彼は、人殺しだ。君が何と言おうと、その事実は変わらない。彼は自分の道具を使って、他人の命を奪ったんだ。その罪は、償わなきゃならない」


「近くの封土に連れていくのか?」


「冗談。そんな方法じゃまた、この犯罪を繰りかえす。彼は、洗脳の常習犯だからね? 僕達の目が無くなれば、また同じような事を」


「だったら、どうすれば?」


「そんなの、こうすればいいんだよ」


 悪魔は「ニヤリ」と笑って、少年の喉元に槍を突きさした。喉元から噴きだした、その赤い血を慈しむように。

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