第121話 見えない恐怖 7

 主人狩り? そんな事、絶対にさせるか……なんて言えるような状況ではなかった。これはどう見ても、絶体絶命。文字通りの四面楚歌である。自分の仲間達に前と後ろを押さえられ、その逃げ道がほとんど塞がれてしまったのだからね。それに怯えない方がおかしい。その相手がましてや、自分の仲間達とくれば。物理的な困難よりも、精神的な疲労の方が強かった。このままでは、確実に負ける。いや、負けるどころの話ではない。心も体も、ボロボロにされてしまう。今までは正気だった残留組の少女達も、あの不思議な粉にすっかり操られていた。


「これは……」


 どうしよう? 彼女達の事を傷つけるわけにはいかない。「敵に操られている」とは言え、彼女達は俺の仲間なのだから。その仲間達を殺すわけにはいかない。だがそれでは、この状況から抜けだせないのも事実。俺が彼女達への攻撃を躊躇っていれば、その彼女達から袋叩きにされてしまうだろう。今は謎の沈黙を保っているが、それも見たとおりに時間の問題だった。一瞬でも気を抜けば、彼女達の一斉攻撃を浴びてしまう。「くっ!」


 俺は悔しげな顔で、すべての元凶に目をやった。元凶の顔は、余裕の笑みを浮かべている。


?」


 元凶は、その質問に笑った。それをまるで楽しんでいるかのように。


「そうだけど? それが何?」


「心は、痛まないのか? こんな事をして? 普通だったら」


「躊躇う、他人の心を操るなんて?」


「そうだよ。自分にたとえ、『それができる術があった』としても。普通なら」


「躊躇っていたら、楽しくないじゃない?」


「え?」


「考えてもみてよ?」


 少年は「クスッ」と笑って、少女達の前を歩きはじめた。それがとても不快だったが、相手の出方が分からない以上、その場から動くわけにはいかなかった。下手に動けば、彼女達の命が奪われるかも知れない。相手は少女達の周りを歩いているだけに見えるが、実際はその首元に短剣を突きつけているも同じだった。


 そんな相手にもし、俺が攻撃を加えようとしたら? その気配をすぐに感じて、彼女達の命を奪ってしまうだろう。相手は攻撃と防御、その両方を同時に行っているのだ。そんな攻守一体の手に仕掛けるのは、悪手以外の何モノでない。だから今は、相手の動きをじっと窺うしかなかった。


「こんなに狂った世界で、まともに生きる方が馬鹿じゃない?」


「は?」


 コイツは一体、何を言っているのだ? まともに生きる方が馬鹿だなんて。コイツには、普通一般の思考力が無いのか?


「馬鹿なわけがない。こんなに狂った世界だからこそ、まともに生きなきゃならないんだ。そうでないと」


「違うね」


「違う?」


「ああ、違う。まともになんて生きていたら、頭の方がおかしくなっちゃうから。自分が今、『この世界に生きている』と言う事実も。僕はね、その事実が大嫌いなんだよ。自分がまるで、不幸な世界に生まれたような気がして。一分、一秒が許せない」


「だから、こんな事を? みんなの心を操るような」


「そうだよ? それの何が悪い? 僕には、『それ』をできる道具があった。道具があって、『それ』をできる機会もあった。道具と機会があるのなら、『それ』をするのが普通でしょう? 自分の欲望を満たそうとするのが普通。下らない決まり事なんか捨てて」


「子どもだな」


「うん?」


「お前は、子どもだよ。自分の事だけを考えて、周りの事はちっとも考えない。自己中心な気持ちは、お前がまだ子どもである証拠だよ!」


 少年は、その言葉に押しだまった。その言葉に苛立った、わけではない。それに不快感を覚えたわけでも。彼は俺の思考、俺の信条に「やれやれ」と思っただけだった。


「君の主張はたぶん、正しい。正しいけど」


「正しいけど?」


「正しさを叫ぶ人間は、子どもだ。子どもはね、人間の正しさしか叫ばない。人間の悪さに惹かれても、正しさのそれ自体は捨てられないんだ。気持ちのどこかに良心を持っているからね。どんな状況でも、自分が(できるだけ)正しくあろうとする。異端者に対する迫害もまた、その正義感からくるモノだ。それゆえに」


「『自分は、大人である』と? お前は、人間の悪についているから?」


 少年は、その言葉に「ニヤリ」とした。その言葉をまるで、「待っていた」と言わんばかりに。


「理解が早いね? 流石は、『冒険者』と言ったところか? 人間の悪にも、通じている」


「『悪』とは決めづらいけど、その業は見てきたから。人間の悪も、それなりに知っているつもりだ」


「そうかい。それなら」


 その後につづいた、「パチン」と言う音。少年がどうやら、指を鳴らした音らしい。少年は「ニヤリ」と笑って、俺の方を指さした。


「さて、楽しい話は終わりだ。最初は手加減、透明化のスキルは使わないでおいてあげる。透明化のスキルを使えば、流石の君でも瞬殺だろうからね? 冒険者との遊びは、じっくりと楽しんだ方がいい」


「くっ!」


 俺は、少年の前から逃げだした。その場に残れば、文字通りの多勢に無勢。「自分の仲間達に叩きつぶされる」と思ったからである。俺は自分の身体に強化魔法を掛けて、町の建物や木々、その他公共施設を活かして、今の状況に抗う術を考えはじめた。

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