第113話 帰れない町 12

 彼女の情報は、ありがたかった。ありがたかったが、同時に怖くもあった。特に彼女が最後に見せた表情、あの虚ろな目が忘れられない。あの目はたぶん……いや、絶対におかしいだろう。何人かの少女達も「それ」に気づいていたようだが、ティルノが彼女の身体に抱きついていた事や、思考よりも感情が勝っている少女達も彼女の周りに集まっていたので、彼女の事を「探ろう」とする者はいなかった。

 

 カーチャは、周りのみんなに謝った。自分の好奇心がこんなにも、多くの人に迷惑を掛けた事について。彼女は自分の非をきちんと認めた上で、俺達に「あの館に攻め入るべきだ!」と言いはった。「あの館は今、あたしが入った事でかなり慌てている。『自分達の秘密を見られたんじゃないか?』って。あたしの事もたぶん、必死に捜しているワン! そこに今、攻め入れば」

 

 俺は、その言葉に押しだまった。その言葉は、確かに「正しい」と思う。だがその一方、「罠かも知れない」とも思った。俺達に自分の配下を送って、その油断を誘う作戦。自分の洗脳術を使って、俺達すらも仲間に入れてしまう作戦。それが頭によぎったせいで、彼女の言葉にも「うん」とうなずけなかった。ここは慎重に、でも自然に、彼女の言葉に応えなければならない。


 彼女はたぶん、(それが正気であれなんであれ)仲間の俺達に厚意を見せているのだから。それを決して、無碍にはできない。彼女にここで「お前の言葉など信じられるか!」と言えば、色んな意味で問題が出てくる。彼女がもし、敵の洗脳術に掛かっていたら? その敵にもまた、俺達の行動を気づかれてしまう。「彼等は、自分達の事を怪しんでいる。これは、何としても倒さなければ」と、そんな風に思われてしまう筈だ。彼等の立場からすれば、今回の事はあくまで隠密行動なのである。だから、それに逆らう事は……。


ね?」


 そう笑うシオンもまた、俺と同じような事を考えていたらしい。彼女は自分の顎をつまんで、俺の顔をじっと見はじめた。


「これじゃ、どっちにしても同じだ。彼女についていくにしても、ついていかないにしても。その先には、敵の罠が待っている。彼女がせめて、正気の方だったらいいんだけど」


「うん。だからこそ、この手は本当に卑怯だ。人間の良心を試す手、その結束を揺さぶる手。俺達に疑われた仲間は、今後もその猜疑心を抱きつづけるだろう。『この人達はきっと、心の底では自分を信じてくれていないんだ』って。ある種の壁を作りかねない。そうなったら」


「信頼関係が崩れるね。信頼は、パーティーに最も必要な事だから。どんなに優れたパーティーでも、その信頼が無くなればお仕舞い」


 俺は、その言葉にうつむいた。それは、充分に分かっている。この俺自身が、味わった事だからね? 俺と同じような境遇の人を除いては、それはよく分かっているつもりだった。俺は眉の間に皺を寄せて、彼女の目から視線を逸らした。


「そう思う。だけど、今は」


「分かっている。『白』か『黒』かが分からない以上は、下手に動く事もできない。あの子はたぶん、幻を見ているわけでもなさそうだしね? ゼルデの魔法も、おそらくは通じない」


「うん。仮に解けたとしても、それはそれで怪しまれる。相手の洗脳術が、遠隔操作に近いモノだったら。彼女との連絡線が途切れた時点で、何らかの疑問を抱くだろう。最悪の時は、ここに攻め入るかも知れない。相手は、俺達がここにいるのを知っているんだからね」


 シオンは、その言葉に溜め息をついた。彼女の近くに立っていた、ヒミカさんも。彼女達は現状で行える最善の手、あらゆる意味で最悪ではない手を考えているようだった。ヒミカさんは手持ちのお札をいくつか眺めて、俺の顔に視線を移した。


「君は、どうしたい?」


「え?」


「どっちに転んでも、その結果は変わらないんだ。結果が変わらないのなら、どちらを選んでも同じだろう? 私は、君の決定に従う」


「俺は」


 何を選べばいい? 何を選べば、最善の……。


「ううん」


 俺は思考の世界、その奥底に沈みはじめた。思考の奥底に沈めば、「その答えも分かる」と言う風に。あらゆる刺激、あらゆる世界を遮って、その奥底に沈みつづけた。だが、やっぱり無理だったらしい。思考の底には様々なアイディアが沈んでいたが、それを一つ一つ掬いあげてみても、そのどれにも一長一短が潜んでいた。「一方の考えを取れば、もう一方の考えが沈む」と言う風に。「最善」と呼ばれる手が、まったく見つからないのである。俺は「それ」に落ちこんで、自分の頭を何度も掻きむしった。


「ちくしょう」


 分からない、分からない。


「分からない。俺は一体、どうすればいいのか?」


 その答えがまるで、閃かなかった。「閃き」の欠片すら、見つける事も。俺は自分の足下に目を落として、その影をずっと見おろしつづけた。


「ごめん」


 少女達は、その言葉に首を振った。特にミュシアは俺達の会話が耳に入ったようで、俺達以上に色々と考えているようだった。


「気にする事はない」


 その言葉が、女神の一言がありがたかった。ミュシアは「ニコッ」と笑って、俺の目をじっと見かえした。俺の不安を溶かすような、そんな感じの眼差しで。


「貴方はただ、相手の罠に騙されるだけ。相手の罠に騙されて、その相手を騙すだけ。相手は、自分の罠に酔いしれている。その隙をついて」


「反対に攻めこむのか?」


 ミュシアは、その言葉に微笑んだ。それがまるで、「正解」と言わんばかりに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る