第110話 帰れない町 9

 走った。それもただ、走ったわけではない。カーチャの主人たる少女、ティルノを伴って走った。彼女は正確な位置こそ分からないが、ある程度ならカーチャの居場所が分かるようで、彼女が残した気配を辿りながらも、俺と連れだって町の中を走りつづけた。俺も彼女の隣を走りつづけたが、それにたまたまついてきたエウロさんはもちろん、町の様子も加えて眺めつづけていた。


 町の様子は昨日と変わらず、その平穏な空気を漂わせている。露店の前で野菜を売っている女主人はもちろん、新鮮な肉を売っている店主もみんな、穏やかそうな表情を浮かべていた。「平凡な世界」が、具現化したような町。そんな町の中で走りつづければ当然、周りの視線を集める事になる。町の住人達は不思議そうな、でもどこか不気味な顔で、俺達の事をじっと眺めていた。

 

 エウロさんは、その視線に舌打ちした。その視線が気に入らなかった、それも(たぶん)あるだろう。だが、それ以上に何かを苛立っているようだった。彼女は不機嫌な顔で、隣の俺に話しかけた。


「気持ちは分からないわけでもないけどさ? それでも、一人で行く事はないでしょう? ここは、なんだから」


「確かにね。その意味では、彼女の行動は間違っていたかも知れない。だけど」


「だけど?」


「俺には、『それ』を責められないよ。彼女は俺達には分からない何か、彼女だけにしか分からない事を感じていた。この町に漂っている異常性を」


「う、うん」


「彼女は自分の命に代えて、その謎を暴こうとしているんだ!」


 ティルノは、その言葉にうつむいた。おそらくは、自分の僕を案じるあまりに。彼女は彼女と主従の関係でこそあったが、その実は親友も同然、「自分の家族と同然」と思っていた。カーチャと初めて会った時も、そんな感じだったし。彼女達二人は、俺達が思っている以上に深い絆で結ばれているのである。


 そんな親友にもし、何か大変な事が起こっていたら? その精神は決して、穏やかではないだろう。俺がカーチャの事を案じる以上に、彼女の事を「どうか無事でいて!」と思っている筈だ。ティルノは修道服の袖を握って、両目の端に涙を浮かべた。


「カーチャ、カーチャ、カーチャ」


 声自体は小さいが、そこには鬼気迫るモノがあった。まずい……このままいけば、彼女は。その心を壊して、倒れてしまうかも知れなかった。そうならないためにも、今は何としても見つけださなければならない。彼女が最も大事にしている少女を。ティルノは不安な顔で、町の中を見わたした。町の中にはやっぱり、平穏な空気が流れている。


「お願い!」


 そう願ったものの、その努力は報われなかった。カーチャの気配は、確かに追いかけた。追いかけたが、それはカーチャの足跡を辿ったモノではあっても、彼女の居場所を辿ったモノではなかった。


 だからある場所までいくと、それがすっかり消えてしまった。痕跡が消えた場所は、通りの真ん中。様々な人々が行きかう場所、その左右にも様々な建物が見えた場所である。こんな場所でまさか、カーチャが消えたなんて? 俄には、信じられない。


 彼女が仮に誰もいないような深夜、その通りにすら人影が見えないような時間帯に襲われたとしても、その悲鳴か何かを聞いて、誰か一人くらいは起きだすだろう。ここがもし、普通の町だったら。住人の誰かが、そう言う話を広めている筈だ。それにも関わらず、そんな事を話している人は誰もいない。みんな、昨夜の事などまったく覚えていないような顔だった。

 

 俺は、その光景におののいた。その光景が物語る疑惑に改めて震えたからだ。俺は不安な顔で、通りの真ん中にしばらく立ちつづけた。


「この町は、やっぱり」


 エウロさんも、その言葉にうなずいた。


「おかしい、普通じゃないよ! こんな」


 ティルノも、その言葉に震えあがった。彼女は悲しげな顔で、その場に泣きくずれた。それがあまりに切なかったが、周りの人達が一瞬、本当に一瞬、それを笑っている光景が見えて、その意識を少し忘れてしまった。ティルノは「それ」に気づかないまま、悲しげな顔で修道服の袖を濡らしつづけた。


「う、ううう、カーチャ!」


 俺は、その言葉を聞きながした。その言葉を聞きたくなかったわけではない。先程見せた住民達の視線、それがどうしても気になったからだ。あの目は、普通の目ではない。敵の不幸を喜ぶ、クソ野郎の目だ。


 俺は住人達の顔を見わたしたが、それらはもう普通に戻っていて、俺がいくら見わたしても、先程の視線はおろか、その気配すらも感じられなかった。


「くっ!」

 それに重なる、エウロさんの舌打ち。彼女もまた、相当に悔しかったらしい。エウロさんはティルノの肩に手を乗せて、その気持ちを何とかなだめようとした。

「大丈夫だよ、絶対! あんたの家来は、きっと」


 見つかる。そう信じたい俺達だったが、それは文字通りの甘えだった。「おそらくは、大丈夫だろう」と言う、想像の甘え。これから起こるだろう悲劇への不用心。それが今、俺達の背後に迫っていたのである。俺は「それ」を薄らと感じながらも、真面目な顔で少女達の様子を眺めていた。

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