第104話 帰れない町 3

 仕事の受注(ウェルナにはやっぱり、苦笑いされたが)、これは問題なかった。町の中から出て、外の通りを歩きはじめた時も問題なかった。すべてはいつも通り、冒険者のそれを描く日常だった。だったが、それでも不安は消えない。未知なる世界に挑む恐怖が、どうしても消えない。


 こんな体験は今までも、それこそ、数えきれない程を味わってきたのに。今回に限っては、その背中を伝う汗がどうしても止まらなかった。「この依頼は、今までの依頼とは違う」と言う風にね。俺の本能がそう、無言の内に訴えてきたのである。「引きかえすなら、今しかない」と。


 だが、それができなかった。自分ではそう思っていても、周りの空気がそれを許さなかったのである。人間が大河の流れに逆らえないように。俺もまた、その大河に流されていた。俺は複雑な気持ちで、目の前の少女達に目をやった。目の前の少女達は、その好奇心に声を弾ませている。「はぁ」

 

 それに応えたのが一人、俺の肩に手を乗せてきた。一度は仲間の俺を裏切り、その関係をまた作りなおした少女が。リオは不安げな顔で、俺の横顔を見つめた。


「大丈夫?」


「あ、う、うん、まあ。たぶん」


「そう。あたしは、不安だよ。こう言うのは、普通の依頼と違うから。土地に関する依頼は、あたし達のような冒険者でも難しい。それ自体に罠が仕掛けられる時もあるからね。少し油断が命取りになる」


「うん。俺も、『それ』が怖いんだ。土地関係の仕事は、ほとんど請けおった事がないからね。強いモンスターとは、何百と戦ってきたけど。今回のこれは」


「分かっている。だから、あたしも気を引きしめるよ。自分の白魔法がいつでも使えるように」


「うん」


 それに重なった「ただ」と言う声、その主は真剣な顔を浮かべているマドカだった。マドカは今の会話から何かを感じたらしく、俺と同じように唸っては、自分の顎をつまんで、俺やリオの顔を見わたした。


「注意は、やっぱり必要だ。俺の聞いた話じゃ、何百もの冒険者がそこに入って……。実際は違うんだろうが、そこから帰ってこなかったんだろう? その中には、A級の冒険者すらいた筈なのに?」


「うん。だから、『帰れない町』と呼ばれている。『そこから誰も帰ってこない、魔の町だ』と。町の様子もあくまで、人伝に伝えられた物だし。それが本当かどうかも分からない。もしかすると」


 マドカは、その言葉に眉をひそめた。その言葉が意味する事をどうやら、彼女なりに察してくれたらしい。彼女は自分の顎をまたつまんで、腰の短剣を何回か撫でた、


「嘘の情報を伝えた奴がいる。それも、生存者のフリをしたね。その町が本当に帰れない町なら、それを伝える人間もまたいない。伝える人間がいないなら、その情報もまた世間に知られない。『何とかかんとかに会ったらまず、逃げられない』とかの話には、その話自体に大きな矛盾がある。『生存者がいないのにどうして分かるんだ』ってさ。その視点から考えると?」



「うん。今回の町もまた、それに当てはまるかも知れない。冒険者の事をはめる、魔族の仕掛けた罠。慎重な冒険者なら別だけど、そう言うのを確かめたくなるのが冒険者だからね。その心理を突けば、この罠も充分に効くわけだ」


 マドカは、その話に頬を掻いた。まるである種の警戒心を募らせるように。


「戻ろうか?」


 無言の返事。それは、隣のリオも同じだった。


「今ならまだ、引きかえせる。せっかく増えた戦力だ。こんな仕事で、費やす事はない」


「う、うん、それも」


 一つの手だね。俺がそう、言いかけた時だった。カーチャが俺の背中に体当たりして、その正面にくるりと回りこんだ。カーチャは、自分の鼻をクンクンと動かした。


「ゼルデ!」


 うん、元気な声です。それはいいんだけど、今の体当たりはちょっと痛かったな。


「今ね、がしたワン!」


「変な匂い?」


「うん! 何だかこう、今まで嗅いだ事のないような? とにかく一瞬だけ匂ったワン!」


「そ、そうなんだ。それは」

 

 それに補足を加えたのは、彼女の主人たるティルノだった。ティルノはオドオドこそはしていないものの、その顔はやはり不安そうで、目の前の俺にも小さい声を使った。


「た、たぶん、危ない兆候です。カーチャは、ずっと遠くの匂いにも」


「気づけるんだ?」


「は、はい。だよね?」


 それに「ワン!」とうなずく、カーチャ。カーチャは真面目な顔で、遠くの空を指さした。俺達がこれから向かおうとしている、変えられない町のある方向を。


「あっちの方から。あっちには、何だっけ? 帰れない町があるんでしょう?」


「その匂いが、こんなところまで?」


「そうみたいだワン! 自然の風に乗って、空気に中に入っているみたい。これは」


「これは?」


「人間の匂い? でも、どこか臭いワン」


「人間の匂いなのに、どこか臭い?」


 それは一体、どう事なのか? ますます分からなくなった。帰れない町から人間の匂いが漂ってきたならば、「そこには人間が住んでいる」と言う事。「町の中に生活圏を築いている」と言う事だ。人間の敵である魔族が作っただろう町に。


「その人達は?」


 俺は様々な想像を膨らませたが、そのどれもが根拠に欠けた空論だったので、謎の正体は結局分からなかった。

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