裏9話 少年の剣(※三人称)
「ライダル、か。善い名前だな」
それに返す言葉はどうやら、見つからなかったらしい。自分の名前にうなずかれる事はあっても、それに「善い名前」と言われた事がなかったからだ。こうして、見知らぬ人の厚意を受けた事も。だからまた、その厚意に泣いてしまった。人間の最も尊い部分に泣きくずれてしまった。ライダルは自分が今までに受けてきた親切、それらのすべてを超える厚意にずっと泣きつづけた。
「マティ、さん」
「うん?」
「僕もまた、立てますか?」
その答えは、無言。少年の顔をただ、じっと見ているだけだった。
「この気持ちを乗りこえられますか?」
今度は、それに答えてくれた。マティなりの人情を込めて。
「立てるさ」
「え?」
「現に今も」
「今も?」
「立とうとしている。この腐った世界から、自分の足で立とうとしている。俺は今まで、多くの未来を奪ってきた。本当なら輝くかも知れなかった未来を」
ライダルは、その言葉に押しだまった。その言葉に込められた真意、真意の裏に隠された過去は分からない。分からないが、それが「重い十字架だ」とは分かった。「人間が人間として生きるための十字架だ」と。そして、まあいい。そこから先は、聞かない事にしよう。彼の心を傷つけないために、そして、人間の闇を覗かないために。ここは、「見えないフリが得策だ」と思った。ライダルは地面の上から立ちあがって、服の汚れをパッパッと払った。
「マティさん」
「なんだ?」
「僕を強くしてください、今の自分を超えるためにも。僕は!」
「ライダル」
「は、はい!」
「俺の稽古は、厳しいぞ?」
ライダルは、その言葉に怯まなかった。言葉の真意自体は分かっても、それを恐れる理由がなかったからである。本当に怖いのは、このまま進めない事だ。このまま進めず、過去の自分に囚われる事だ。理不尽な世界に潰される、そんな過去の自分に。ライダルには、それが一番怖かった。絶望に打ちひしがれたままでは、この荒れはてた世界からも抜けだせない。
ライダルは瓦礫の山を崩して、その中から使えそうな物を探しはじめた。これからの旅に必要な物を、今までは見向きもしなかった物を。自分の記憶を覗いては、それをじっくりと選びはじめたのである。ライダルは使えそうな物を一通り選んだが、目の前のマティに「そいつらは、使えない。捨てろ」と否まれてしまった。
「え?」
「鞄の類はまだマシだが、その剣は使い物にならない。どう見ても、刃こぼれを起こしている」
そう言われて確かめた剣は、確かに刃こぼれしていた。これでは、確かに使えない。仮に「使えた」としても、すぐに折れてしまうだろう。野ウサギや山リスなどの小動物などは殴りころせるだろうが、それも良くて「一回、二回」と言ったところだった。ライダルは悔しげな顔で、地面の上に剣を放りなげた。
「はぁ」
溜め息が一つ。悲しいな、アレは父の形見だったのに。それを持っていけないのはやっぱり、彼としても悔しかった。ライダルは暗い顔で、地面の上に目を落とした。
「ごめんなさい」
「なぜ、謝る? アレは」
マティは、その続きを飲みこんだ。その続きがたぶん、自分の想像と同じであるならば。彼は「それ」に賭けて、少年の剣を拾った。
「コイツは、ただの剣じゃないな?」
「はい」
そう答えるのに時間が掛かった。
「そう、です。それは父さんの、形見です」
それを聞いたマティがまた押しだまったのは、どう考えても偶然ではないだろう。マティは剣の表面に目をやると、真面目な顔でその刃をしばらく見つづけた。
「すまなかった」
「え?」
「そんな大事な物を『捨てろ』と言って、すまなかった」
無言。それしかもう、できなかった。「すまなかった」の部分を聞いて。ライダルは両目の涙を拭うと、無理な作り笑いを浮かべて、目の前の男に頭を下げた。
「そんな事」
「よし、コイツも持っていこう」
「え?」
「コイツがお前にとって大事な物なら、コイツにもお前の景色を見せてやるべきだ。お前が見ている景色を、そして、これから見ようとしている世界を。お前の見ようとしている未来は、コイツの要らなくなった世界だろう? 世界の誰もが、コイツを使う事のない」
「……はい」
「だったら、連れていこう。今は使い物にならないが、この刃を直せばまた使える筈だ」
ライダルは、その言葉に目を見開いた。それなら父と、家族との思い出を忘れないで済む。コイツがまだ、コイツとしてあった時代の記憶も。ライダルはマティから父の形見を受けとって、鞘の中にそれを収めた。「これでまた、自分の家族と一緒にいられる」と。
「ありがとうございます」
「いや」
少しの沈黙。
「ライダル」
「は、はい」
「親父を直すぞ? そして、お前のそれに造りかえる」
「はい!」
ライダルは、遠くの空に目をやった。遠くの空には暗雲が、暗雲の間には光が漏れている。まるで彼の未来を示すかのような光が。ライダルは「それ」をしばらく見ていたが、真面目な顔で正面の男に視線を戻した。正面の男はやっぱり、自分の顔をすっかりと見ている。
「マティさん」
「なんだ?」
「よろしくお願いします!」
ライダルは「ニコッ」と笑って、目の前の男にまた頭を下げた。
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