嬢1話 悪役令嬢への道(※一人称)

 高貴な血筋には、下劣な習慣がある。それが私、ヴァイン・アグラッドの不満です。家の杓子が十四歳になった誕生日、左手の手首をそっと切って、そこから流れた血の色を確かめる儀式。この国の貴族達がずっとつづけている、何とも不気味な儀式です。儀式自体はすぐに終わってしまうものの、それで流れた血が万一……まあ、「これ」も意味不明な習慣ですけどね? 幼少期の赤い血が成長期の青い血に変わっていなかったら、その命をすぐに奪われてしまう。

 

 私の家からはまだ(幸か不幸か)そう言う人間は出ていませんが、私がアグラッド家の一人娘である事や、(皇室との縁から)皇子との婚約が決まっている事もあって、この儀式には期待を、あるいは、不安を抱かれていました。「由緒正しい我が一族からもし、『赤い血』が生まれてしまった?」と言う風に。誰も彼もが、苛々しているのです。私が朝食の席に座った時も、私に「おはよう」と言うだけで、それ以外の事は何も言いません。屋敷の召使い達すらも、無言で私のコップに飲み物を注ぐ始末です。

 

 私は、その光景に溜め息がでました。その光景自体には「仕方ない」と思えても、気持ちの方はやっぱり晴れません。食堂の窓から見える、外の風景とは反対に曇り空です。まるでこう、私の未来を映しだしているかのように。すべてが、闇に覆われている。子どもの頃はあんなに美味しかった目玉焼きも、今では味気ない料理になっています。私はいつものようにうつむき、皿の上にフォークとナイフを置いて、椅子の上からそっと立ちあがりました。


「ご馳走様でした」


 その返事は当然、無言です。「お粗末様」もなければ、「美味しかった」もありません。食堂の全員が、その沈黙をずっと保っています。テーブルの上から食器類を下げている召使い達も、私の顔をチラチラと見ているだけで、温かな言葉は一つもありませんでした。周りのすべてが、嫌な空気に包まれています。私は、「それ」に耐えられなかった。耐えられなかったら、自分の部屋にすぐさま戻りました。私は部屋の扉を閉めて、椅子の上に座りました。


「はぁ」


 疲れた、今日の朝食をただ食べただけなのに。自分の身体が鉛のように重い。椅子の上から立ちあがった時も、本棚の中から本を取りだすまでは、嫌な疲労感を覚えていました。私は自分の右手に本を持って、椅子の上にまた戻り、机の上に本を置いて、本の頁をゆっくりと開きました。頁の中味は、特に面白くありません。当たり障りのない夢物語が、当たり障りなく描かれているだけです。頁と頁の間に描かれている挿絵も、「本の装飾」と言うよりは、「装飾の誤魔化し」と言う感じでした。「そうでもしなければ、この物語は決して読まれない」と。挿絵の女性が浮かべている笑顔は、読み手に興味よりも虚無を抱かせていました。


 私は、その虚無にうつむきました。その虚無は、今の私です。本の隙間を埋める飾り。家の名誉を背負う生贄。それが私に課せられた運命であり、これらもつづく宿命でもありました。宿命には、どう足掻いても……いえ、それはただの言い訳ですね。本当は「それ」と真逆な事、自分でもゾッとするような事を考えていました。「この運命から解きはなたれたい」と、そう内心で思っていたのです。人間の本質、その悪を憎むかのように。あらゆる理不尽を恨んでいました。この腐りきった世界の事も。


 私は、世界の闇……いえ、人間の闇を憎んでいました。私自身がどんなに見たくなくても、その闇が突然に現れてしまうからです。まるでそう、悪魔のように。悪魔がこの世に現れたかのように。人の尊厳をすっかり奪ってしまう。人間はそれがたとえ自分の仲間だろうと、平気で「それ」を壊してしまいます。私がどんなに「止めてください!」と叫んでも、「それ」を決して止めようとしない。彼等は相手の尊厳を奪うばかりではなく、その生命すらも奪って、地面の上に遺体を放りなげていきました。


 私は、その光景に泣きくずれました。その光景があまりに酷すぎて、地面の上に立っていられなかったのです。私は彼等が人間である事、そして、自分も彼等と同じ人間である事に泣きました。「人間は、魔王よりもずっと醜い」と、そう本能で感じてしまったのです。「私も、そんな人間の一人である」と。私は自分の運命と合わせて、その現実に苦しみました。


「それが」


 人間を嫌いになった理由です。表面上では人間賛美を唱えても、その裏側では人間を恨んでいたのです。彼等が自分の仲間にする仕打ちを、それにただ憤るだけの自分自身を、地獄の業火など生ぬるくなる程に恨んでいました。できる事なら今すぐにでも殺してやりたい。彼等の前に立って、その悪行を罵ってやりたい。私は聖女でも何でもありませんが、彼等の悪行を見る度にどうしても憤ってしまったのです。「目の前の彼等を罰せたら、どんなにいいだろう」と、傲慢な心が止まらなくなる。今だって、その怒りに燃えあがっていますが……。残念な事に「それ」を消す術がありません。ただ、自分の頭を掻きむしるしかないのです。


「悪魔のような人間達の、悪魔のような所業を思いだして」


 私はただ、その記憶に「うわぁああ!」と叫びつづけました。

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