第71話 成り上がりの先、見返すべき人 8

「ど、どうして? 彼と戦っちゃ」


「負けるからに決まっているだろう? 今のお前ではおそらく、そいつには勝てない。この戦いで見せた、『その力を使った』としても。お前は」


「そんなの」


 俺は、マティさんの顔を睨んだ。今の言葉がただ、悔しかったからだ。彼とまだ戦ってもいないのに、そんな事を言われたら流石に怒ってしまう。俺は自分の怒りを抑えて、マティさんの顔をまた睨みつけた。


「彼に会った事があるんですか?」


「ない。ないが、それでも分かるんだ。お前は、絶対に負ける。そいつは、たぶん」


 あれ? どうしたのだ? 突然に苦しみだしたぞ? まさか!


「す、すまない。そいつの事を疑うと、いつもこうなってしまうのだ。自分が何か、そいつに悪い事をしたような」


 やっぱり。マティさんもまた、彼の力に苦しめられていたのだ。彼に対する疑惑や嫌悪、それらを抱いた者だけに現われる、その大いなる呪いに。


「す、すまない」


「い、いえ。俺の仲間も、同じ力を感じていましたから」


「なるほど。では、これは」


「はい、マティさんだけじゃありません」


「そうか。ならば、余計に戦ってはいけない。世界の人間に呪いを掛けられるような、うっ!」


「マティさん!」


「だ、大丈夫だ」


 そうは言うが、やっぱり心配である。彼への恨みが消えたわけではないが、それでも根っこの部分は捨てられなかった。俺は彼の身体を支えて、その身体が倒れないように努めた。


「無理しないでください。貴方は、まだ」


「甘いな」


「え?」


「そう言うところが、だよ。お前は、良くも悪くも甘すぎる」


 俺は、その言葉に眉を寄せた。その言葉が嫌だったわけではない。そこから感じられる気配が、妙に悲しかったからだ。自分がなぜか、悲しみの天国にいるようで。そこに入れない彼が、とても淋しげに思えたからである。彼はどんなに優れた仲間達を揃えても、その孤独を決して拭う事ができない。そんな人間のように思えてしまった。


 俺は、その感覚に胸を痛めた。彼もまた、ある意味で理不尽の犠牲者である。


「そうかも知れません。でも俺は、その甘さを捨てたくない。俺が俺らしくあるためにも」


 マティさんは、その言葉に苦笑した。その言葉はたぶん、マティさんが一番に嫌いな言葉だろうからね。そうしたくなるのも分かる。俺の腕から離れて、マノンさんの隣に戻ったのも、そう言う理由からきたのかも知れなかった。マティさんは彼女の頭を撫でて、彼女に「すまなかったな」と謝った。「お前にも、心配を掛けて」


 マノンさんは、その言葉に首を振った。流石は、彼の恋人である。普通なら「まったく!」と怒るところだが、それをしないどころか、彼の身体を抱きしめて、その背中をゆっくりと撫ではじめた。


「気にしないで。冒険者は、険しさを冒す者。自分から危険な場所に赴く者。貴方はただ、その慣わしに従っただけだから。何も怒る事はない」


「マノン……」


 ああ、やっぱり女神だ。ミュシアとは、別方向の女神。相手に親愛の情を見せて、その傷を癒してしまう女神である。マノンさんは彼の身体をしばらく抱きしめていたが、周りの視線がどうも気になりだしたらしく、別に恥ずかしくなったわけではないが、恋人の身体をゆっくりと放して、俺の顔に視線をそっと移した。


「ゼノン君」


 そう呼ばれるのは本当に久しぶりだったので、その返事に少し戸惑ってしまった。


「ごめんなさいね」


「い、いえ、そんな事は。マノンさんは、何も悪くないし」


 彼女だけは、俺の追放を悲しんでいたから。それ以外の追放も、たぶん。彼女は周りの連中と違って、人間の情をちゃんと持っていた。


「だから!」


「それでも、ごめんなさい」


 涙、か。彼女のそれは、初めて見るけれど。やっぱりくるモノがある。「謝罪」とも「陳謝」とも違う、文字通りの贖罪が。彼女は自分の善意に従って、目の前の俺に頭を下げてくれた。下げてくれたけど、やっぱり辛い。俺が知っている彼女は、いつも綺麗で朗らかだった。


「許して」


 俺は、その言葉にうつむいた。そうする事しかできなかったからだ。彼女の気持ちも分かるが、それでもやっぱり辛い事に変わりはない。俺は両手の拳を握って、自分の気持ちを何とか落ちつけた。


「ごめんなさい。『それ』を許すのは、やっぱりできません」


「そう」


「でも!」


「でも?」


「それでも、『前に進もう』と思います。自分の過去を乗りこえて」


「ゼルデ君」


「マノンさんも、どうか前に進んでください。前にちょっとでも進んで、自分の未来を切りひらいてください。過去の記憶は変えられないけど、未来の頁はまだ白紙だから。だから!」


 マノンさんは、その言葉に微笑んだ。それも、最高の笑みを浮かべて。彼女は両目の涙を拭った後も、嬉しそうな顔で俺の顔を見つづけた。


「ありがとう、ゼルデ君」


「いえ」


 俺は自分の鼻を掻いたが、マティさんの声に「それ」を止められてしまった。「ゼルデ」と言う風にね、俺の興奮をすっかり打ちけしてしまった。


「マティさん?」


「気持ちは、やはり変わらないか?」


「はい。フカザワ・エイスケがどんなに強かろうと、それから逃げるつもりはありません。彼は、冒険者の仲間であると同時に目標でもありますから」


 マティさんは、その言葉に苦笑した。その言葉にたぶん、「やれやれ」と思って。


「そうか。そこまで言うのなら、もう止めはしない。だが」


「分かっています。相手が俺の思う以上にずっと強いだろう事は」


「ならいい。俺はただ、それを支えるだけだ」


 マティさんは俺の前に歩みよって、その俺に握手を求めた。俺も「ニコッ」と笑って、その握手に応えた。俺達は互いの過去を見ながらも、穏やかな顔で互いの手を握りつづけた。

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