第3話 絶望からの出会い 1

 どんな風に歩いたのか? それがまったく思いだせない。夜の森が不気味だったのは覚えているが、その記憶以外はほとんど覚えていなかった。

 

 。感情の抜けおちた出がらし。自分の服が汚れていたのも、森の中で思わず転んでしまったからだろう。朝の光を受けたそれには、汚い泥が付きまくっていた。

 

 俺は、その泥を払わなかった。正確には「払おう」としたが、そうしようとした瞬間に「やっぱり止めよう」と思いなおしたのだ。服の泥を取ったところで、今の状況が良くなるわけではない。ただ、その泥に虚しさを覚えるだけだった。

 

 い。

 

 愛されるのは、その能力に見あった人間だけ。


 

 

 今の自分は、有能とはまったくの対局に立っていた。


「俺はもう、終わりかな?」


 冒険者としても人生も、そして、最強の剣士になる夢も。遙か遠くの夢物語になってしまったのか?


「くっ!」


 俺は真っ暗な気持ちで、河川の水をすくいあげた。「それで顔でも洗おう」と思ったからだ。服の汚れは落とさないにしても、顔の汚れはどうしても気になってしまう。だから、ほとんどやけくそにバシャバシャとやりまくった。


「ふう」


 少しは、落ちついた。いや、落ちついた気になった。顔の汚れが落ちたおかげでね。自分の気持ちに余裕らしき物ができた。


 こいつができれば、頭の方も回る。「これからどうしようか?」とも、考えられる。自分の未来に対しても、それから、未来の内容に対しても。虚ろな輪郭ではあったが、ぼんやりと考える事ができた。


「とりあえず、この書類を出してこないと」


 俺は惨めな気持ちで、森の中をまた歩きはじめた。それから何時間くらい経ったのだろうか? 頭上の空にはまだ太陽が昇っていたが、木々の樹皮に当たる光は淡く、周りの空気もしんと静まりかえっていた。


 俺は「それ」から妙な気配を感じて、腰の剣を思わず抜いてしまった。


「ついていない」


 こんな時にモンスターか? それも、妙な空気を発する程の。


「チッ」


 思わず舌打ちしてしまった。剣の技術がゼロになったわけではないが、それでも弱くなったのは事実である。


 つまりは、苦戦は必至。そいつが雑魚なら問題ないが、こんな気配を発するような奴は、どう考えても強敵に違いなかった。

 

 俺はすべての神経を研ぎすませ、森の中を一歩、一歩、その足音を殺すように進んでいった。

 

 そうやって進んでいった先に待っていたのは、一人の少女。それも、森の泉で水浴びをしている少女だった。少女は泉の縁に服らしき物を置いて、泉の中を気持ちよさそうに泳いでいる。俺が近くの物陰に隠れ、そこから少女の様子をうかがった時も、それに気づかないまま、楽しげな顔で泉の中を泳ぎつづけていた。

 

 俺は、その光景をじっと見はじめた。別に覗き見したかったからではない。彼女が泉の中から身体を出し、それに合わせて飛びちる水しぶきが、何とも言えない不思議な情緒を作っていたからだ。

 

 俺は、その情緒に打ちふるえた。

 

 あの子はたぶん、普通の女の子ではない。

 何か特別な、不思議な魅力を持つ女の子だ。

 俺のような人間とは違う、何か特別の。


「う、ううう」


 思わず唸ったのは、それに脅えたから? それとも、彼女と不意に目が合ってしまったから? そのどちらにしたって、俺が木の裏から思わず出てしまった事には変わりなかった。

 

 俺は、彼女の目を見つめた。

 

 彼女も、俺の目を見つめかえした。

 

 俺達は無言で、相手の目をしばらく見つめつづけた。

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