第10話 どうせなら少し気を引き締めて






『お父さんに聞いてみますね。私もクーちゃんと働いてみたいです』


 なんて事を言われて舞い上がりながら自宅に帰ってきた俺は、母親である脇谷わきたに三枝子みえこが作ってくれた昼食をニヤニヤしながら頂いていた。


 あの後、買い物から戻った公太と愛川達が合流したのを見届けて、俺はそのまま家に帰った。


 三人に昼食を一緒しようと誘われたのだが……お金がない。色々な恋愛指南書を買い漁った影響もあるのか、貯金すら底をつく勢いだ。


 バイトが決まるまで、もしくは次の小遣い日まで我慢せねば。



「なにニヤニヤして、気持ち悪いわよ?」


「……ねぇ母さん。お小遣いの前借――――」

「――――ッチ」


「……なんでもないです」


 我が家のヒエラルキー、その圧倒的頂点に君臨するのが我が母君だ。


 父はそんな居心地の悪い家から逃げるように、長期に渡って単身赴任を敢行している。


 その際、母親もついて行く……との話もでたのだが、俺を理由にお断りを入れた我が父、脇谷わきたに六斗むつと


 優雅な一人暮らしをする父が羨ましい。といっても、母は父の浮気でも心配しているのか、結構な頻度で父の単身赴任先に足を運んでいる。



「そうそう九郎。来週一週間、父さんの所に行ってくるから」

「あっそう? いいね、行ってきなよ! 行ってらっしゃい!」

「まったくこの子は……遊びすぎるんじゃないわよ? ほら」


「…………えっ? 三千円……? 高校生に三千円で一週間生活しろと?」

「十分でしょ? 毎月お小遣いもあげてるし」


「……いやいやいや! 華の高校二年生、これだけじゃ何も――――」

「――――ッチ」

「十分でございます、母上」


 やはり勝てん。舌で空気を弾かれるだけで体と精神が言う事を利かなくなる。


 早々に昼食を食べ終え感謝の言葉を告げた後、俺は逃げるように自室に転がり込んだ。


 さて、時間は沢山あるし……なにをしようかな?



 【恋愛ゲームで確かめたい事が】

 【空手道場に行こうかな】

 【久しぶりに勉強でもしようか】



 はぁい。お待ちしておりました。



 ――――

 ――

 ―



「――――押忍ッ!!」


 昼食を取ったのち、部屋でゴロゴロとゲームなどをしようかとも思ったのだが、急に思い立った俺は空手道場へと足を運んでいた。


 ボケーっとしている時に目に入った空手着、それを見て思ったのよ。少し頑張ろうかなと。


 小学校時代に親に無理やり入会させられた空手道場だけど、特に辞める理由もなくダラダラと通っていた。


 入会した道場が緩かったという事もあり、特に決まった稽古日などがないのも続けられた理由の一つだと思う。


 ダイエット目的で通っているOLもいれば、単純に体を動かしたいだけのリーマンもいるし。来たい時に来て、自由に時間を決められるのもいいと思っている。


 今日は時間が早い事もあってか、小さな子供も多く見られた。



「こんにちは、九郎君」

「北浜先生! 押忍ッ!!」


 この道場の師範である北浜きたはま海二かいじ。とても柔らかい物腰で人気を博している、四十代のお兄さんだ(なぜかオジサンと呼ぶと機嫌が悪くなる)。


 優しい顔をしているのに体は引き締まっていて、子供たちは先生のようになるんだと騒げば、そのお母様たちは北浜先生に熱い視線を送っている。



「今日は早いんだね?」

「今日は学校が始業式で、午前授業だったんっすよ」

「あぁ~もうそんな時期か……早いなぁ」


 どこか遠い目をする四十代のオジサ……お兄さん。きっと遠い過去の青春を思い出している事だろう。


「今日はどうするんだい? 君はもうベテランだから、特に指示は出さないけど」

「そっすね、体を作ったら……組手しようかと思います」


 組手と言う言葉に、僅かに驚きを見せる北浜先生。最近はずっと筋トレや型の練習ばかりで、組手はほとんどやらなかった。


 大会にも出た事もないし、恐らく先生も俺の事をやる気のない生徒として見ていたと思う。


 やる気とは違うのかもしれないけど、せっかく通っているんだし、少し気を引き締めてみようとは思った。



「うん、いいと思うよ。九郎君は基本が出来ているし、組手試合をやってみるかい?」

「えと、今日はとりあえず……約束組手で」

「そっか、分かった。僕は子供教室の指導があるから今日は相手できないけど、頑張りなさい」

「押ッ忍!!」



 その後、ストレッチなどを入念に行ったのち、組手の相手を募集した。


 子供たちの可愛らしい掛け声を聞きながら、相手をしてくれる人を見つけて稽古に励む。


 今日はどこかいつもと違う充実感に包まれたのは、気のせいではないだろう。



 ――――

 ――

 ―



 気持ちのいい汗を流す事、数時間。辺りはすっかり暗くなっていた。


 高校二年初日から飛ばし過ぎたかもしれない。明日から普通に授業が始まると言うのにな。


 そう言えば一年生の時は、始業式の次の日はオリエンテーションとかがあったと思うけど、二年生ではないみたいだ。


 ウチって微妙に進学校なせいなのだろうか? 正直俺は受かると思っていなかった。落ちて滑り止めのどこかに行くのだと。


 受かったら受かったで周りのレベルが高いから、学年順位は酷い事になっているんだけどね。



「――――さて、帰るか」


「おお!? 脇谷じゃないか! おーーい!!」


 道場を出て心地よい夜風を体に受けていると、急に声を掛けられた。


 今日、何回コイツに会うのだろう? 道場に来る事を選択したのは俺だが、このエンカウント率はもはや異常である。


 そこにはジャージ姿の主人公、酒神公太の姿があった。

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