子ども部屋おじさんの兄弟げんか

「ミカドさん、勝負は決まったんじゃないんですか?」

「ニーニャさん、ヴィータさん。悪いけど、先に帰ってて」


 ニーニャは、俺をじいっと見た。深紫に縁どられた紺色の瞳は、俺の魂に深く潜り込もうとでもするみたいだった。


「丘の下に、馬車を置いてきました。そこで、待ってます」

「そっか」

「はい。待ってます」

「……ありがとね」


 ニーニャが、なんか、下に向けたてのひらを上下させた。しゃがめよ。みたいなジェスチャーだったので、素直にしゃがんでみると、なでられた。


「えー、そう来たか」

「実際やぶさかでないんでしょう?」

「うん、まあね。実際ね」


 俺はヘラヘラした。けっこう、ちゃんとできてたんじゃない?


「じゃあ行ってくるよ。すぐに戻る」

「行ってらっしゃい、ミカドさん」


 ニーニャは手を振って、俺を見送った。



 練兵場は、記憶よりもはるかに小さかった。

 打ち込み台も、切り石の土台が地面からぴょこんと突き出しているだけだった。

 まあ、たまたま賦役で荘館にいた使用人が、父さんといっしょに素人仕事で庭を均しただけのものだしね。


 八歳の俺には、無限の広さがあるように思えたんだけどな。


 兄ちゃんは腕組みし、俺を待っていた。

 腰には、一振りの剣を帯びていた。


「“悪疫ダークプレイグ”。そっか、もう兄ちゃんのものだもんね」


 星辰剣士ゾディアックフェンサーの主器たる綵剣あやつるぎ、わけても工房の最高傑作と名高い“悪疫”。

 もとはローヌ妃の結納品として、諸邦からアルヴァティアにもたらされたものだという。それがどういう経緯かストロース家に下賜され、当主の証となった。


「僕にはふさわしくないんだろ?」


 兄ちゃんは“悪疫”を抜き放った。


 ステンドグラスを切り出したような、蜻蛉とんぼはねのような、星辰を閉じ込めたような……綵剣は、そんなふうに形容される。

 純ミスリルのフレームとリムで瑠璃ラピスラズリの薄片を接いだ、青地に金と白が散る刃。

 柄は純ミスリルの削り出し、グリップには鍛造のミスリル金糸が巻かれている。

 

 この武器は美しく、剣呑で、人を狂気に誘う艶がある。


「いいよ。やろうか」

「素手で挑むつもりか? どこまでもふざけたやつだな」


 兄ちゃんは一振りの剣をこっちに向かって蹴り滑らせた。

 拾い上げ、抜く。古ぼけてはいるが、よく手入れされたロングソードだった。


「ありがと」


 兄ちゃんは両手に握った“悪疫”を垂直に立て、やや前傾する屋根構えフォンターク

 向き合う俺も、同じ姿勢を取る。


 “悪疫”には武器特性プロパティが付与されている。その効果は、斬りつけた相手のバフ無効化。

 星辰剣士ゾディアックフェンサーの主器でありながら、ジョブをメタるような武器特性は悪疫の名にふさわしい。うっかり自分を切ってしまおうものなら、護符チャームによる強化が失われるのだ。

 とはいえ、兄ちゃんのジョブは父さんと同じく竜騎兵ドラグーン綵剣あやつるぎの能力を十全に引き出すことはできないだろう。


 つまり、護符チャームさえ点さなければ、ただの剣を相手にしているのと同じ。普通に打ち合えばいい。


 兄ちゃんが、強く、踏み込む。

 斬り下ろし。早い。下から出した刃で受ける。手が痺れる。剛剣だ。


 一合、二合。切り結ぶ。刃がぶつかって火花が散り、焦げた臭いが鼻を刺す。

 俺の打ち下ろしを受けた兄ちゃんが、刃を寝かせ、滑らせながら踏み込む。俺の顔面めがけて、殺意のこもった切っ先が急接近する。俺は後傾しながらの前蹴りで、突きをかわしながら兄ちゃんを押し離した。


「足癖の悪い……!」


 兄ちゃんは剣を顔のすぐ脇まで上げ、刃を倒して刃先を俺に向けた。雄牛オックス、カウンター狙いの構え。打ち合いは分が悪いと判断したのだろう。


 俺は屋根構えフォンタークのまま無造作に突っかけ、刃先を軽く揺らした。フェイントに反応した兄ちゃんが水平斬りツベルクハウを放つ。俺は斬撃を潜り抜け、柄頭で兄ちゃんの顎を打ち上げた。


「くがっ、あっ」


 後退する兄ちゃんを雄牛オックスに構えて追い、突きを繰り出す。兄ちゃんは斬り上げクルンプハウで突きを弾き上げながらステップ、俺の体の横に遷移、は、読めてた。前に出た兄ちゃんの右腿に左サイドキックをぶちこみ、足を止める。蹴り足を跳ね上げ、兄ちゃんの顎を撃ち抜く。

 兄ちゃんは、吹っ飛んで尻もちをついた。


 数合も切り結べば、相手の実力は分かる。

 実直な努力を積み重ねてきたことが、よく分かる剣だった。

 攻防を数手先まで読んでいるし、腕力も技術もある。


 でも、それだけだった。


「何を止まっている!」


 基本に忠実すぎる、屋根構えフォンタークからの斬り下ろしオーバーハウ

 俺は、しゃがんだ。


「は? うわッ!?」


 もうちょっと正確に言うと、兄ちゃんの脛に肩をぶつけるようにしゃがんだ。


 兄ちゃんは俺に乗り上げ、ごろんと一回転し、背中から地面に落ちた。


 カーネイ流制圧術、岩蛙イワガエル。こっちの上半身に意識がいった相手には、すこぶる有効な技だ。 


「ふざけ――」


 起き上がろうとした兄ちゃんの顔面が、ちょうどいい位置にある。

 なににちょうどいいって、足の甲をぶちこむのにちょうどいい位置だ。


 俺は思いっきり足を振りぬいた。

 鼻骨が横滑りして潰れる、ぐじっという音が靴越しに伝わった。人体を壊すときの、一生忘れられないような気持ち悪い感覚だった。


 兄ちゃんは鼻血を噴きながらのけぞり、仰向けにぶっ倒れた。俺は残心し、でも兄ちゃんが立ち上がる気配はなかった。

 いつまでもなかった。

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