子ども部屋おじさんの家族会議

 俺は部屋をきょろきょろ見回し、どっかその辺のどうでもいいところに落ち着いた。


「巡見に……パラクスと、行っていた」


 父さんはぼそっと言った。


「そっか。みんなどうだった?」

「普請役に、才能のある子がいてな」


 父さんは張り出し窓のところまで歩いて行って、外を眺めた。


「それで、壁画の修復を頼もうかと……」

「ホールの? なに描いてあるか分かんないしね、あれ」


 俺は木剣を手の中でもてあそびながら、ぼそぼそとしゃべった。


「ああ。そうだな。私が子どもの頃から、すでにそうだった」


 俺たちは回り道するみたいな会話をとぎれとぎれに続けた。お互いに、目を合わせるどころか相手の姿も見なかった。


「お父さま、人払いは済ませました」

「ありがとう、パラクス。おまえも、入ってこい」

「はい」


 後ろ手に戸を閉めた兄ちゃんは、鏡台にどかっと腰を下ろし、爪先に触れた椅子を蹴倒した。


「オマエ、なんのつもりで帰ってきた? ランディはどうしてオマエを入れたんだ!」

「まあなんか、すんなり通してくれたよ」

「愚かな老人め……!」

「そう言うな、パラクス。おまえもミカドも、ランディの世話になったろう。私たちの、ささやかな練兵場で」


 兄ちゃんは歯を食いしばってうめき、鏡台に拳を振り下ろした。


「そう、それで、その。話があってさ。来たんだけど」


 俺が口を開くと、兄ちゃんは発作的に口を開き、父さんをちらっと見て黙った。


「ニーニャさんのさ」

「殿下だ! 不忠者が!」

「……ニーニャ殿下のさ」


 兄ちゃんに怒鳴られ、俺は訂正した。


「ニーニャ殿下のところに、今いるんだ。知ってると思うけど」


 どう話せばいいんだろう。本当に全ては今更で、俺が家族に対してなんらかえらそうに言えることなんて一つもないんだよ。


「……あー、まいったな。ちょっと待ってね。だから、その、オージュ師匠……ルッツェン公が、宰相になっちゃったじゃん」

「それがどうした? オマエの師匠は国賊だよ」

「うん、そうだね。ほんとそう思ったよ、兄ちゃん。だから、なんだろうな。裏切られたって思っちゃったんだよね、そのとき。それ、すごくキツいなって。オージュ師匠にどんな理由があるにせよ、しんどいなって」


 父さんは一言も口をきかず、張り出し窓にもたれ、壁を見ていた。


「それでさ、ニーニャさんに、あごめん、殿下に、同じ思いをさせたくないなって思ったんだ、そのとき」

「なんだと?」


 兄ちゃんが鏡台から飛び降り、俺に向かってずんずん歩いてきた。


「僕たちが殿下の御心を踏みにじっていると、そう言いたいのか!?」

「そうじゃなかったらいいなって言いたいんだよ、兄ちゃん」


 胸倉をつかまれたまま俺は答えた。


「冗談じゃない!」


 突き飛ばされて、背中を壁にぶつけた。思わず壁に手を添えると、傷痕に触れた。


「僕たちをオマエやハンビットやオージュ・カーネイと一緒にするな!」

「そうだね。でも……」


 父さんの深いため息が、俺たちの会話を遮った。


 俺が子ども部屋おじさんになってから二年目――いやまだあの頃十代だったか、じゃあ子ども部屋お兄さんになってから二年目――あたりで、よく聞くようになったため息だった。


「頼むから、もう、私に期待させないでくれ」


 父さんはこめかみを揉みながら、細く震える声でうめくように言った。


「殿下と共に、グールを払ったそうだな」

「うん、まあ」

「なぜ、それを、私の下でやってくれなかった」

「それは……」


 何も言えないよそんなの。何言ったって言い訳だもん。


「お父さま! ストロースには僕がいます!」

「パラクス」


 俺に対するのとそっくり同じため息で、父さんは兄ちゃんの懇願するような叫びを一蹴した。


 兄ちゃんはまっさおに青ざめて、唇をふるわせた。


「僕が……」


 兄ちゃんはすがるように父さんを見た。父さんは兄ちゃんを見ていなかった。なにも見ていなかった。


「僕が、妾腹めかけばらだからですか?」


 父さんは答えなかった。

 兄ちゃんの目が、涙で潤んだ。


「そう、ですか」


 かすれ声で一言口にして、兄ちゃんはそのまま、部屋を出ていった。

 俺と父さんだけが、子ども部屋に残った。


「おまえの武があれば、ストロース家は天下に轟く大宰相となっていただろうな。公爵家たるも、夢ではなかった」


 兄ちゃんが飛び出していったというのに、父さんは何事もなく話を続けた。


「おまえにしがみつくあの小娘を見たとき、わが目を疑ったよ。皮肉なことだ。私はニーニャを、いずれおまえになびかせようとしていた。それが、こんな形で為されようとはな」


 ずぐんと、鼓動が冷たく鈍かった。心臓が鉛にでもなったように重かった。


「尽くしたよ。おまえに注いだ愛情のように、ニーニャに尽くした。あれがブラドーの血を引いているから」

「どうして……父さん」

「分かるだろう」


 南朝征伐で、冬戦争で、ストロースはすり減った。先王アールヴを引き立てたこの家が、ハンビットの治世で浮き上がることはないだろう。

 だから父さんは、一発逆転を夢見たのだ。


「私には、それしかなかった。ブラドーを再興し、玉座に就いてもらう以外には……時間と金の限りを、あの小娘に使った。帝国への、ハンビットへの叛意を吹き込んだ。やり方も、教えたよ。裏金うらがね作りを、あれはうまくやっていただろう?」


 でっちあげの宗教騎士団に寄進した荘園、というていのモッタ村。あれも父さんの差し金だったのだ。


「親帝国派から、あれを庇った。反帝国派と、あれを繋いだ。あの愚かな子は、私を忠義者だと思っているだろう。あるいは、父親代わりと」


 もうこれ以上なにも聞きたくなかった。十分だった。でも父さんは、懺悔のように口にしていた。ニーニャのことを、あれと、小娘と、露悪的に呼んだ。

 決して、決して、父さんは卑怯者なんかじゃなかった。実直で、子ども思いで、莞爾と笑う人だった。

 自分に鞭打つような、裁かれたがっているような父さんの言葉を、だから俺は、聞き届けなきゃならなかった。

 

「建国から続く大侯爵家を、私の代ですり潰すわけにはいかない。汚名ならば、いくらでも被ろう。私には、それしかなかったのだ」


 父さんはようやく俺を見た。


「ミカド、長い眠りから覚めたのであれば、戻ってきてくれ。私の命がある内に、私の作ったニーニャを使って、ストロース家を引き立ててくれ」


 俺はきつく目を閉じた。

 かたん、と、扉の外でかすかに音がした。


「ニーニャさん?」


 俺は部屋をいっぺんに駆け抜けて扉を開いた。

 

 ニーニャが、いた。

 腰をぺたんと落として、まっしろな顔で、ヴィータに後ろから抱かれていた。

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