子ども部屋おじさんの子ども部屋

 AGI強化の神鳴カンナリを二つ点せば、馬の襲歩ギャロップにも負けない速度で走れる。

 むちゃくちゃ疲れるからあんまりやりたくないんだけど、馬を勝手に借りるわけにもいかないからなあ。


 そんなわけで、夜更けに徒歩で出発した俺は、朝までかかってけっこうへろへろになりながら、懐かしの我が家に戻ってきた。


 丘の下から見上げる荘館は、なんともどんくさいたたずまいだ。

 樽みたいな形のでかくてずんぐりした円塔から、ひょっこり顔を出す木の芽みたいな小塔。

 とんがり帽子みたいなふざけた櫓。

 このごちゃついた石造の城壁は、めちゃくちゃ古い時代のものらしい。


 砂利敷きの道をてくてく上がっていくと、笑っちゃうほど大げさな楼門が出迎えてくれる。なんていうか、二本の腕をがっちり折り畳んで打撃から顔を守る構えがあるんだけど、そんな感じ。

 

 ストロース家の古き良き時代に、ご先祖様が気合入れて作ったんだろう。今となっては普請のための人員を大量に召し抱えることもできず、かといって領民に無茶な賦役ふえきをやらせれば即座に逃散するしで、補修もままならない。


「お、ランディじゃん。おっすー」


 城門に見知った顔を見かけ、俺は声をかけた。小杖で武装した老門番は、へらへらしながら近づく俺に気付くと、あからさまなにやにや笑いを浮かべた。


「ミカド! 廃嫡されたクソガキめが、なにしに来た!」


 俺をがばっと抱きしめ、背中をばんばん叩いてくる。


「いてーよ。へへへ」

「ばかすけが、心配させやがって」

「ごめんて。父さんと兄ちゃんいる?」

「ご巡見の最中だが、なに、じき戻ってこられるよ。おまえが来たと知ったら、なんだ、その……ぶっとばされるかもなあ!」


 ランディは爆笑し、俺の肩をばんばん叩いた。だから痛いって。


「それで済めばいいけどね」

「ねちっこいとこあるからなあ。ストロースの血だよ。クロードにもパラクスにも、おまえさんにも流れてる」

「だよねえ」

「何をしに来たのかは知らんが、言葉を尽くせよ。おまえさんらにゃいっつもそれが足りん。男所帯だからだな」

「いやーほんとにね、困っちゃうもんだね」


 落とし格子が、がたがたぎしぎし揺れながらゆっくり持ち上がっていった。


「ありがとね、ランディ。じゃー行ってくる」

「おーう。ほどほどになあ、“尖風”」


 俺は苦笑と怒りを半々に混ぜた顔をランディに向け、入城した。会うやつ全員イジってくるんだもんな。



 庭園は草がぼうぼうに茂って、パイン材の四阿あずまやは白い塗装があらかたはげていた。

 長年ここで暮らしてたから荒れ放題でもこんなもんかと思ってたけど、ブラドーの、手入れの行き届いた荘館に住んだ後ではえらく物悲しく見えた。


 四阿のテーブルに積もった埃と葉っぱとよく分からんごみを、手で払う。積年の汚れは天面にしっかりこびりつき、こすったぐらいじゃ落ちなかった。


 その昔、天守塔だったらしい石積みの遺構のすぐ脇に、ささやかな館がちょこんと建っている。それがストロースの荘館だった。


「ただいまー」


 勝手に扉を押し開ける。

 がらんとした吹き抜けの大広間。

 壁いっぱいに、もはやモチーフがなんだか分からない、かすれたフレスコ画。

 鉛のリムで何度も接いだガラス窓から差し込む光に、埃がきらきらしている。


 人気ひとけは、ない。いつもこんなもんだ。


 アルヴァティアでは伝統的に、荘館使用人として荘園に賦役を課す。どういうことかというと、そこらの村から適当に人員をみつくろい、ただ働きさせる。

 それはそれで、うまく回っている。そのぶん年貢に控除があったり、領主と領民の間に情が湧いたりするからだ。

 

 この伝統の問題は、国家が衰退した上に領主が貧乏になると、誰も館の世話をしてくれなくなる、という点にある。小作人は王権を呑んでかかるし、王権に依拠した領主の力もナメる。さっきも言ったけど、無茶な賦役を課しでもしたら一瞬でばっくれるようになるわけだ。


 そんなこんなで、ストロースの荘館には最小限の使用人しかいない。おまけに役立たずの子ども部屋おじさんまで抱えてたわけだから、父さんと兄ちゃんの心痛たるや、だよな。どんどんみじめな気持ちになってきた。


 しばらく待ったけど、誰も来なかった。俺はなんだか後ろめたい気分で階段を昇った。ひとつの部屋が、魔力の流れみたいに、強く俺を吸い寄せていた。


 扉を開ける。


 天蓋付きのベッド、鏡台、張り出し窓、座り心地の悪い椅子。

 無造作に転がる、小さな木剣。

 なにも変わっていない。


 俺の子ども部屋は、出ていったときそのままだった。


 漆喰壁に斜めに走る傷を、撫でてみる。

 部屋の中で剣を振り回したとき、付けてしまった傷だ。


 父さんは、泣きながら謝り倒す俺に、莞爾と笑ってみせた。

 そう、莞爾って言葉がよく似合う笑い方だった。


 ――この太刀筋を、次は敵に見舞ってやれ。


 口数の少ない人だったけど、言葉はいつも適切だった。


 ――おまえとパラクスには、練兵場れんぺいじょうが必要だな。


 父さんは領民といっしょに庭を均し、剣の打ち込み台まで自作した。

 練兵場っていう言葉に、胸がどきどきしたのをよく覚えている。


 ――屋根構えフォンターク斬り下ろしオーバーハウ。荷重は爪先に。深く踏み込む。そうだ、ミカド。打ち込んでみろ。


 木剣を拾う。


「フォンターク」


 構える。


「オーバーハウ」


 踏み込み、振り下ろす。

 荷重は爪先に。


 竜騎兵ドラグーンの父さんに、剣術の心得があったわけじゃない。基礎中の基礎を教えてもらっただけだ。

 それでも七歳の俺にとって、剣を振り、打ち合うことは世界一の娯楽だった。


 ――交差バインド巻込ヴィンデン。常に遷移せよ、だ。立ち位置が、勝敗を分ける。


 どうしてこんなに素敵なことをしてくれるんだろうって、俺は父さんのことが不思議だった。


「バインド、ヴィンデン――」

「体捌きが甘いな」


 声がして、俺はびくっと跳び上がった。


「常に遷移せよ、だ」

「立ち位置が勝敗を分ける、だったね」


 父さんが、扉のすぐ脇、壁にもたれかかっていた。


「荷重は爪先に」

「深く踏み込む。覚えてるよ、父さん」


 俺が剣を振るのを、父さんは黙って眺めていた。


「ミカド!?」


 神経質な絶叫がして、俺は演武の手を止めた。


「オマエ、何をしに――」

「パラクス。人払いを」


 怒鳴ろうとした兄ちゃんに、父さんは声をかけた。


「しかし、お父さま!」


 兄ちゃんが食ってかかり、父さんはため息をついた。


「頼む、パラクス」

「……はい」


 拳をぎりぎり握りしめ、兄ちゃんは去っていった。

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