子ども部屋おじさんの冬戦争

「ごめん姫ぴ、ちょっとキツい話すんね」


 ヴィータはひとつ前置きしてから、言葉を探した。


「ローヌ陛下の王妃親征って、冬戦争のほんとに末期ね。北部のヴィントールを取り返そうと、“深手ガッシュ”を手に、出陣したんだってさ」


 “輪転姫ロタリンセス”ローヌ・ブラドーは、王妃でありながら、すぐれた魔闘士マギアトルでもあった。彼女の主器たる拳甲、“深手”は、出陣の朝も美しく輝いたという。


「まーね、誰がどう見てもヤケクソだったよね。他に士気を鼓舞する方法なかったんでしょ。王妃は自分で選んだ六百人を直卒して、戦って、あっという間に蹴散らされて……」


 ニーニャが、見る見るうちにうなだれていった。ヴィータは逡巡の間を置いた。


「ローヌ妃は山岳戦に持ち込んだ。“輪転姫ロタリンセス”の“深手ガッシュ”と、おじぴの綵剣あやつるぎ悪疫ダークプレイグ”なら、中央部に進出しようとする伯国軍を遅滞できるって踏んだんだね。死出の旅だ」

「そこで、お母さんは、死んだんですね」

「そ。死んだ。雪が降り始めるころだったって、ウチは聞いてる」


 ニーニャは冬を想ったのか、体を震わせた。


「犠牲の多寡はあれだけど、遅滞としては成功だったよね。伯国軍は侵攻を止めてヴィントールに陣を敷いた」

冬営とうえいですね」

「まー、春を待ってまた攻められたら今度こそ終わりっしょって話だよね。でも、そうはならなかった」


 ある雪の朝、凄まじい拷問の痕を身に刻んだ一人の兵士が、五百人規模の冬営地に転がり込んだ。兵士は、こう言い残して息絶えた。


――氷原に、五連星いづらぼしが……


 その冬営地もまた、昼までに壊滅した。突風が駆け抜けたかと思えば、血しぶきが舞った。一面に広がった血と臓物と肉は新雪を溶かし、立ち込める蒸気が五つ並んだ星辰の光を乱反射させた。


 ただ一人の生き残りは、氷原の五連星を前にして、たちまち悟った。

 あえて残されたのだと。

 これから拷問され、情報を引きずり出されるのだ。その上で、伝令として走らされるのだ。恐怖をまき散らすための保菌者として残されたのだ。

 選ばれた不運を、兵士は呪った。


「これ、伯国側の証言ね。この人終戦後に帰国できたんだってさ、拷問のせいで半身不随だったらしいけど。おじぴが気を回したのかもね。一人ぐらい生かさないと、伝わんないから」

「つた、わる……?」

「憎悪が」


 ヴィータは静かに言った。


「“氷原の五連星いづらぼし”は冬営地を襲い続けた。一日で三千人殺して、そこで、止まった。伯国はそれで、縮み上がっちゃったよね。星辰が、明日には自分とこの空に輝くんじゃねーかって、完全に継戦意欲を失った。そりゃそうじゃんね。雪崩みたいなもんでしょ、そんなの。冬営地を順番に襲って一日で三千人殺すって、どんなジョブ持ちにもできねーし普通」


 一方でアルヴァティアは、湧いた。

 ローヌの死に打ちひしがれていた国民は、北部から脱出した捕虜の証言に歓喜した。

 捕虜は、こう伝えた。


――ミカド・ストロースが、春の尖風ミストラルのように戦場を駆け抜けていった。


 このときからミカドは、敵方に“氷原の五連星いづらぼし”と、味方に“尖風”と呼ばれた。


「春になって、カルタン伯国は講和を持ち掛けた。なんかその頃にはおじぴも消息不明だったから、あっち有利な条件をぶっこまれちゃったんだね。アールヴの退位と幽閉、ハンビットの即位。あれやこれやの臨時課税。おじぴが戦争を終わらせたって、そういうことなんだよ」


 馬車は菩提樹の森を突っ切る街道に差し掛かっていた。


「そろそろおじぴのこと、怖くなってきた? ウチはアルヴァティア人じゃねーしさ、特にだよ。調練済みの騎兵千騎が勝手にだーって走ってったらえぐいっしょ? いま起きてるのってそういうこと」


 梢のつくる影の中で、ニーニャはどっと降ってきた情報を処理しようとしばらく無言でいた。


「わたし……冬戦争って名前、おかしいなってずっと思ってたんです。だって冬に戦争ってできませんよね?」


 がたんと馬車が跳ねた。ストロースの荘館は近く、それでも道は荒れていた。


「ミカドさんが、たったひとりの主攻だったんですね」

「ん、そだね。おじぴが冬に暴れまわって、だから、冬戦争なのかもね」


 森が切れて、川沿いの平地にとうもろこし畑が広がっていた。遠い丘の放牧地に、わずかな数の馬が憩っていた。


「捕まえらんなかったね、おじぴ」


 ヴィータはため息をついた。


「最初からそんなつもりはありませんよ、ヴィータ」

「姫ぴ、まだそんな……」

「ミカドさんがどんな人で、クロードおじさんとパラクスのことをどう思っていて、ストロース家がどんな状況でも」


 ニーニャは藍色の長髪を結い上げて、連なる丘の先をまなざした。


「傷ついているのを、見たんです。クロードおじさんもミカドさんも、お互い、言いたいことを言えなくなっていたんです」


 深紫に縁どられた紺色の瞳、その視線の先には、ストロース家の荘館がある。


「あのね、ヴィータ。わたしにとっては、そっちのほうがずっと重要なことなんですよ」

「あーあーあーあー」


 ヴィータは呆れてうめき、それから苦笑した。


「姫ぴならそっか」

「そうです。諦めてください」

「ま、死にに行くわけじゃないしね今回は」

「なんですか今回はって。毎回そうですよ。結果として、その、こう、想定外な感じになっちゃうことが稀にあったりなかったりするだけです」

「だから心配すんだって! させんなし! 人に! 心配を!」

「ご、ごめんなさい……」


 ニーニャが冗談めかして大げさに謝り、それで二人は、声をあげて笑った。


「お家騒動に首を突っ込もっか。作戦目標は? クロぴとおじぴの仲直りでいい?」


 首肯したニーニャは、抜き放った指揮杖を丘の先に向けた。


「さあ、俗悪にいきますよ」

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