すみれの臭い

 なにをどうしたものやら、俺はいつの間にやら馬車キャリッジの中にいて、セヴァンまでの道を進んでいた。


「ミカド殿とルッツェン公の間柄は、計り知れませんが……」

「でも本当にあのときは、ルッツェン公のところまで飛び出していくんじゃないかって」

「あー」


 俺があーって言うと、ニーニャとパールは気まずそうに黙った。


「寝てたわ俺」

「そうみたいですね」


 で、沈黙。

 まあそうなるよね。


 なんだろうこれは、話した方がいいよね絶対。

 俺のせいで信じられないぐらい気まずくなってるし。


「けっこう、その、懐いてたんだよね。九歳で魔学院アンスティツに送られてさ俺、そっからずっと面倒見てもらってたし」


 しかしまあ、どういう風に語ったらいいもんかね。


「なんだろう父親代わりっていうか。まあでもあの人ほら長生きじゃん、こっちの思春期とかにぜんぜん配慮がなくてさ。めっちゃ頭撫でてくるんだよな事あるごとに。俺もう十五なんですけど? みたいなね。そういうとこあったよね」


 意味あるかなこの語り、なんか効いてない気がするな。俺としては、いや心配いらないっすよ、ぐらいのところに着地したいんだけど。


「そんで、ほら、びっくりしちゃって。政治に興味ないスタンスだったしねあの人。俺もそういうとこ受け継いでると思うんだけどさ。うん、まあ、そう、だから……ちょっとびっくりしたんだよ。本当にそれだけだから」


 ニーニャさんもパールも、気まずい顔のままだ。心配いらないっすよの流れにならない。


「いろいろ、なんだろ、教えてもらったから。いやでも、悪い人じゃないんだよぜんぜん。俺の戦い方も師匠に影響受けててさ。ほら地侍のダン・パラークシに褒められたじゃん? 襲ってきたやつらをあんま傷つけなかったって。あれオージュ師匠の仕込みだから。まあ実質あれだよね、師匠が傷つけなかったってことだよね」


 やばいやばいやばい、なんかおかしなこと言ってるよね俺。それは分かってるのにまったく方向修正ができない。


「まあつまりなにが言いたいかっていうと――」


 俺の言葉は途中で止まった。

 ニーニャが、俺の頭に手を置いたからだ。


「ミカドさん……」


 困った顔で見られちゃった。

 いやまいったね。


「辛いって、ちゃんと言ってください」


 ニーニャは俺の頭をぐっと引き寄せて胸に押しつけた。


「あー……」


 あばらに、俺の頬骨が当たっていた。

 どくどくどくって、すごいスピードでニーニャの心臓が鳴っていた。

 服越しに湿度と体温があった。


「…………なんなんだよお、師匠」


 俺の口から、ぼろっと、かたまりみたいな本音が落ちた。

 ニーニャは締めつけるみたいな強さで俺の頭を抱いた。


「おかしいじゃん。戦争は嫌いだって、人殺しも嫌いだって、一揆もさあ、村人のこと救ってたじゃん。なにしてんだよ師匠、おかしいって。あんないかれた人殺しの宰相なんかやって、じゃあセヴァンのことはなんだったんだよ? わけわかんねえよあいつほんと」


 自分でぎょっとしちゃうぐらいするすると、俺は不満の全部をぶちまけていた。

 ニーニャはだまって聞いていた。


 湖水地方に陽が落ちて、馬車はカンテラを揺らしながらごとごとごとごと、いやにのろくさく街道を進んでいった。





「コナトゥス」


 明るい夜闇に玉虫色の光が灯った。

 ルッツェン公爵オージュ・カーネイの主器、“烏滸アブサーディティ”の光だった。


 かすかに風が吹き、中庭の砂ぼこりを巻き上げた。オージュは目を閉じた。


「ルッツェン公……」


 呼びかけられ、目を開く。

 ブザンバルが、なかば呆然と、オージュを見下ろしていた。


「速やかにアルヴァティアからの脱出を、ブザンバルくん」


 オージュはブザンバルにマントを押し付けた。


「湖畔に舟を用意しました。詳しい話は、船頭に」

「貴公は……」

「フルン川を下った先に、私の知己を待たせています。君のご家族も、そちらに」


 問うようなブザンバルの呼びかけに応じず、オージュは、うなだれて言葉をつづけた。


「……感謝します、カーネイ先生」


 一礼したブザンバルは、マントを羽織り、中庭を出ていった。


「先生、ですか」


 呟いて、オージュは自嘲の笑みを浮かべた。かつてブザンバルは、魔学院アンスティツで国史研究をしていた。はるか昔、ごく一時期のことだ。


「先生。師匠――」

「宰相だろ?」


 細くなまぬるい腕が、肩に回される。鼻を打つすみれの臭いは、髪粉のものだ。

 だからそれは、ハンビットの臭いだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る