宰相
「う、ぐ、うあ……だ、れ、か」
バルタンは血を吐きながら地面を這いずった。即死できるほどの高さではなかったのだ。
ニーニャが、俺の腕にしがみついた。てのひらは、指先は、ひどく冷たかった。
「お前らもさァ、分かってくれたかなァ? 生かさず殺さずって、こういうことなんだよな! へ、へ、へ!」
哄笑をばらまきながら、ハンビットはゆっくりと中庭に下りてきた。
「よォし、前座はこンなところか? あ、待て待て待て。兵士君、バルタン君はそのままでいいぜ」
うめくバルタンを運ぼうとした兵士に、ハンビットは声をかけた。兵士は冷や汗を垂らしながら頷くと、中庭から出ていった。
「さァ、始めようぜ。素敵なゲストを呼んだンだよなァ俺。がんばり屋さんだろ? 楽しむためには手を抜かねェんだ。自分で言うのもなんだけど」
ハンビットが杖を振り上げ、俺たちは思わず、その軌跡を追った。
その先に、一人のエルフが立っていた。
無造作に縛った緑の長髪。
くたくたでぶかぶかのだらしないダブレット。
純ミスリルの、玉虫色に煌めく
「紹介するぜ。ルッツェン公爵、オージュ・カーネイだ」
師匠が、立っていた。
「今日からオージュ君には、アルヴァティアの宰相をやってもらう。おい、びっくりしたか? へ、へ、へ! “ルッツェンの
師匠は、平伏した。
「御身のために、私の全てを捧げます」
「へ、へ、へ! だってよ! 嘘だろうけどな!」
俺の頭は完全に停止していた。
「ミカドさん」
ニーニャの声で、我に返った。
「え? あ……ニーニャさん?」
「なにを、しようとしたんですか」
ニーニャはまっさおな顔だった。
「なにって、師匠いんなーと思って、挨拶、うん、そうだな、挨拶するつもりだったんだけど」
ニーニャは、なんか、俺にぎゅって抱きついた。
「ミカドさん……」
で、なんか、しんどそうな顔をした。
なんだろ、どうしちゃったんだろうニーニャ。
しんどい記憶でもぶり返した?
「でさァ! そう、宰相に仕事をしてもらおうって、それが今日のメインイベントなわけよ。前座で場もあったまったし」
バルタンはまだ地面をのたうってる。
「よォーし、出てきていいぜ」
ハンビットが杖で床を叩いた。
それから、またも後ろ手に縛られた、またもおっさんが現れた。
そういう繰り返しネタなのねと思って俺は笑った。
ニーニャはよりいっそう強く俺をぎゅううって抱きしめた。
「ゾートーン伯爵……じゃなかった、どこだっけ? 忘れたけど、ブザンバル君だ! 北の大地からわざわざお越しいただいたぜ。悪ィなァ遠いとこ」
ブザンバル。もともと、ノブローの主人だった人。
「ブザンバル君はさァ本当に、湖水地方の名領主だったわけよ。知ってるだろ? 俺たちがうまいワイン飲めてるのはさァ、ブザンバル君のおかげだったのよ。それをそこのバルタン君は、むちゃくちゃにしようとしたわけだけどさァ。俺が
ブザンバルは静かに立っていた。ミィエル湖みたいに瞳は凪いでいた。
「いやどうも、一揆を扇動したのがブザンバル君だって話が出てるらしいのよ。や、噂よ? あくまで。俺ってこう見えて意外に聡明だから、そういうのすぐに信じないことにしてンだ。へ、へ、へ」
ハンビットはブザンバルの肩に手を置いた。
「でもさァ、同時にこうも思うわけよ。これ、生意気な目をしたブザンバル君をぶっ殺す、いい理由になるんじゃねえかなァ? なァ、どう思う? 俺さァ手続きとかさァ、けっこう大事だと思ってンだよねこれでも。フェアな君主だろ?」
「陛下、一言よろしいか」
ブザンバルが口を開いた。
「おーう? いいぜ。言ってみろ」
「おまえはいずれ、宿怨によって打ち滅ぼさろげっ」
オージュ師匠の
気管をぶっつぶして頸椎を叩き割って、肩のはじまりあたりからにゅって飛び出した。
玉虫色の杖の先端で、玉になった血が震えていた。
師匠は“
ブザンバルはばったり倒れた。
即死だ。
「へ、へ、へ! 悪いなァ、最後まで言わせてやるとは約束してねェもんで! な? フェアなとこあンだよ俺って」
ハンビットは手を叩いて笑った。
「あいつ最後になんて言った? ろげ? 家族に伝えてやんなきゃなァ、最期の言葉を! ブザンバル、ろげ! つって死んだぜってさァ! へ、へ、へ!」
師匠はブザンバルの死体に杖を当てた。“烏滸”が魔力の白熱光を宿し、ブザンバルの死体は風に舞い散る灰と化した。
「おっとォ? おいおい、オージュ君!」
まとわりつくような灰を手で散らしながら、ハンビットはオージュ師匠を睨んだ。
「なんだよォ、死体の鼻を削いだり、ちんちん切り取って振り回したり、なんかいろいろ辱めようと思ってたのに! まァいいけどよ、宰相のやることだ!」
オージュ師匠は、俺たちに背中を向けた。
「なァ、楽しんでくれたか? これで終わりだ。おれ、けっこう工夫したろ? がんばり屋さんなもんでね、へ、へ、へ!」
ハンビットは師匠の腰に腕を回した。
「じゃあな、大好きなお前ら! 一年後に会おうぜ!」
そして二人して、歩いていった。
中庭には、バルタンの、次第に弱弱しくなっていくうめき声だけがあった。
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