謁見室にて

 旧い宗教の礼拝堂を改築した謁見室には、貴族が集まっていた。

 正面扉から向かって右に反帝国派、左に親帝国派で固まり、そのあいだをわずかな中立派が周遊する。帝国の離間工作の、実に視覚的な表れだった。


「これはこれは、ニーニャちゃん!」


 遅れて謁見室に入ったニーニャがさっそく晒されたのは、侮蔑の笑い声だった。

 バッスルで尻を信じがたいほど高く盛った女が、にやにやしながら近づいてきたのだ。


「お久しぶりです、ダーケン侯」

「いいんですよお、メラニーで」


 ダーケン侯爵、メラニー・シュバール。古い家柄の貴族であり、名の知れた親帝国派だ。


「おっきくなりましたねえほんとに、いやほんとにねえ、ニーニャちゃん。あっはっは! ほっぺもっちもち!」


 無遠慮に体を触られながら、ニーニャは外交的な微笑みを絶やさない。ここで怒りを剥き出しにすれば、メラニーを睨む反帝国派貴族が引き下がれなくなる。


「こんな小さいのにねえ、がんばっちゃってるんだからねえ、おばちゃんちょっと泣けちゃいますよお」


 およそ王族に向けていい態度ではない。メラニーはあえて、謁見室に紛れ込んだ無力な子どもとして、ニーニャを遇している。

 親帝国派の貴族たちは、あからさまなくすくす笑いを浮かべていた。


「ちょっと、ダーケン候。それぐらいに……かわいそうじゃないですか。ほら、嫌がってる」

「ニーニャちゃんもねえ、お年頃だから。でも潔癖すぎるのはどうかな? だって、ねえ?」

「そうですなあ、そろそろご結婚を考える年齢でしょう、ニーニャちゃんだって」


 配慮に欠けた視線が、顔に、胸に集まるのをニーニャは感じる。不定形の化け物に、ぬるつく粘液でも引っ掛けられたような不快感があった。


「もう十二ですもんねえニーニャちゃん。おばちゃんがいい男紹介してあげましょうかねええ?」


 メラニーの声はどんどん大きく、下衆で熱っぽくなっていった。廃王女は、親帝国派にとって生贄として機能する。いたぶり、なぶることで、彼らは結束を高めているのだった。


「うっ……?」


 ニーニャはうめき声をあげた。メラニーが、胸を掴んできたのだ。


「なにを、ダーケン候、なさるんですか」

「いいんですよお、メラニーで」


 メラニーは笑いながら、ニーニャの胸を人差し指と親指で捻った。


「いいじゃなあい、おばちゃんでもほら女の子同士なんですからねええ。うんうんおっきくなってるなってる! ちゃあんと男を喜ばせるおっぱいになりかけてますよおニーニャちゃん」

「おやめ、ください。ダーケン候」

「だからあ、メラニーでいいんですってばあ」


 メラニーの指に、力が込められた。成長の中途にあって疼痛が頻発する胸を、無遠慮に絞ったのだ。

 ニーニャは痛みと屈辱に汗を流しながら、平静な表情を保とうと努力した。


「あららららどうしちゃいましたニーニャちゃん。なにか来ちゃいそう? うんうん、そうですよお、そうやって女になって――」

「おやめなさい、ダーケン候」


 太い指が、メラニーの手首をがっしりと掴んだ。


「いったっ! なにを……」


 白いものの混ざった長髪を後ろに撫でつけた、偉丈夫だった。ダブレットは、包む筋肉にくに押し上げられて膨らんでいる。


「ストロース候」


 見下ろす魁偉かいいに、メラニーは青ざめた。

 ストロース候、クロード二世。ミカドとパラクスの父だった。


「品位に欠けますぞ、ダーケン候。あなたはご友人の胸をヘシ潰す嗜虐趣味でもお持ちなのか」

「それは、その……んぎっ!」


 メラニーは悲鳴を上げた。ストロース候が、メラニーの手首を掴む指先に力を込めたのだ。


「これで、無礼はお互い様ですな」


 メラニーの手首を放し、クロード二世は言った。


「手打ちといたしたいが、いかがか、ダーケン候」

「……ええ、かまいませんとも、ストロース候」

「おや。メラニーとお呼びすることは、私には許されないので?」


 クロード二世の皮肉に、反帝国派のみならず、メラニーの友たる親帝国派の面子までちょっと笑った。メラニーは憤然と立ち去っていった。


「ありがとうございます、ストロース候」

「助けが遅れて申し訳ありません、殿下」

「いえ、時宜を得たものでしたよ。ダーケン候はやりすぎだと、親帝国派のみなさんが思い始めたところでしたから」


 クロード二世にエスコートされ、ニーニャは反帝国派の輪に入った。

 親帝国派と比べれば、半数にも満たない小集団だ。


「メラニーめ、あんな無礼を……アールヴ陛下のご治世であれば、一刀にて切り捨てたものを!」

「落ち着け、グータ。あれ一人切り殺したところで、何も変わらん」


 吹きあがる若い男爵を、クロード二世は静かな口調で諫めた。


「ここで一暴れして、気分は晴れるだろうな。しかし、殿下がこらえてくださった意味を無にする」

「そりゃあ、ストロース候、そうでしょうけど。でも、殿下が……」

「勘違いするな。我らが殿下に向けてよいのは、憐憫でも義憤でもない。敬意のみが、私たちに許されるのだ」


 クロード二世は率先してニーニャの前に膝をつき、頭を垂れた。


「全ては、私たちの弱さをよすがとするもの。我らのためお怒りを治めてくださったこと、心より感謝申し上げます」

「いいえ、ストロース候。あなたは十分に働いてくれていますよ」


 親帝国派の連中は、このやり取りに嘲笑を浮かべた。


「ごっこ遊びもストロース候がやりゃ堂に入るってもんだね」「ばぁかオマエ、武家よ? ストロース。あんまイジったら殺されるって」「こわー」「だからイジんなって、めちゃ命知らずじゃん」「ニーニャちゃんも王女さまごっこできてよかったよね」「ほんとそれはそう、さすがに可哀想だし」


 ストロース候は驟雨のような揶揄の笑いに耳を貸さなかった。


「殿下。低きに流れた水が立てるのは、せせらぐ音ばかりですな」


 ただ莞爾かんじと、こう言ったのだ。


「言わせておきましょう。耳障りではありますが、所詮は水音。気に留めるまでもありません」


 うなずこうとして、ニーニャの耳は、袖廊しゅろう側の扉が開くかすかな音を捉えた。それは居並ぶ他の貴族も同様だった。

 彼らは素早く壁際に下がり、つくばった。


「へ、へ、へ」


 床に視線を落としたニーニャが感じたのは、闇色の重たい泥とでも思えるような気配だった。


 杖が床を打つ音は、あえて聞き知らせるかのように大仰だった。長年の幽閉が足を萎えさせたというが、真偽を確かめた者はいない。


「おう、わりィなァ。こんなとこまで呼び出しちまってよ。俺さァ、王都には嫌な思い出があるもんでさァ、へ、へ、へ。ほら、幽閉されてたもんでな。近づくと吐いちゃうわけよ、怖くてさァ」


 杖の音が止まった。


「いいぜ。楽にしろや」


 貴族たちは一斉に顔を上げた。


 色褪せた蓬髪。垂れ目の中心に、針先のような瞳。突き出した頬骨と落ちた頬肉。皮肉っぽく吊り上がる、薄い唇。

 壇上の飾らない椅子に、“幽閉王”ハンビットが腰掛けていた。

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