夏の離宮

 その日の昼まで馬車を飛ばし、俺とニーニャはドラーフ島入りした。


「役立たずは、どこかその辺でゴミでも食っています」


 別れ際、パールはそんな風に言った。ちょっと面白いじゃんと思ったので俺は笑った。パールも笑った。


「殿下、どうぞお気を付けて」

「ありがとう、パール。行ってきます」


 ばかみたいに長い一本橋を渡っていくと、張り出し砦と側防塔でゴテゴテした、流線形の城壁が俺たちを出迎えた。

 

 夏の離宮、ヴォニパー城。

 もともと、どっかの民がなんかの儀式をやるために建築されたらしい。

 らしいというのは、歴史の中で持ち主が何度も代わり、その度にばんばん建て増しされていき、もはや原型を留めていないのだ。湖とか森の中とか、儀式向けの土地にはそういう建物がけっこうある。


 城壁のアーチをくぐると、やたら狭いうえ、地下牢直通の中庭に出た。一瞬でテンション下げてくるな。

 

「こちらです、ミカドさん」


 城壁を出たり入ったり昇ったり下りたりして、俺たちは、さっきより広い中庭に出た。もうけっこう人が集まっている。あー、知ってる顔がちらほらだ。みーんな貴族の嗣子しし。伯爵だの侯爵だのにくっついて来たんだな。


「終わるまで、ここで待っていてください」

「その、なんか……土下座とかが?」


 ニーニャは苦笑した。


「困ったなあ。来てくれたのがヴィータだったら、いっぱい八つ当たりできたのに」

「ためしにやってみたら? あんがい受け止めるの上手いかもよ俺」

「ありがと、なにごとも挑戦ですよね。それじゃあ行ってきます」


 ニーニャはさくさくと城壁を昇り、むちゃくちゃ狭い歩廊をずんずん進んでいった。

 渡り廊下を通って、天守に向かったのだろう。


「さあて」


 こうなると別にやることないな。どっかそこらで……


「お間違いでなければ、ミカド・ストロースでは?」


 おっと?


「ええと、はい、どうも」

「やっぱり! おーいみんな! やべえぞ! ミカド・ストロース来た!」


 どわーっと人が集まってきた。


「廃嫡されたと聞きましたよ! いったいなんでまた!」「あれやってくださいよ、火竜カリュウってやつ!」「おれのこと覚えてませんか? 戦場で一度、ご一緒したことあるんです! いやーやばかったまじでミカドさんは!」「決め台詞ありますよね! 一度聞いてみたかったんだよなぁー!」「シヨン湖はミカドさんが作ったってほんとですか!?」

 

 まあなんか、珍しい鳥飛んできた! みたいに騒がれるのもそろそろ慣れてきたよ。


「ぐうたらしてたら廃嫡されちゃったよ。アウグストくん大きくなったじゃん。えーと、あとバフはね、ここ陛下おわすからさすがにね。決め台詞とか湖は捏造だと思うな」

「わーおれ認知されてた! めっちゃうれしいんだけど! ミカドさん、ちょっとだけならいけますって火竜! それみっかっど! みっかっど!」


 うそだろってぐらい急転直下にイジってくるじゃんアウグストくん。こういうノリも嫌いじゃないけど、ここで護符チャームを点すの不敬すぎるでしょ。


「みっかっど! みっかっど!」「かっりゅっう! かっりゅっう!」


 いや、でも、一瞬ならいけるか? それで一笑ひとわらい取れるんだったら……有りか?


「なぜ、オマエがここにいる?」


 浮ついた気分が、一瞬で消し飛んだ。


 中庭の入り口に立って、神経質そうな顔でこっちを睨んでくるヤツがいた。


「またいい加減なことをしているようだな。オマエはどこに行ってもそうだ。どんなときでもふざけて、なにもかも台無しにする!」


 神経質そうな歩き方でずんずん迫ってきて、そいつは俺の胸をどんと押した。俺は押されるがままててっと後退した。


「ひっでえ挨拶だな、兄ちゃん」

「そうか? 僕は今、オマエを撲殺しなかったぞ」


 パラクス・ストロース。

 俺の兄だった。

 

「それと、兄ちゃん呼ばわりはやめろ。オマエはもう僕の弟じゃない」

「あー、うん。そうだね。そりゃそうだ」


 兄ちゃんは舌打ちした。もうなんだろうな、俺がなにをどう答えても不機嫌になるんだもんな。いやまあ、俺が悪いんだけどさ。


 気づけばみんな、俺と兄ちゃんから距離を取っていた。アウグストくん、なんも関係ないっすけどおれ。みたいな顔でそのへんの貴族つかまえて喋ってんのひどくない? 今こそイジってよ。


「もう一度聞くぞ。一族の恥さらしが、何をしに来た」

「まあ、その、付き添いでね」


 パラクス兄ちゃんは、人にそんなことできるんだ!? ってびっくりするぐらい器用に鼻を鳴らした。


「役立たずのシラミが、どこの寝床に潜り込んだ? “尖風ミストラル”の名に釣られた田舎貴族か? オマエに血を吸い上げられる阿呆が気の毒だよ」


 ニーニャ殿下だよって言いづらい空気になっちゃったな。仕方ないから俺は愛想笑いを浮かべた。


「なぜヘラヘラできるんだ!」


 これでキレてくるんだもんなあ。


「分かってるのか? 僕は今、オマエを侮辱したんだぞ!」

「いやーまあ、昔から兄ちゃん口悪いし」

「兄と呼ぶんじゃない!」


 兄ちゃんは俺の胸を何度も押した。俺は兄ちゃんのつむじをぼんやり見下ろしながら、半分ぐらい自主的に、壁際まで追い詰められていった。


「いいか、聞け、恥さらし」


 食いしばった歯の隙間から、押し殺した声を兄ちゃんは漏らした。


「僕と父上は、オマエとは違う。屈辱に耐え、必ずや敵の喉笛を食いちぎってみせる。オマエにはなんの大義もないんだろう?」


 あー。


 なんだろう。

 なんか、なんだろうな。

 今ので、いろいろ、繋がっちゃったな。


 ストロース家は気合の入った反帝国派だ。ニーニャとヴィータの隠し部屋には、ストロース家の印璽を押された手紙が何通もあった。


 そっか。

 そっかあ。

 オージュ師匠の言ったとおりだったなあ。


「ニーニャさんを担いで?」


 俺は静かに問い返した。

 パラクス兄ちゃんは、言葉を失った。


「なに? 兄ちゃんさ、敗戦国の大宰相にでもなりたいの?」

「……黙れ。アルヴァティアのためだ」

「そりゃ、信念あってのことだろうね。でも、やり方ってあると思うよ」

「オマエみたいな間抜けに何が分かる」


 兄ちゃんは両手で俺の襟首を掴み、威嚇するように笑った。


「オマエとよく遊んだな、小さい頃。遠乗りもしたし、木剣で打ち合った。いつもつまらなかったよ。分かるか? オマエが弱すぎて、僕に一度も勝てなかったからだ」

「そうだったね。覚えてるよ」

「今は違うか? 大陸最強の星辰剣士ゾディアックフェンサーだったら、僕に勝てるか? どうだかな。オマエは何も守れなかった。オマエは、ローヌ陛下を」

「あ゛?」

「ひっ!?」


 兄ちゃんは悲鳴を上げ、飛びのいた。


「あー……いや、ごめん兄ちゃん」


 俺は手を伸ばそうとして、やっぱりやめて、こめかみのあたりを小指で掻いた。


「俺はローヌを守れなかった。国賊級の恥さらしだよ。指摘されてキレんの、ださすぎるよな」


 兄ちゃんは拳を握りしめ、真っ赤になった顔で俺を睨んだ。


「なんなんだ……なんなんだよ、オマエは! ここまで挑発されて、なんでまだ笑っているんだ!」

「だって事実だし」

「オマエは……」


 不意に、兄ちゃんの肩から力が抜けた。


「もう、いい。どうでもいいんだろう? 家のことも、お父さまのことも、僕のことも。無駄な時間を使わせて悪かったな」


 兄ちゃんはくるりと背を向け、中庭の端っこまで歩いていった。


 どうでもいいんだろって?

 そんなわけないだろ。


 でも、どう答えたってなんの説得力もないじゃん、俺。十年も子ども部屋おじさんやってたのは事実だし。

 だったら、こいつ付き合うだけ無駄なバカだなって思われた方がいいよ。


 期待されたり回復を待たれたりすんのって、たぶん兄ちゃんが思ってるほど楽じゃないよ。

 期待したり待ったりするのが、俺の思うほど楽じゃなかったんだろうなーってのといっしょでさ。


 甘えてるだけだろって言われたら、はいそうですね。って答えるしかないけど。


 俺は壁にもたれて腕組みし、目を閉じた。そっからは二度と、誰も俺に話しかけてこなかった。

 まあその点だけは気楽でよかったよ。めちゃくちゃ眠いし今。

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