蕃神


「では、殿下。安らかに寝御いただければと……」

「ありがとう、ペーター」


 ぱたん、と扉が閉じて、俺たちはようやく三人になった。


「おー……呑んだな」

「うむ。しかし、湖水地方のすばらしい酒だった」


 歓迎会兼決起会みたいな酒盛りが開催され、俺とパールはけっこう呑まされた。足元がふらつくほどではないけど、気持ちはちょっとふんわりしている。


 で、ここは城壁に囲まれた塔の最上階。

 かつてブザンバル伯爵一家が、後にゾートーン代官ノブローが寝室としていた部屋だ。


「近くに人はいませんね」


 片目をふさいだニーニャが言った。外の見張りは夜鷹のきーちゃんにお任せだ。


「んじゃ打ち合わせしよっか、みんな」


 俺たちはテーブルを囲み、各々集めた情報の共有をはじめた。


「この一揆をはじめたのは、ペーター・パーレット九等官のようですね。立てこもりという手段を選んだのも彼のようです」


 ニーニャが、まずは口を開いた。


「そこは予想通りだね。ガッツある人だなあペーターさん」


 成功する一揆なんてのは、だいたい庄屋とか地方書記官とか、戦い方を知っている者が率いている。

 俺たちならできる! ウオオオオ! と燃え盛り、なだれを打って領主に挑みかかっても、待っているのは屍になる未来だ。


「しかし、資金援助も武装も、彼の差配ではないようです。探りを入れたのですが、ペーターさんも言葉を濁していましたね」

「てことは、オージュ師匠の言ってた極左テロリストってやつか。儀式については?」


 ニーニャさんは首を横に振った。


「聞き出せませんでした。とぼけ方が上手なのか、本当に何も知らないのか……」

「武器と金を与えて信頼させ、こっそり儀式を進めてるってとこかね、ほんなら」

「パールはどうでしたか?」

「はっ」


 水を向けられ、パールは起立した。


「この塔はもともと、税関として建築されたようです。そこにゾートーン伯が手を入れ、居館とされたのでしょう」


 なるほど、だから見張り台がついてんのか。


「各部屋に立ち入りましたが、怪しいと言えるのは図書室か地下牢です」

「地下牢ね、ちょっとヒいちゃうよね」


 塔の地階の床は、全面が地下牢という名の深い穴へと続く格子蓋になっていた。支払いを渋った人が叩き落されたのだろう。


「実に、底知れぬ闇であった。屍の一つや二つ、今でも転がっているのだろうな」

「ありがとう、パール」

「いえ、深入りはできませんでしたから」


 パールは自嘲し、椅子に座った。


「私の力では、神格を降ろすような儀式に立ち向かうことは不可能ですので」


 で、なんか俺に、期待するような目線を向けてきた。


「いい判断だと思うよパールさん。ちょっとでも無理したら、正気度ごっそり奪われてたろうから」


 俺は口を開いた。


「城壁はとくに収穫なし。儀式の中心も分かんなかった。でも対象は間違いなく神格だね。とにかく慎重に探らないと、こっちが死ぬ」

「あなたは蕃神ばんしんとやりあったことがあるのか?」

「冬戦争の末期も末期に、一度ね。つっても依代よりしろだったけど。それにしたって、どうやって生き延びたのかよく覚えてない」

「おおお……ミカド・ストロース……」


 パールがぶるぶる震えた。どういう震えなのそれ。


「そんなに危険なものなんですか?」


 ニーニャはちょっと、やばさを飲み込みきれてないな。


「モッタ村で、なんかてけりり鳴いてたのと戦ったでしょニーニャさん」


 俺がいうと、ニーニャはまっさかさまに青ざめた。あのときヴィータいなかったら死んでたからね、ニーニャ。


「あれが、ってみた感じ、どう説明しようかな。蕃神の傍流の傍流のそのまた傍流とか、そんぐらいかな。意外に王位継承権持ってるそこらへんのおっさんとかたまにいるでしょ? あんなもん」


 それでも、ごくふつうの人々にとっては十分すぎる脅威だ。ヴィータなんかだいぶ正気度を喪失してたし。


 深紫に縁どられた紺色の瞳が、恐怖と動揺に収縮していく。無理もない。

 蕃神は俺たちにとって、信仰対象であると同時に恐怖の写し絵でもある。

 先王アールヴは、この地に影響力を及ぼす神の祝福を受けた。ジリー・シッスイの荘園で、ニーニャが『黒羊こくようみされた血のあるじ』とかなんとか言ってたあれだ。傍系のブラドーが玉座に就けたのは、ストロース家の後押しと、なにより祝福があったから。

 一方でその神は、気まぐれにアルヴァティアを滅ぼすこともできる。


 ニーニャは、ゆっくりと深く息をした。


「ここに集まった人たちは、どうなりますか」

「降ろされる神格によるけど、ろくなことにはならないよ」

「わたし、なにをすれば……」

「何もしなくていい」


 俺はきっぱりと言った。


「大暴れも大騒ぎもなく、俺をここまで運び込んだ。それでニーニャさんとパールさんの仕事は終わり。ここからは、俺がやるよ」


 息を吸って、腹に力を籠める。


白梟シロフクロウ


 INT強化の護符チャームを、サインに点す。


「んっぐう……!」


 見えざるもの、聞こえざる音、知られざる情報が、どっと頭に流れ込んできた。金縛りに近い感覚だ。体は動かず、異常で不合理な恐怖が沸き上がり、耳はおぞましいざわめきに弄され、視界には非現実の光景が広がる。


 覚悟してたけど、ちょっと想定を上回ってるな。やっぱ一揆に持ち出すような代物じゃないよ蕃神。それこそ市民革命とか、国家転覆レベルの暴力に使おうよ。


「ミカドさん!?」


 ニーニャの声が聞こえる。


「いや……平気だから」


 縄で括られたかのように締め付けられる喉から、声を絞り出す。


「もうちょっと、深く……白梟シロフクロウ


 湖――月光の差す――俺は急角度の斜面に、仰向けに寝かされている。砂利が背中や、爪を立てた指、裸足の踝に鋭く食い込んでいる。わずかな身じろぎで滑り落ち、大量の水に飲み込まれるだろう。だが水位は上がり続け、俺はいずれ溺死する。

 目だけが動く。下を見る。月光の差す黒い湖。ぐったりとしおれ、湖面でたゆたう羊歯しだが、波紋に揺れる。なにかが現れようとしている。黒く大きな、ぬるつく、もの。


 蕃神。


 悲鳴を上げようにも息ができない。水が俺に覆いかぶさり、肺を圧迫している。毛穴から、爪のすきまから、鋭い水が入り込む。棘となって魂に突き刺さり――


「ふげっ!?」


 気づけば、俺は椅子ごとぶっ倒れていた。

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