ざこ農奴♡
「おれは九等官のペーター・パーレットと申します。ブザンバル閣下の
ランタンの老人は、俺たちのすこし先を、恐縮しきった様子で歩いた。
「でした?」
「へえ、ミカド様。バルタンなんぞのために、紙一枚、インクの一滴も用意してやりたくねえんで。あいつは性悪で、うすのろで、許しちゃおけねえ」
九等官なら、爵位こそ持たないが貴族階級だ。地方書記官は伯爵位に仕える官吏で、個人の所属下にあるわけじゃない。
それが一揆勢力に合流しちゃうんだから、よっぽどのことだ。
「ブザンバル閣下の愛した領民を、雑巾かなんかのように絞りやがったんです。見ちゃいられなかった。あいつはハンビットにしっぽを振る畜生ですよ。
ブザンバルと領民への敬意が理由か。反帝国派としての、積年の思いがそこに一さじ。
「さ、殿下。こちらへ」
「ありがとう、ペーター」
小さな落とし格子が持ち上がり、俺たちは荘館に通された。
六角形の城壁が、塔と中庭を囲むつくりになっている。ささやかながら、これはもう城砦だな。
「伯爵家ともなると、物々しいとこ住むもんだねえ」
「ブザンバル閣下には、武家の誇りというもんがありましたから」
ペーター九等官が、俺の独り言に答えてくれた。ありがたいけど、自己評価ふざけてんのかって言われたことはけっこう根に持ってるよ。
「バルタンにはそれがねえんです。だから、お山の上にお屋敷なんぞ建てなさる」
城壁と塔の間には厚手の布が渡され、中庭全体を覆っている。上空への目隠しだろう。
「おうい、みんな! みんな!」
ペーターが大声でがなると、人々は作業の手を止めてこっちを見た。
そう、作業だ。
中庭に集まった一揆勢は、各々、武器の手入れをしていたのだ。
でも、ミスリルブロンズの鋳造砲なんて個人で融通するのは不可能だ。冬戦争にも出てこなかった最新兵器だぞ。それが十門以上、ずらっと並んでいる。
「こちらにおわす方をようく見ろ! おまえたち、覚えはねえか! 藍色の髪に! この立ち姿に!」
「パール、ミカドさん。周囲を探っておいてください」
ニーニャが俺たちに小声で囁きかけた。
「そうだ! アールヴ陛下の立ち姿だ! ローヌ陛下の藍色だ! おれたちの殿下、アルヴァティアの正統だ!」
「んくくくくくっ♡」
興奮したペーターのわめき声を甘ったるい笑いで遮って、ニーニャはぽかんとする人々の前に立った。
「立てこもり犯のみんなぁー! ニーニャが来てあげたよぉー!」
始まったね。
俺とパールは目くばせし、別々の方向に歩き出した。
俺は城壁を、パールは塔を。さっさと儀式の中心を見つけ、無力化してしまおう。
外階段を見つけて、城壁を昇っていく。
ちょっと見下ろすと、ニーニャが鋳造砲をぺしぺし叩いていた。
「ねーえー、せーっかくこんなにかっこいい分からせ兵器♡いっぱい持ってるのにぃー、どうしてバルタンを討ちに行かないの?」
抉っていくねえ。
「もしかしてみんな、よわよわ百姓なのかなぁ? いっぱいいっぱいいじめられて、負け癖ついちゃったのかなぁ?」
階段を昇りきって、ひさしのついた狭い歩廊を歩く。ひさしと手すりの間にも、斥候避けらしき布が張られている。神経質なことだ。
壁の銃眼は、漆喰で埋められ、あるいは蝋引きの亜麻布で覆われている。
「んくくくく♡ざこ農奴♡菜種みたいに絞られてぇー、目から服従汁ぴゅっぴゅっ♡しちゃったんだね? だっさぁ♡」
むきだしの暖炉――見た目は漆喰壁の裂け目といったところだ――では、敷石の上で薪が燃えている。
こっちの部屋は……かまどには
なるほど、城壁が
「だっさーい♡ざーこ♡ざこ百姓♡んくくくくっ♡あまあま領主によしよしされてぇー、いじめられないのがふつうだって勘違いしちゃったんだね♡ねーえーざ
ちょっとあのニーニャさん、集中できないんでそれぐらいにしといてくれないかな。
歩廊をぐるっと一周してみたけど、魔力の流れは掴めなかった。というか、あまりにも強すぎてよく分からん。
なんというか、川で溺れながら淵を探すようなものだ。荒瀬の急流にもみくちゃにされているとき、人にできるのは意味もなくじたばたすることだけだろう。
いったん調査を打ち切って、城壁から降りる。
「あなたたちのふるまいから、義と理性を感じました。この一揆は必ずや成功するでしょう」
「はい、殿下……もったいないお言葉で……」
「泣かないで、ルカ。ラウラも、平伏するのはやめてください」
ニーニャはお屋形様モードに突入していた。これまたいつものやつだ。とんでもない専制君主になりそうで今から怖いわ。
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