難儀あれど、一人とて退かぬこと

「……分かりました。では、ただのニーニャさんが、どういうおつもりですか?」

「この一件、非がゾートーン伯にあるのは明らかです。一揆勢力の要求は妥当なものであり、その振る舞いも非暴力的で、よく洗練されたものといえるでしょう」


 空気が、ぴりついていた。

 ニーニャは怒っている。これまで見たことがないぐらい、はっきりと怒っている。


「農民の真摯な願いを利用するのであれば、それがどれほど高潔な意志の発露だとしても、剥き出された醜怪な我欲でしかない。そうは思いませんか、ルッツェン公」


 オージュ師匠は瞑目し、かすかに頭を下げた。


「だから、わたしが行くのです」

「なんでですか!」


 パールがけっこう悲痛な叫び声をあげた。


「一揆勢の頭目は反帝国派の者なのでしょう? だとすれば、求めているのは二つ。一つは人数、もう一つは正統性です。わたしは、後者を担保できる」

「まあそりゃ、ニーニャさんが来てくれたら、諸手を挙げて大喜びだろうね」


 堂々と表口から入って、しかも歓迎されるわけだ。  


「ですから、殿下! もうその、我々に全然まったくなんの関係もない湖水地方の一揆に首を突っ込むなとか、そんな低次元の話はいちいち致しませんが今更ですし!」


 めっちゃきれてるなパール。なんか、こう、積み重ねを感じる。


「どうして! あなたはいつも! 御身を囮とされるのですか!」

「合理的な提案をしているだけですよ、パール」

「んんん……ぐぅうう!」


 一発で切り返されて、パールはうめいた。


「それに、ここにはわたしの“尖風ミストラル”がいますから。ね、ミカドさん?」

「お、おおー? まあね、俺けっこうあれだからね、なんかかなり。いや師匠には負けたけどね」


 俺は照れまくって適当なことを言った。オージュ師匠に対するアピールなのは分かりきってるんだけど、『わたしの』とか急にオラつくのやめてほしい。どきどきしちゃうから。


けいは、ゾートーン伯との対話を。わたしたちは、荘館への潜入を。どうでしょう、ルッツェン公」

「御意のままに、殿下」


 こうべを垂れてから、オージュ師匠は我に返り、尖った耳の先端を指で揉んだ。


「失礼。ニーニャさんでしたね」

「ありがとうございます、オージュさん」


 ニーニャは年相応の、だからこそ底知れなく映る笑みを浮かべた。


「ではさっそく行きましょう」

「話が早いねえニーニャさん」

「明日じゅうにドラーフ島入りしておきたいですからね」


 藍色の長髪を結い上げて、ニーニャは荘館をまなざした。


「さあ、俗悪にいきますよ」



 荘館に続く道には、立て札があった。

 そこには、こんな風に書いてある。



一つ 無益のことにて、雑言は堅くいたしまじきこと

一つ 役人衆より引取るように申しつけられども、決して物を言うまじきこと

一つ いかなる儀とても、同士喧嘩は堅く致まじきこと

一つ とんうちに疑わしき者入り込まば、ただちに召し捕り、拷問にかけるべきこと

一つ 百姓の内一人でも召しとらわば、急ぎ申し合わせの通りすべきこと

一つ 難儀あれど、一人とて退かぬこと



「たしかに統制取れてんね」


 みんな六つの誓いを守り、荘館にこもっているわけだ。ゾートーン伯バルタンが折れ、要求を呑むその日まで。


「外向けの示威行為でもありますね」


 ニーニャが言った。


「あー、なるほどね。拷問にかけるとか、申し合わせの通りとか、たしかに威嚇だ」

「殿下……引き返しましょう。今ならばまだ」

「パール、まだ言うんですか? どのみち手遅れですよ」

「そだね」


 青緑の光点が、揺れながら近づいてきていた。


「どこのどいつが来やがった?」


 しわがれた誰何すいかの声には、剣呑な響きがある。


「分かりませんか?」


 挑戦的に、ニーニャは問い返した。


 闇の中から、ミスリルはんだのランタンを手にした老人が姿を現した。


「なんだぁ?」


 老人は掲げたランタンで俺たちを照らし、首をひねった。

 だよね。子どもと、子ども部屋おじさんと、フリューテッドアーマーだもんね。


「伯爵が、ガキを使いによこすか? それに……男前と」

「あ、俺ぇ? へへへ、どうもね」

「おまえはおっさんだ。自己評価ふざけてんのか?」

「え? じゃあ私?」


 パールが目を剥いた。


「男前の騎士と、おっさん。どういう集まりが、なんのつもりで来た」

「呆れましたね」


 ニーニャは肩をすくめてみせた。


「いえ、ゾートーンにまで届かぬ威光の弱さこそを、わたしは恥じるべきでしょう。ねえ、ミカド・ストロース」

「そうだね、ニーニャ殿下」


 俺は一歩、前に出た。老人は気おされて後退した。


「な、おい、なんだ? おまえ、こっちには人数が……いや待て、え? 殿下? え、ニーニャ、え、え?」

火竜カリュウ


 サインに、星辰の護符チャームを点す。右の瞳が灼けて、“黄色い印”に変状する。


「お、おお……あ、あああ……!?」


 老人は膝裏を蹴とばされでもしたように尻もちをついた。


「火竜、火竜、火竜、火竜」


 光背のような放射状に、五つの護符が展開される。


「自己紹介、いる?」


 涙を浮かべた老人に、俺は訊ねた。


「いえ、いえ……なんてことが、こんな、ああ! ニーニャ殿下、ニーニャ・ブラドーが、ミカド・ストロースをお連れになって……!」


 老人はひれ伏し、声を嗚咽に震わせた。


「どうか、顔を上げてください」


 ニーニャは地面に両膝をつき、老人の手を取った。


「そして横暴な領主に立ち向かう、高潔で勇敢なあなたのお名前をわたしたちに教えてください」


 老人はぬかづいたままニーニャの手にすがり、ぼろぼろ泣いていた。


 とりあえず、作戦の第一段階は成功だった。

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