なにが旅情だよ
「きょくさてろりすと?」
あまりにも耳なじみのない単語だったので、俺はあほみたいにオウム返しした。
「ロシェ山脈の向こうでは、市民革命が流行っているんですよ。実際、いくつかの港止国家で王族が首を刎ねられ、主権が市民のものとなりました」
なんだそりゃ、荒れてんなー自由地域。マルガリアの港湾労働者になる道を選ばなくて、これ正解だったかもしれんな。
「問題はここからです。市民革命の請負人を自称する極左の一派が、諸邦回りでアルヴァティア入りしたらしいとの風聞があります」
俺は頭の中でアルヴァティアの地図を拡げた。
自由地域からアルヴァティア入りするルートは二つだ。
ひとつ、北上し、ロシェ山脈を越える。ザンクト・ヴォールト越えと呼ばれている。
もひとつ、
で、ここセヴァンはミィエル湖に面した町だ。
「えーと、つまり……なんかいろんな連中がゾートーンの一揆勢力に合流して、クーデターを企んだり、君主制をひっくり返そうとしてるってこと?」
わけ分からなすぎて俺はちょっと笑った。なんでそんな政治的ホットスポットになってんだよゾートーン。
しかし、オージュ師匠はあくまで真剣な顔だった。
「こうした流れが各地で起きれば、それはもう、内戦ですよ。三十年前と同じく」
師匠は手のパンくずを払い、酒瓶に手を伸ばした。
「自発的に死出の旅へと赴くのであれば、邪魔をする理由はありません。しかし、魔術的な儀式が行われているとなれば話は別です。ミカドくん、強力な儀式の条件を、君はまだ覚えていますか?」
「そりゃもちろん。図書室、霧深い森の奥、大量の水……ああ」
目の前には、
「ミカドくんは、魔力の流れに気づきませんでしたか?」
魔力の流れは、慕情に似て感じられる。切なくて甘ったるく、抗いがたい。
でも、そんな感覚はなかったよなあ。あれ? いや待てよ。これ、このなんか、ぼんやりと胸がうずくような感じ――
「旅情!」
俺は叫んだ。
「わーそっか! これ旅情じゃなかった! 気付いてたわ俺!」
オージュ師匠は目をハトみたいに丸くしたあと、爆笑した。
「うわーほんとだ、めちゃくちゃ強烈な儀式じゃんこれ。えーなんだよもう、だっせえなこいつ」
俺は頭を抱えた。なにが旅情だよ。
「“
でも言い訳させて、俺ほら旅とかけっこう無縁な子ども部屋おじさんだったからさ、使い慣れてない『旅情』って単語に飛びついちゃったんだよ。あっこれなんかきゅんときて旅情! これが旅情か甘酸っぱいなあ! って、それはもうしょうがなくない?
「ミカドくん? 話を戻してもかまいませんか?」
「あ! はい……」
「極左テロリストがこの一揆に関与している可能性は、この儀式にあります。自由地域の市民革命においては、複数の神格、ないし神の名代が降りたと聞いています」
とんでもねえことするな。革命に
「私は三日前にセヴァン入りしましてね。いくつかの準備を済ませ、さてどうしたものかと考えていました。儀式を止め、村人を制圧するのはたやすいことでしょうが」
「それじゃバルタン卿が一方的に抑圧を続けるだけだもんね」
師匠はうなずき、酒を口に運ぶと、瓶を俺に手渡した。
「かといって、ゾートーン伯と一揆勢の調停を成したとしましょう。反帝国派も極左テロリストも、それで拳を降ろしてくれるでしょうか?」
酒をあおって口を湿らせながら、俺は考える。
「そいつらの狙いはぜんぜん分かんないけど……集まった人を利用して一発ぶちかましたいんだったら、まあ、なんらかぶちかますだろうなあ」
一揆勢を生贄に神降ろしをやるとか、人数を
俺は顎を撫でながらあれこれ考えてみた。
「人手の問題だね、師匠」
「というと?」
オージュ師匠はちょっと含み笑いで聞き返した。分かってて答えさせるんだからなあ、その気になっちゃうんだよねこっちも。
「政治力あるやつが村人と領主の間に立って仲介する。武力あるやつが儀式を止める。同時進行で」
「いずれも、ひそかに」
「そうそう。だからこう、騒ぎを起こさず荘館に侵入してゴソゴソやってる間に、バルタン伯爵を分からせる。よからぬ企みを食い止めて、農民の希望も通って、めでたしめでたし」
「ゾートーン伯にとっても、それが最も望むべき決着となるでしょう。さあ、最初に戻ってきましたね。私には人手が――」
「わたしがやりましょう」
声がして、俺たちは振り返った。
藍色の長髪が湖畔の夜風になびき、深紫に縁どられた紺色の瞳が俺たちを射抜いた。
「失礼? あなたは」
「で、殿下! なにを、なんで! 駄目ですって!」
鎧をがちゃがちゃ言わせながら、パールがニーニャに追いついた。
「殿下? まさか、いや、その藍色の髪は」
「ルッツェン公。わたしのことは、ただニーニャとお呼び捨てください」
はっきりと動揺する師匠に、ニーニャは語りかけた。
師匠は深く息を吐いた。
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